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薄氷の恋 ――不倫した妻と僕を結ぶものは、罪悪感という名の感情、ただひとつ――  作者: 書峰颯


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第7話

「ようやく勇気を振り絞って離婚を切り出したのに、嫁さん最後まで承諾はしなかったってのか?」


 ユリカへと離婚を切り出した翌日、僕は毎度のこと巻島へと現状報告を行っていた。


 離婚しよう、そう伝えたものの、ユリカは頑としてそれを受け入れず。


『悠君なら、きっと時間が経てば元に戻ってくれるって信じてるから。愛し合っていた過去は変えられないし、私は今も昔も変わってない。例え悠君が変わったのだとしても、私は変わらないから』


 言いたいことだけを言うと、ユリカは僕の離婚宣言が無かったかのように振る舞い続けた。


 普段と同じように夕食を作り、僕のことをテーブルへと付くように誘う。もちろん、僕はその誘いに乗ることはなく、一人コンビニへと向かい、買ってきたものを食した。


 僕が家に帰るまで、ユリカも何も食べず。


 僕がテーブルに付きコンビニ弁当を食べ始めると、彼女は作った料理の全てを捨てた。


 以前なら怒り散らして部屋へと引きこもってしまうはずなのに、昨日のユリカはそれをせず。


 ご飯が終わった後も僕の側に座り、僕が見ていたサブスクの映画を一緒に観るといった、そんな有り様だ。


「まるで、悠全がDVしてるみたいだな」


 DV、家庭内暴力。

 そう言われると、そうなのかもしれない。

 だけど、原因を作ったのは間違いなくユリカだ。


「それで? 亭主関白な悠全君としては、それでも浮気をしている嫁さんを許せないんだろ? 自分も浮気をしているのに」


 いつもの通り、煙をぷかぷか浮かせながら巻島は語った。今日は風が無いせいか、彼が吐いた煙が円を描き、そのままふわふわと浮かんでいる。


 僕は円になった煙を、ぴっと、指で斬った。


「言い方が酷いな、そもそも僕に浮気を進言したのは巻島だろ?」


「ははっ、まぁ、そうなんだけどな。それにしても相手が受け入れないとあっては、これから先ちょっと面倒なことになりそうだな」


「面倒なこと?」


 斬られた円の煙へと、彼は息を吹きかける。

 崩れた煙は霧散し、どこかへと消えてしまった。

 息を整えると、喫煙所の柵へと彼は寄りかかる。


「協議離婚が成立しない可能性が高いってことだろ? あまり詳しくはないが、家庭裁判所に頼らざるを得なくなるってことだ。そうすると、悠全の浮気も明らかになる可能性が高いし、花桐さんにも被害が及ぶ可能性が浮かんで来る訳だから——」


「花桐さんの存在は、僕の口からは絶対に伝えないよ」


「……お前が言わなくても、どう考えても嫁さんが把握してるんだ、いずれ花桐さんは巻き込まれるさ。むしろ、彼女が本気で悠全を愛しているのなら、巻き込まれることが本望かもしれないがな」


 そうだとするのならば、僕は嬉しいだけだ。

 

「それで? 花桐さんとは連絡を取ったのか?」


 彼の言葉に、僕は首を横に振った。


 この状況下で、彼女に連絡を取ることはリスキー過ぎる。


「そうか、とりあえず悠全が一歩を踏み出したんだ。そのことぐらいは報告しておいた方がいいんじゃないか? それと、これは別の話になるんだが」


 根本まで吸いきったタバコを灰皿へと押し当てると、巻島は僕の肩をぽんっと叩いた。


「昨今、西の方でやらかしがあったみたいでな、不正取引を行っていたバカがいたとかで、営業部門を建て直さないといけなくなるらしい」


「それは僕も知ってるけど……え、まさか」


「そのまさかだよ。喫煙所で部長と話をしたんだが、俺と悠全、他数名が支援に行くことが決まったらしい。異動ではなく支援だからな、嫁さんと距離を置くって意味でも、悠全からしたら丁度いい機会だと、俺は思うんだがな」


 ぽんぽんと僕の肩を再度叩くと、巻島は喫煙所から姿を消した。


 喫煙所会議では業務の裏話が聞けると噂にはなっていたけど、人の人事まで情報が漏れているのは、正直どうかと思う。


 でもまぁ、それを議論するのに喫煙所というのは、全くもてナンセンス過ぎる話だ。

 

(単身赴任か……)


