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薄氷の恋 ――不倫した妻と僕を結ぶものは、罪悪感という名の感情、ただひとつ――  作者: 書峰颯


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第9話

 新幹線で名古屋まで向かい、支援先へと巻島と共に向かう。僕達以外にも関東の支社から数名が集まり、各々あてがわれた顧客へと顔見せの挨拶へと向い、初日は業務を終えた。


 支社長を始め、幹部全員の顔が変わっているのだから、事の発端を生み出した前任者は相当な恨みを買ったことだろう。


 不祥事の内容は談合とのことだが、民間での入札であっても独占禁止法に抵触する。


 どのような処理をしたのかは知らないが、世間様に広まっていない以上、上が相当頑張ったのは明白だ。


「では支援者の皆さん、明日以降も宜しくお願いいたします! 我が社の明るい未来を願って、乾杯!」


 支援初日、英気を養うためという名目のもと、僕達支援者は居酒屋へと足を運んでいた。参加費無料というのだから、参加しない理由はない。


「営業成績トップの裏には、こんなドス黒い野望が渦巻いてたとかな。賄賂的なものまで受け取ってたらしいぜ? アホの極みだよな」


 酒の入った巻島が、隣でタバコを吸いながら管を巻いてきた。この分煙当たり前のご時世に店内喫煙OKの居酒屋なんて、どこから見つけてきたんだか。


 料理は美味い。


 厚揚げを一口食べた後、冷えた酒を喉に流しこむ。見れば巻島のグラスが空だったので、注ぎながら彼の相手をしてやることにした。


「本当、やるならもっと上手くやれって思うよね」


「上手くって、どういう方法よ?」


「さぁ?」


 こういうのは、適当に流してしまえばいい。


 民間企業の入札なんだ、所詮は裏で繋がっていた企業が勝つに決まってる。普通に入札し、その後価格改定とかすれば表沙汰には出てこない。


 なんて、今語る内容ではないな。


「では、宴もたけなわではございますが! 皆様明日もある身、今日はこの辺りで締めにして、明日以降の激務に備えるとしましょう! では、一本締めで締めたいと思います! よーぉっ!」


 パンッ! パチパチパチパチ……


 軽快に鳴り響く一本締めの後、僕達はこれからお世話になるアパートへと足を運んだ。会社から電車で一駅、遠くもなく近くもない、無難な距離だ。


 花桐さんが名古屋に来るのも明日だし、今日は素直に用意されたアパートへと戻り、とっとと寝てしまおう。


 ……そういえば、ユリカには今日からの支援のこと、何も伝えてなかったな。伝える必要もないと思っていたけど、今のユリカは行動が不審だ。


 いなくいなった僕を探す為に警察とか呼ばれても困るし、メールの一本くらいは入れておくか。


『今日から出張、一週間、帰らないから』


 すぐさま既読。

 秒で着信。

 眉間にシワが寄る。


 出たくない一心のまま、通話をタップした。


「悠君、出張なの?」


「うん、今も隣に巻島がいるよ」


 さっそく彼にも巻き込んで貰うとしよう。


 苦虫を噛み潰したような顔をした彼の肩を掴み、通話をビデオ通話に切り替えると、スマートフォンの画面には寝間着姿のユリカの姿が映し出された。


「わ……、ゆ、悠君、いきなりビデオ通話はダメだよ。す、すいません、身だしなみ整えてなくて」


 突然の切り替えに驚いたのか、ユリカは目を見開いて一歩後ずさった後、手ぐしで髪を整え、視線を逸らした。


「いえいえ、結婚式以来ですね。相変わらずお美しい。それじゃあ俺は離れますので、後は悠全と仲良くやって下さい。では」


 あ、巻島の奴、速攻で僕から離れやがった。


 まぁいいか、これで僕が出張だという証拠にはなるだろう。画面に視線を戻すと、淋しげな表情を浮かべたユリカが映し出されていた。


「出張なら、言ってくれれば良かったのに」


「……別に、言う必要もないだろ。僕の気持ちは既に伝えた、後はそっちがどう受け取るかだよ」


 離婚しよう。

 あの言葉は、心からの本音だ。

 何もない今なら、円満離婚のまま終われる。

 

 ユリカの浮気も。

 僕の浮気も。


 互いの胸の中だ。 


「……ねぇ、悠君」


「なに?」


「私もそっちに行っても、良い?」


 軽く溜息。

 

 まぁ、今のユリカなら当然こうなるよな。

 だからこそ、家では言わなかったまである。


「ダメ、泊まる所も独身専用のワンルームだから、ユリカは中に入ることは出来ないよ」


「でも、土日くらいなら、ホテルとか用意すればいいだけだし……」


 土日か。


 花桐さんが来るのは火曜から木曜日の三日間だから、土日ならユリカとバッティングすることもない。本当なら完全に突き放したいところだけど、その場合、家に学徒が来なくなる可能性もある。


「……わかった、いいよ」


 全ては僕の作戦成功のため。

 逡巡を悟られないよう、手早く返事をする。

 

「本当! 良かった、嬉しい……」


 けれど、ユリカは目を細めると、嬉し涙まで流し始めた。演技だとしたら主演女優賞ものだなと、皮肉を込めた嘲笑をユリカへと送り、通話を終了する。


 証拠ではないけれど、アパートのワンルームの写真もユリカへと送り、巻島を再度呼んで肩を組んだ写真を撮り、それも送りつけてやった。


 これで安心して学徒を家に呼ぶことだろう。

 安堵のまま眠りに付き、翌日を迎える。


 新しい環境での仕事は、それなりに新鮮で楽しくもあった。同じような事をしているのだけれど、営業とは人と人とのつながりだ。新たな人脈を築き上げる楽しみは、どこに行っても変わらない。


「いやぁ、新しい担当が有堂さんで良かったです。前の担当さんは、いなくなった今だから言えますけど、ちょっと鼻につくといいますか」


 そんな中、僕の担当になった顧客の一人から、前任者についての話を聞くこととなった。


 思えば僕も〝やらかした前任者〟ということしか教えてもらえていない。同じ会社であっても活躍の場が違ければ、顔も名前も分からないものだ。 


 教えて貰えたのは〝屋炭(やすみ)〟という苗字のみ。役職は僕のひとつ上の課長、まぁ、この課長代理と課長の間には、一般職と幹部という大きな差があるのだけれども。


「横柄と言いますか、ずっと上から目線だったんですよね。御社とは長い付き合いですから我慢してましたけど、いずれ他所に変えてしまおうかという話もあったぐらいでして……屋炭さん、何かやらかしたんでしょ?」


 今回の担当変更の件は、顧客には明らかにしていない。無難な返事しか出来ないでいると、向こうも察してくれたのか、やれやれと肩を下げる。


「では、この名刺はもう不要ということで、新たに有堂さんの名刺に差し替えておきますね」


 帰り際、顧客が取り出した一冊の帳簿。


 そこには会社ごとの担当営業の名刺が差し込まれており、その人は僕の前任である屋炭の名刺を抜き出したのだけれど。


「その名刺、僕が処理しても宜しいでしょうか?」


 見た瞬間、僕はこう言い出してしまっていた。


「え? ええ、構いませんが……ふふっ、なるほど、名刺を回収しなければならないような事をしてしまったのですね。はい、どうぞ有堂さん。きっちりと処分して下さいね」


「ありがとう、ございます」


 名刺を受け取り、名前を凝視する。


 屋炭(やすみ)学徒(がくと)


 こいつ……まさか、ユリカの浮気相手か?

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