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伊勢屋九兵衛-最後の博打-  作者: 一月三日 五郎


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第7話:それぞれの商い

 宝暦十一年(一七六一年)晩秋 蝦夷地・松前


 松前、大店「伊勢屋」。


 翌朝。


 九兵衛は帳場に小太郎と平助を呼んだ。


「お前たちを呼んだのは他でもない。

 小太郎、お前が作った粉の件だ」


 二人の前に、昨日、小太郎が作った粉の入った紙包みを置いた。


「小太郎。お前はしばらく、新しい品を考えてみろ」


「え?」


 小太郎が目を瞬かせる。


「昨日の粉だけじゃない。

 蔵にある値の落ちた品でも、他に使い道があると思うなら試してみればいい。

 粉にする以外でもいい。

 お前が思うようにやってみろ。

 出来が良ければ店で商う」


「本当に? 僕が作ったものが売れるの?」


「ああ。ただし、使っていい品は平助に聞け。勝手に持ち出すな」


「分かってるよ!」


 途端に小太郎の顔が明るくなった。


 昨日まで商いそのものには、それほど興味を示していなかった。


 帳面を見せてもすぐに飽きる。


 算盤を教えても、兄たちほど熱心ではない。


 九兵衛も、三男の小太郎に店を継がせようなどとは考えていなかった。

 商いが性に合わないのなら、別の道を探してやることも考えていた。


 だが、小太郎は新しい品を考えることに興味を示した。

 試しにやらせてみれば、それなりのものも作った。

 どうやら、こういうことは向いているらしい。


 ならば、小太郎に新しい品を考えさせてみるのも面白い。


 宗谷から仕入れる品だけに頼る必要もない。

 伊勢屋から新しい売り物を生み出せるなら、それに越したことはない。


 値の落ちた品を使わせる以上、失敗しても大きな損にはならない。


「それと平助」


「はい」


「小太郎が作った品を、売ってみろ」


 今度は平助が目を丸くした。


「俺が、ですか?」


「そうだ」


「ですが、売れるかどうかも分からない品ですよ」


「だからだ。

 売れると思うなら売り方を考えろ。

 売れないと思うなら、どうすれば売れるか考えろ」


「……」


「小太郎に作る才があるかは、まだ分からん。

 お前に商う才があるかも、まだ分からん。

 だが、やってみれば見えてくる。

 まずはやってみろ。

 話はそれからだ」


 平助の表情がわずかに引き締まった。


「……分かりました」


「兄上、ちゃんと売ってくれよ!」


「先にまともな物を作れ、小太」


「小太って言うな!」


 早速言い争いを始めた二人を見て、小さく息を吐いた。


 やれと言っておいて何だが、最初から大した成果を期待しているわけではない。


 失敗しても構わない。


 むしろ今のうちなら、多少失敗したところで大した損にはならない。


 自分の頭で考え、自分で動く。


 まずはそれでいい。


 *****


 それから数日。


 伊勢屋の中は、以前より少しばかり騒がしくなった。

 小太郎と平助が蔵の中で、新しい品に使えそうなものを探しているのだ。


「兄上、これは?」


「駄目だ。それは普通に売れる」


 九兵衛から言われているのは、上物には手をつけず、値の落ちた品だけを使うように、ということだった。


 どこまでなら使っていい品なのか、小太郎にはまだ判断がつかない。

 そのため平助が一緒に蔵へ入り、選別していた。


「じゃあ、こっちは?」


「それならいい」


 そんなやり取りが、何度も繰り返されていた。


 小太郎はすっかり夢中になっていた。


 乾物を砕いてみたり、炙ってみたり、料理人に味を見てもらったり。


 失敗して顔をしかめたかと思えば、その日のうちに別の組み合わせを試している。


 一方の平助も、最初は弟のお守りをさせられているような顔をしていた。


 だが、やがて様子が変わってきた。


「小太郎。この包み方じゃ中身がこぼれるぞ」


「じゃあ、どうすればいいんだよ」


「俺に聞くな。お前が作ったんだろ」


 そう言いながら、自分で紙を折って試している。


 ある時など、港から戻るなり小太郎を呼びつけ、


「船宿なら、こういう粉を欲しがるかもしれんぞ」


 などと言い始めた。


 九兵衛は何も言わず、その様子を眺めていた。


 小太郎が売り物を作ろうとする。


 それを見た平助が、どう売るかを考え始める。


 九兵衛から見れば、まだ商いと呼ぶにはあまりに拙い。


 それでも――。


(悪くない流れだ。

 あの粉末、思わぬところでも役に立ったな……)


 口元がわずかに緩む。


 何も言わなければ、小太郎は店の商いに興味を持たなかっただろう。


 平助も、言われた仕事をこなすだけで満足していたかもしれない。


 それが今では、二人とも自分たちで考えるようになってきている。


(なら、俺も負けてはいられんな)


