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薄氷の恋 ――不倫した妻と僕を結ぶものは、罪悪感という名の感情、ただひとつ――  作者: 書峰颯


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最終話

 巻島に子供がいる。

 二歳の女の子と言っていた。


 デスクへと戻った僕は、人事部長代理という特権を利用し、人事データの閲覧を開始する。


 出向先から帰任した巻島のデータだって、今の僕なら閲覧が可能だ。


(巻島の奴、なんか凄い基本給高いな……)


 さすがに僕よりかは少ないけど、役職と金額が既定値よりも遥かに高い。どういった事情があったのかは知らないけど、これは異常だ。


 でも、今回の目的はそこじゃない。

 巻島の扶養家族。


(巻島悟……巻島マヤ、本当だ、結婚してる)


 そして、その一段下の欄。


(……巻島悠舞、生年月日……)


 確認し、自らの口を手で隠す。

 生年月日から十月十日を引く。

 その日付は間違いなく、あの日を指し示していた。





「ただいま」


「悠君、お帰りなさい」


 重い足取りのまま、帰宅する。


 もう随分とお腹の大きくなったユリカとキスをして、お腹の子にも「ただいま」と言ってから、僕はリビングへと向かった。

 

 三年前の出来事。

 名古屋での一夜。


「悠君、ご飯用意出来てるけど……どうしたの?」


「ユリカ……」


 伝えるべきか悩んだ。


 安定期に入っているとはいえ、今の妊娠中のユリカに負担は掛けたくない。


 でも、逃げられる問題じゃないと思う。

 逃げるなんて選択肢、ある訳ないじゃないか。


「ユリカ……巻島って、覚えてるか?」


「巻島、悟君? うん、覚えてるけど」


「アイツ、結婚したらしい」


「え、そうなんだ。それは初耳」


「それで……相手が、マヤなんだ」


 夕食を並べ終えると、ユリカは僕の隣へと座った。


「マヤさんか……それも初耳だし、ちょっと意外だったかも。でも、悠君が落ち込んでる理由って、きっとそこじゃないよね?」


 どうやら、分かってしまうらしい。

 隠し事が下手なんだろうな。


「実は、子供がいるみたいでさ」


「子供? 悟君とマヤさんに?」


「うん。ただ、その……生年月日が」


 十月十日を逆算すると、その日付はあの冬の日を指し示していた。


 僕がマヤと不倫し、名古屋で一泊したあの日を。 


「ちょっと、驚きかもね」


 もう、何もかも終わったと思っていた。

 既に僕の中でも過去の出来事だったのに。


「ねぇ、悠君」


 ユリカは僕の手を握りしめ、自らのお腹へと乗せる。


「実はね、悠君にはずっと隠していたことがあったの。でも、マヤさんが悠君の子供を産んだのなら、これは言わないといけない事だと思う」


「僕に、隠していたこと?」


「実はね悠君、私とマヤさんと悟君の三人は、三年前、悠君を騙す為に、一緒に行動していたんだよ」


「僕を、騙す為に?」


「ちょっと長くなるから、ちゃんと聞いてね」


 ユリカが教えてくれたこと。 

 それは僕の全く知らないことだった。


 ユリカと屋炭の関係、マヤと僕の出会いが仕組まれていた事実、そして、巻島とユリカのことをマヤが裏切ったということ。


「そんな……それじゃあユリカは全然悪くないじゃないか、どうして言ってくれなかったんだ」


「ごめん、言えなかった」


 屋炭と関係があった二年間という時間は、脅迫されたというだけでは説明が付かない。


 間違いなくユリカは心のどこかで、屋炭との関係を受け入れてしまっていたのだろう。


 古傷が、今更になって疼く。

 でも、もうそれは終わったこと。

 終わったことなんだ、ほじくる必要はない。


「それと、マヤは間違いなく本気だった」


「うん、だからあの日、私は悠君との別れを覚悟していたの。でも、私たちを裏切った理由も、これで納得出来る。マヤさんは悠君の子供を妊娠した、だから私たちを裏切った」


 そして、それを知らない僕は。

 妊娠したマヤとの別れを、選択してしまった。


「……ねぇ、悠君」


 頭の中が、久しぶりにごちゃごちゃだ。

 何をどう考えても、まとまらない。


「悠君は、どうしたいの?」


「……僕?」


「うん、だって、その子は間違いなく、悠君の子供なんでしょ?」


 間違いなく僕の子供だ。

 でも、一体どうやって。


「悠君」


 もう一度、ユリカは僕の名を呼んだ。


「今の悠君なら、全部まとめて面倒見ること、出来るんじゃないかな?」


 全部まとめて面倒を見る?


