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薄氷の恋 ――不倫した妻と僕を結ぶものは、罪悪感という名の感情、ただひとつ――  作者: 書峰颯


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第5話

 日曜日の午前中から、都内の公園へと向かう。

 普通の夫婦ならば、とても自然なことだ。


 だけど、僕達は違う。

 僕達は互いに浮気をしている。


 デートなどではなく、離婚話をしている方が普通とまで言えるぐらいに、僕達の関係は冷え切っている、そのはずなのに。


「最近、悠君と出かけてないなって、思っただけ」


 なぜ、公園に行くのかを尋ねると、ユリカは〝それくらい夫婦なら当たり前でしょ?〟という理由を述べてきた。


 長い黒髪を左肩から前におろし、胸の前でひとつにまとめる。運転席に座る僕から顔がよく見えるようにと、昔ユリカがしてくれていた髪型だ。


 着ている服もそう、僕の見覚えのある服ばかり。 

 意図的に昔を意識させているように見える。


 だとしても、その理由が見えてこない。

 今更ユリカが僕に媚びる?

 一体何の為に?


 必要以上に警戒心が高まるも、彼女は僕のことなんか一切気にしない感じで、膝の上に乗せていたリュックの中身について語り始めた。

 

「今日ね、お弁当作ってきたんだ」


「……そうなんだ」


「最近、悠君食べれるようになったみたいだしね」

 

 何食わぬ顔のままで語る彼女を見ていると、沸々と殺意のような感情が顔を覗かせそうになる。


 一体、誰のせいでご飯が食べられなくなったというのか。なぜ原因が自分じゃないと思えるのか。さも自分は関係ないといった態度を取れるのは何なのか。なぜ浮気をしているのか。学徒という男は一体誰なのか。なぜ僕に隠れて家に呼んだのか。


 口を開けば罵声が飛び出しそうになる。

 だけど、今の僕にそれを問う資格は無い。


 頭で理解し、心で葛藤する。 

 ギリギリのライン。


 花桐さんがいなかったら、きっと僕はアクセルを全開にし、どこかの壁へと激突していたことだろう。

 

 それを押し留めるのは、ユリカへの罪悪感ではなく、花桐さんと描けるであろう明るい未来だ。


「ユリカの作るご飯は、美味しかったからね」


 過去形ではあるものの、心にも無いことを口にすると、彼女はそれをどういう風に受け止めたのかは知らないが、なぜか笑顔を作った。


 僕達の会話に、真実がない。

 それを、ユリカも分かっているはずなのに。


「紅葉、綺麗だね」


 昨日と同じ道を、ユリカと共に歩く。


 先週花桐さんと一緒に行った山に比べたら、ここの公園の紅葉は全然物足りない。


 ぽつん、ぽつんと植えられている木々が染まる程度で、中には青葉まであるのだから、紅葉と言えるか微妙だ。


 本音を言えば楽しくない。


 花桐さんの言う通り、僕はもう、ユリカを愛していないんだろうなって、なんとなく分かる。


「すいません、ここでテントを借りれるって聞いたんですけど、借りること出来ますか?」


 ユリカが質問するも、公園の管理人の視線は僕へと向けられていた。


 ——お前、昨日違う女を連れていたよな?

 

 言葉には出ていないけど、目を見れば分かる。

 だから、僕は何も言わず。


 全ての対応をユリカへと任せた後、昨日と同じ場所へと行き、テントを広げた。

 

「へー、結構広いんだね」


 ここまで、全てが昨日の模写だ。


 何も言わないけど、恐らくユリカは僕と花桐さんの後を尾行したか、探偵でも依頼していたのだろう。


 だとしても、目的が分からない。

 僕の浮気を咎めるのであれば、咎めればいい。

 話をしたいのならどこまでも付き合うつもりだ。

 

 なのに、ユリカはそれらをせず、ただ単に僕とのデートを楽しもうとしている。無邪気を装い、笑みを絶やさず、良い妻を必死に演じている。


 その行動にはもう、何の意味も無いのに。

  