 手元の帳面へ目を落とす。


 そこには、蟹の油煮と蟹の粉について書き付けてある。


 江戸へ送った油煮の評判は上々だった。


 幸太郎から届いた文には、もう一度食べたいという客が何人もいると書かれている。


 松前でも、馴染みの料理屋や商家に味を見せてみたところ、悪い反応ではなかった。


 売れる。


 その見込みはある。


 問題は、その先だった。


 今年の油煮は五十壺。


 粉も、宗谷で作れる量には限りがある。


 だが来年、再来年と続けば話は変わる。


 品が増えてから売り先を探すようでは遅い。


 むしろ、今のうちに欲しがる者を増やしておく。

 品が足りないくらいでちょうどいい。


 来年、宗谷から次の品が届いた時、すでに買い手が待っている形にしておく必要がある。


 そして、もう一つ。


 宗谷から品を仕入れる商いを大きくするなら、いつまでも今の曖昧な立場のままではいられない。

 他の商人が目をつければ、横から手を伸ばしてくる者も出る。


 ならば、藩に話を通し、宗谷から仕入れる新しい品を伊勢屋が扱えるようにしておく必要がある。


 今すぐ大きな権利はいらない。


 まずは、宗谷との商いに伊勢屋が入り込む足場を作る。

 それで十分だった。


「番頭」


「はい」


「明日、御役所へ行く」


「御役所へ、ですか?」


「話を通しておきたいことがある」


 九兵衛はそう言って、棚の一角を見た。


 そこには、宗谷から届いた蟹の油煮が置かれていた。


 *****


 翌日。


 九兵衛は蟹の油煮と蟹の粉を携え、御役所へ足を運んだ。

 取り次ぎを経て、役人の待つ一室へ通された。


 無論、ただ珍しい食べ物を届けに来たわけではない。


 まず味を覚えさせる。

 次に、それが宗谷から来た品だと知らせる。

 その上で伊勢屋に扱わせてほしいと頼む。


 そうすれば次に宗谷の品の話が出た時、この役人の頭には真っ先に伊勢屋の名が浮かぶ。


 九兵衛はそこまで考えて、二つの品を持ってきていた。


「ほぉ。これが最近、商人の間で話に出ている蟹の珍味か」


 役人は油煮を口へ運び、わずかに眉を上げた。


「はい」


「うむ、悪くないな。

 酒が欲しくなる味だ」


「粉の方もどうぞ」


 用意してもらったみそ汁に蟹の粉を振り入れ、味を見てもらう。


「こちらも悪くない。

 身が入っていないのに蟹の味がするぞ。

 ただのみそ汁がこれだけで一変するな」


(悪くない反応だ……。

 これなら話を切り出せそうだな)


 口では「悪くない」と言うだけだったが、表情はすっかり緩んでいる。

 油煮とみそ汁を交互に味わい、しきりに頷いていた。


 九兵衛はそれを見ても急がなかった。

 相手が椀を置いてから、ようやく本題へ入る。


「実はこれは宗谷で作られたものなのです。

 そして、宗谷には他にも商いになる品があると見ています」


「まだあるのか?」


「ええ」


「これだけじゃないと?」


「少なくとも、私はそう思っています」


 役人が九兵衛を見る。


「それで、何がしたい」


「宗谷で新しく作られる品を、伊勢屋で買い付けて松前まで運べるようにしたいのです」


 相手の目つきが変わった。


「宗谷場所そのものを請けたいのか?」


「いえ、そこまでの話ではありません」


 首を横に振る。


 今の伊勢屋が欲しいのは、そこではない。


 今は新しい品だけでいい。

 大きな話は、それからでも遅くない。


「この油煮と粉。それから今後、宗谷で似たような新しい品ができた時に、

 伊勢屋が買い取って松前まで運ぶ。まずはそれを認めてもらいたいんです」


「今の宗谷は藩の直轄だ。勝手に商いをされては困るな」


「分かっています」


 九兵衛は頭を下げた。


「だからこそ、先に話を通しに来ました」


 役人が黙る。

 九兵衛は続けた。


「昆布やナマコのような今までの商いを邪魔するつもりはありません。

 これまで値段のつかなかった物から作った、新しい品だけです」


「それで、伊勢屋は何をする?」


「買い取ります」


 即答した。


「作らせるだけ作らせて、売れなければ知らないということはしません。

 伊勢屋が買い取って、松前まで運んで、売り先も探します」


「江戸にも持っていくのか?」


「それも考えております。

 味はご賞味いただいた通りです。

 売り方次第では江戸でも評判になる見込みは十分にあるとみております」


 役人が蟹の油煮へ目を落とした。


「お前ほどの商人が、ずいぶん入れ込んだものだな。

 そんなにこれが気に入ったのか?」


「ふっ、そうではありません。

 いえ、無論、その油煮も気に入ってはおりますが。

 私が気に入ったのは、それを作っている者たちです」


 九兵衛は笑った。

 役人が怪訝そうな目を向ける。


「おかしなことを言うものだな。

 だが、あの宗谷に、そこまでお前が見込むほどの者がいるとはな」


 それを聞いて、九兵衛はまた少し笑った。


「そこまでの者かどうかは、私にもまだ分かりません。

 ですが、何の値も付かなかった蟹の殻から、先ほどの品を作った。

 それだけでも、もう少し見てみる価値はあると思いませんか?」


「ははっ、なるほど。確かにその通りだな」


 役人は笑ったあと表情を戻して九兵衛に言った。


「だが、お前の望みを聞き入れるかどうかは、こちらでもう一度話を通して決める。

 手土産は美味かったが、それとこれとは別だ。

 そこは勘違いするなよ」


「はい。心得ております」


 頭を下げた。


 結局、その日は要望を伝えただけで終わった。


 その後も九兵衛は何度か御役所へ足を運び、そのたびに話を詰めた。


 そして季節が秋から冬に変わる頃――。


 御役所から、一通の書付が届いた。


 九兵衛は封を切り、ゆっくりと目を通す。


 やがて、その口元がわずかに緩んだ。


「……通ったか」


 宗谷場所そのものを手に入れたわけではない。

 だが、今はそれで十分だった。


 宗谷で新しい品が生まれる。

 伊勢屋が買う。

 松前へ運び、江戸へ売る。


 それを一度、二度と繰り返す。


 そうなれば、いずれ宗谷で新しい商いが始まる時、真っ先に伊勢屋へ話が来るようになる。


(大きな話は、その後でいい)

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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