「……どういう意味?」


「だから、悟君一家も全部一緒になっちゃえば、それでその子もウチに来るんじゃないかなってこと。だってその子は、間違いなく悠君の子供なんだからさ。離れているのは、やっぱりダメだよ」


 確かに、今の僕なら全員を養おうと思えば養えるだろう。それに巻島だっているんだ、共同生活という形を取れば、金銭的負担は無いと言っても良い。


「でも、ユリカはそれでいいの?」


 僕とマヤの子供が一緒にいる。

 それはユリカにとって苦痛でしかないはずなのに。


「私は平気、むしろマヤさんとの不倫なら、既に認めていたようなものだし。それに今の悠君は、私のことを裏切ったりしないでしょ?」


 裏切るはずがない。

 例えマヤが一緒にいようが、僕はユリカを選ぶ。


「それにさ、私もそろそろ出産を考えないといけないし、家のことを見てくれる人がいると助かるなーって、思っちゃったりしてね」


「ユリカ……」


「だからさ、巻島家、ウチに誘っちゃおうよ」


 僕は、まだまだ自分の奥さんの事を知らないらしい。

 どれだけ器が大きいのか。

 どれだけ心が広いのか。

 

 そして、どれだけ嘘が上手なのか。





「巻島、ちょっといいか」


 後日、僕はいつも通り巻島へと声を掛けた。

 怯えた目をした彼だったけど。


「一緒に住む、俺とか?」


 要件を伝えると、素直に驚いた表情を見せてくれた。


「うん、奥さんと子供も、全員ウチにね」


「……お前、本当にその言葉の意味理解してるんだよな? それがどういう意味か、分かって言ってるんだよな?」


「当然、何もかもユリカに聞いたからね」


 今の巻島の心境を、推し量ることは出来ない。

 それなりの覚悟をしてマヤと一緒になった。

 もちろん、そんな彼の覚悟を否定するつもりもない。 


 というか、むしろ感謝だ。


 巻島がいなかったら、今頃マヤと悠舞は、母子家庭として過ごしていたのだろうから。


 それに、こうして巻島が現れてくれなかったら、僕は悠舞の存在すら知ることが出来なかった。

 

 自分の子供なのに存在すら知らないとか。

 そんなの、悲しすぎるに決まってる。

 

「そうか……ただ、一度マヤと相談させて欲しい」


「うん、その方が良い」


「それに、さすがにいきなり引っ越して悠全たちと暮らすとなると、それなりに覚悟が必要になると思う。それがどれぐらいになるのかは、何とも言えないところなんだが……」


「全然、いつだって構わないよ」


「……拒否権は、無さそうだな」


「当然、理由は言わずもがな、でしょ?」


 どう転んでも悠舞は僕の子供なんだ。 

 ただ、今更二人から奪うつもりもない。


 二人にとっても、悠舞は必要な存在なんだ。


 悠舞がいなくなってしまっては、二人はきっと即座に離婚してしまう。


 だからこそ、家族一緒に。

 全ては子供のため。


 さすがはユリカだと、言わずにはいられないな。





 話をしてから数日後、僕たちは一度顔合わせをすることとなった。


「本当に、申し訳ありませんでした」


 マヤは僕たちと会うなり、開口一番で謝罪した。

 レストランだというのに、三つ指まで着いて。


「そんな、顔を上げて下さい」


 ユリカが手を掛けるも、それは変わらず。


「上げれません、私はお二人に内緒で出産し、しかも顔の傷まで負わせてしまった。これは謝っても謝りきれる問題じゃないんです」


「顔の傷は関係ないです。むしろその点だけで見れば、マヤさんは私の命の恩人じゃないですか」


「でも、子供の件は」


「マヤ、悠舞が見てる。子供の前で親が頭を下げるのは、あまり良いことじゃないよ」


 まだ二歳、でも、子供の記憶力は凄いから。

 それにしても可愛いな、瞳まんまるだ。 


「悠全の言う通りだ、マヤ、椅子に座ろう」


 巻島に支えられ、ようやくマヤは席へと着いた。

 顔は俯いたまま、でも、そのままで構わない。

 

「さて、顔合わせも済ませたことだし、これからの生活についての相談をしたいと思うんだけど」


 言いながら、僕は家の図面を取り出し、テーブルへと開いた。


「今の僕達の家は二階に四部屋あるんだけど、さすがにそれだけで二世帯住宅は厳しい。だから、この庭部分に増築して、そこに巻島家が住むようにすればいいかなって思うんだけど、巻島はどう?」


「俺は別に何でも構わない。マヤもそちらの都合に合わせると言っている」


「そんな、固くならなくていいですから。悟君もマヤさんも、自分たちの家なんですよ? 希望することを何でも言って大丈夫ですから。それに今の悠君、給料だけは高いから、ね」


 さすがに家一軒建てるだけの貯蓄は無いぞ?