 しばらくの熟考。

 そして無言のまま、スマートフォンを手に取る。


 Limeを起動させると、シークレットモードを解除し、二週間ぶりに花桐さんの名前を表示させた。


 花桐さんのスマートフォンも、僕のことはシークレットへと設定されている。メッセージを送っても彼女へと通知が伝わることはない。


(このメッセージを送ったとて、返事がいつになるのか。でも、僕達の安全の為なのだから、これはやむを得ないことだ)


 お互いを思わない限り、メッセージが届いたことすら分かることはない。最悪、このまま花桐さんとはお別れになる可能性だってある。


 そういうレベルの設定だったのだけど。


『連絡を頂けて、心の底から嬉しかったです』


 驚くべきことに、花桐さんからの返事は、メッセージを送った僅か数分後に、僕のスマートフォンへと届いていた。


 つまり、彼女も僕からのメッセージが来ないか見ていたということになる。


 思わずニヤけそうになる頬に、ぐっと奥歯を噛み締め、気合と共に精神を整える。


 今日の午後五時、定時で上がった後、連絡を取りたい。そう伝えると「わかりました♡」と、可愛らしい踊るハートマークと共にすぐさま返事が来た。


 どうやら、僕の頬はすぐに緩んでしまうらしい。


 その後も「ありがとう♡」というスタンプが送られてきたので、僕もスタンプで返し、再度シークレットモードへと設定を変える。


 午後の仕事は、必要以上に気合が入った。

 そして巻島の言う通り、僕の人事が発令される。


 名古屋への三ヶ月間だけの支援。


 とはいえ結婚している僕への配慮か、隔週での支援という形を告げられた。僕個人としては三ヶ月缶詰でも良かったのだけど、上が決めたことだ、受け入れるしかない。


 仕事が終わった後、僕は自宅へは向かわず、会社へと一人残った。無人の会議室へと足を運ぶと、誰もいないのを確認し、花桐さんへと連絡を入れる。


 プルルルルルル……


 コールの音を聞くと、ややもって緊張してしまう。


 出てくれるのだろうか? いや、間違いなく出てくれるのだろうけど、一秒でも早く出て欲しいと思い願ってしまう。


 恋い焦がれるとはこのことかと、鳴り響くコール音と共に、自分の頬を指で軽く掻いた。


「悠全さん」


 電話に出た声は、間違いのない花桐さんの声だ。

 二週間以上聞けなかった最愛の人の声。

 笑顔だった顔がより一層笑顔に変わる。


「名古屋、ですか?」


 僕は彼女へと、自身の支援についての話をした。その意図こそ語らなかったけれど、花桐さんはそこから全てを察知してくれたらしい。


「ということは、一緒に来て欲しい、ということですよね?」


「……可能ならば」


 子供じみた内容だとは思う。


 会社都合での名古屋行きなのだから、そもそも恋人を連れ込んではいけない。というか、僕は結婚しているのだから、不倫なんて犯罪行為、会社が認めるはずがない。


 だから、一緒に来て欲しいと言っても、花桐さんは別に家を借りることになるだろうし、いろいろと不便な思いをさせてしまうことは確定だけど。


 それでも、一緒にいたい。

 ユリカの目の届かないところ。

 その場所で、花桐さんとの時間を。


「……わかりました」


 時間にして僅か一分弱程度で、彼女は答えを出してくれた。


 嬉しくてその場で一瞬ジャンプしてしまったけれど、それを見ている人は誰もいない。叫びたいぐらいに嬉しかったけど、さすがにそれは控えた。


「いつ、お引越しなさるのですか?」


 引っ越しと言っても隔週での支援だ。

 移動するのはこの身一つ。


 ユリカに悟られないように着替えだって赴任先で購入すればいい。問題は花桐さんの住居だけど。


「さすがにずっとは無理なので、三日間だけ、一緒に過ごしたいと思います。三日くらいならビジネスホテルで充分ですし、私の離婚に影響は無いと思いますので……」


 とんでもワードが出てきて、驚きと共に質問する。


「離婚、するの?」


「……一応、そのつもりです」


 花桐さんの声が弾んでいる。

 僕も嬉しくて、何度も確認してしまった程だ。


 僕達が一緒になれる時が近づいている。

 嬉しくて、やっぱり僕の頬がニヤける。


 どうやら今日一日、僕の頬は緩みっぱなしらしい。


「悠全さん」


 喜びの中、彼女は言った。


「早く、悠全さんに会いたいです」


 それは僕の言葉だと、彼女に伝える。

 なぜ先に花桐さんと出会わなかったのか。


 神様はきっと、とんでもなく意地悪なのだろう。

 そう思えてしまって、しょうがない。

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