「悠君は明太子おにぎり好きだったもんね。だから私、たくさん作ってきたんだ。他にも、大きいハムカツとか、昆布の和え物とか……」


 ユリカが作ってきたお弁当は、僕の好みのものばかりだった。


 重箱みたいなお弁当箱に、二人分にしてはやたら多い料理の数々が詰められていて。そのひとつを箸で摘むと、ユリカは僕の口元へと差し出す。


「悠君、あーん」


 昨日、見てたんだぞ。

 言葉にしない悪意。

 まったくもって不愉快だ。


 食べるべきなのだと、頭で理解出来る。

 僕がしていることが間違いだって、分かる。


 でも、悪いのは僕だけじゃない。

 そもそも先に浮気をしたのはユリカじゃないか。


 口を開けるなんてこと。

 出来るはずがない。


「……食べてよ」


 沈んだ声が、耳に突き刺さる。

 ここにきて、ユリカの顔から感情が消えた。

 ジトリとした目で、彼女は僕へと箸を向ける。


「食べれるでしょ、食べてよ」


「……無理」


「なんで」


 あの女のは食べてたでしょ。

 声にならない声が聞こえてくる。


 でも、食べることが出来ない。

 身体が、心が拒否をしてしまっている。

 ユリカの行動全てが、悪意にしか感じられない。


 問いただしたいことが山程ある、それをしないだけでも褒めて欲しいくらいなのに。


 無言。


 互いに何も言わずにいると、ユリカはお弁当箱の蓋を閉め、リュックへと戻す。


 恐ろしいくらい丁寧に、静かに収納を終えると、彼女はそれを背負い立ち上がった。


「帰る」


 テントから出て、そのまま一人歩き始め、公園からどこかへと姿を消す。


 追いかけるべきなのだろう。

 だけど、僕は彼女を追いかけることはせず。


 一人テントを片付けた後、車に戻り、そのまましばらく横になった。



「それで? 家に帰った後、放置されていた弁当箱を自分で洗ったってのか? なんか嫁さん、完全に被害者ムーブだな」


 翌日に土日の件を巻島へと伝えると、彼は呆れた感じにモノを言い、いつも通りに煙を吐いた。


 普通に考えたらユリカが謝罪するのが筋なのだろうに、なぜ僕が責められないといけない。


 昨日の夜から今朝までユリカは一言も喋りかけてこなかったし、イライラしているのか扉を必要以上に大きな音で閉めたりしている。


 ただただ面倒。

 出来ることなら別居したい。


「でもまぁ、良かったんじゃないか?」


「良かった?」


「嫁さん、悠全の浮気に嫉妬したってことだろ?」


 彼は火のついたタバコを僕へと向けると、どこか楽しそうに口角を上げる。


「嫉妬、つまり嫁さんは悠全のことを愛しているってことだ。本当なら問い正したい、だけどそれが出来ない。そりゃイライラもするさ」


 はははと空笑いした後、彼は再度タバコを口へと咥えた。本当に美味しそうにタバコを吸いながら、ゆっくりと煙を吐く。


「後はただ、お前が遊びにケリを付けられるかどうかだな。嫁さんは既に後悔真っ最中だ、許すなら今だぜ? それとも、完全に見切りをつけるか?」


 許すなんてこと、出来そうにない。

 完全に見切りをつける。 

 きっとそれが正解だ。


「そうか……ちなみに、花桐さんとは? また土曜日に会うのか?」


 彼の質問に、僕は首を横に振った。

 日曜日の件はもちろん彼女にも伝えてある。


『多分、尾行されていたのでしょうね。ごめんなさい、せっかく有堂さんが気を使ってレンタカーを用意してくれたりしていたのに……』


 心の底から申し訳なさそうに謝罪してくる。

 花桐さんのせいじゃない、悪いのはユリカだ。


『実は、私の方も旦那が感づいてきたのか、ちょっと穏やかじゃない雰囲気なんです。これを契機に離婚まで持ち込めたら良いんですけと』


 離婚したら、一緒になりたい。


『私も、有堂さんと一緒になりたいです。大丈夫になったらまた連絡します。それまで、お互いにしばらく辛抱ですね。……愛しています、悠全さんも、お気をつけて』


 本音を言えば会いたい。

 でも、いま会うのは駄目だ。

 会ったら僕達の方が悪者になってしまうから。

 

「なんて言うか、すまなかったな」


 巻島はタバコを灰皿へと押し付けると、ぽつりと謝罪してきた。


「復縁するにしても離婚するにしても、俺は悠全の味方だからよ。ただ、嫁さんの味方する訳じゃあないんだが」


 ぽりぽりと頭を掻いた後、彼はその手をポケットへと突っ込む。 


「嫁さん、浮気し、浮気されながらも悠全との離婚を選択しなかったんだろ? それともう一つ、悠全、お前が嫁さんの浮気に気づいたのに離婚を選択しなかったこと。そこら辺をもう一回、考えた方が良いと思うんだよな。……それと、夢中になっていて悠全が気づいていないと思うんだが」


「僕が気づいていないこと?」

 

「……花桐マヤって名前、偽名なんだろ? 本名を悠全に明かしていないってことは、彼女もまだ何か隠してると、俺は思うんだよな」


  眉をハの字にしながら、男は喫煙所を後にした。


 花桐さんの本名。

 確かに、僕は彼女の本名を知らない。

 でも、それは聞かなかっただけのこと。


 聞けば教えてくれる。

 些細な問題にしか過ぎないさ。

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― 新着の感想 ―
ここまではカクヨムの近況ノートで先行公開されていた時に読んでいたので 6話以降から新規パートの始まりですね ここから泥沼になるのか、それとも… ただ、こういうジリジリした間合いでお互い斬り込んでいか…
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