 そこは巻島にも協力して貰う予定だけどさ。


「……なら」


 ずっと塞ぎ込んでいたマヤが、口を開いた。


「このままだと増築と言いながら、玄関も別、お風呂キッチン、何もかも別の完全二世帯住宅となってしまっておりますので、それは止めていただきたいと思います」


「……と、いうと?」


「一緒で良いと、思います。なので増築するのなら、部屋だけで充分です。その方が、ユリカさんと一緒にご飯作ったり、いろいろと出来ますし、それに……」


 マヤの目が、僕へと向けられる。

 好感っていうのは、言葉は不要なんだな。


「一緒に映画を観たりも出来るし、子供達もその方が垣根無く遊べていいって事だよね。じゃあそうしようか。早速発注を掛けるけど、それでも出来上がるまでにそれ相応の時間が掛かるだろうから、それまでは……」


 みんなの視線が、僕へと向けられている。 

 中でも一番熱い視線が、悠舞ちゃんだ。


「僕の家で、全員過ごそうか」


 めちゃくちゃ狭いと思うけどね。

 でも、一緒になるなら早い方がきっと良いから。


「悠全」


 巻島と一緒に暮らす。

 まさか、こんな日が来るとはね。


「ああ、これからも宜しく……悟お兄ちゃん?」


「……は? なんでお兄ちゃんなんだよ」


 だって、マヤと僕の子供がいるんだろ? そのマヤと結婚してるってことは、巻島も血縁にも近しいってことなんじゃないのか?


 どれだけ考えてみても、適当な言葉は存在しない。

 不倫とか托卵とか、法律で認められてないからね。


「でも、いい響きだな」


「何が?」


「悠全、もう一回呼んでくれないか?」


「は? 嫌だよ、面倒くさい」


「そう言わずに、ほら、お兄ちゃんって言っていいんだぞ? 何、恥ずかしがることはない」


「ああ、ごめん、もう二度と言わない」


「なぜだ? 俺の方が早生まれなんだ、お兄ちゃんで問題ないんだぞ? さぁ悠全、弟よ、全力でお兄ちゃんに甘えてくるといい」


 なんだか良く分からないけど。


「ふふっ、あはは」


「うふふっ、二人とも、おかし」


 ユリカもマヤも、気づけば笑顔になっているし。

 

 それに。


「なぁ、悠舞ちゃん、抱っこしてもいい?」


「ああ、構わないぞ……ほら、悠舞」


 抱きかかえると、悠舞は、お人形のように可愛い僕の娘は、天使のように微笑み、僕の頬に触れる。


「……おじちゃん」


「ん?」


「ユマと、あそぶ?」


「……うん、遊ぼうか。何がしたい?」


「うーん、ブロック、あそぶ?」


「分かった、じゃあ今度、悠舞ちゃんの為にブロック沢山用意しておくからね」


 こんなにも可愛い子供が増えるのだから、僕としても嬉しい限りだ。


 これからの生活、人様に言えるような生活スタイルじゃないのは確かだけど、それでも、僕たちは間違いなく幸せになれる。


「悠君」


「うん、ユリカも」


「あは、本当、悠君そっくりだ。これは間違いなく美人さんになっちゃうね」


「びじん?」


「うん、美人さん。おばちゃんもママと一緒に、悠舞ちゃんを綺麗にしてあげるからね」


「うん!」


 どう転んでも幸せしかない。

 それは、間違いのないことなんだ。





 こうして、僕たち四人は、共に生活する道を選んだ。


 ユリカの子供も生まれ、その後マヤもまた妊娠したりなど、とても平和で、だけどあり得ないぐらい賑やかな日々を過ごしている。


 ユリカは以前、薄氷の上でダンスを踊るような恋が好きと言っていたけど、薄氷の上でダンスを踊っていたのは、彼女だけではなかった。


 僕もマヤも、巻島だって、薄氷の上にいるような、とても不安定な状態で、恋愛を楽しんでいたのだと思う。


 楽しむという言葉が適切なのかは分からない。


 でも————



「悠全、バーベキューの用意出来たぞ」


「ゼン君はピーマン好きなんでしたっけ?」


「うん、悠君は野菜系全部大好きだね。あ、全華(ぜんか)! 悠舞お姉ちゃんのお人形返しなさい! もう、悠君からも言ってやってよぉ」



 ————今の僕たちは、間違いなく幸せなのだから、きっと、楽しかったんだと思う。

 

 これからも、ずっと。

 それは、永遠に普遍なものだ。


「お父さん、何してるの?」


「ん? ああ、これは日記を書いてるんだよ」


「日記?」


「そう、全華も大きくなったら書くといい。見返す度に、嬉しい気持ちが何度でも味わえるからね」


「わかった! じゃあ悠舞姉にも教えてくる! 悠舞姉ー! 日記ー!」


 本当に、何もかも幸せだ。

 これからも、永遠に。




————


八時にEpilogueを投稿します。

最後までお付き合いのほど、宜しくお願いいたします。

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