最終話
巻島に子供がいる。
二歳の女の子と言っていた。
デスクへと戻った僕は、人事部長代理という特権を利用し、人事データの閲覧を開始する。
出向先から帰任した巻島のデータだって、今の僕なら閲覧が可能だ。
(巻島の奴、なんか凄い基本給高いな……)
さすがに僕よりかは少ないけど、役職と金額が既定値よりも遥かに高い。どういった事情があったのかは知らないけど、これは異常だ。
でも、今回の目的はそこじゃない。
巻島の扶養家族。
(巻島悟……巻島マヤ、本当だ、結婚してる)
そして、その一段下の欄。
(……巻島悠舞、生年月日……)
確認し、自らの口を手で隠す。
生年月日から十月十日を引く。
その日付は間違いなく、あの日を指し示していた。
☆
「ただいま」
「悠君、お帰りなさい」
重い足取りのまま、帰宅する。
もう随分とお腹の大きくなったユリカとキスをして、お腹の子にも「ただいま」と言ってから、僕はリビングへと向かった。
三年前の出来事。
名古屋での一夜。
「悠君、ご飯用意出来てるけど……どうしたの?」
「ユリカ……」
伝えるべきか悩んだ。
安定期に入っているとはいえ、今の妊娠中のユリカに負担は掛けたくない。
でも、逃げられる問題じゃないと思う。
逃げるなんて選択肢、ある訳ないじゃないか。
「ユリカ……巻島って、覚えてるか?」
「巻島、悟君? うん、覚えてるけど」
「アイツ、結婚したらしい」
「え、そうなんだ。それは初耳」
「それで……相手が、マヤなんだ」
夕食を並べ終えると、ユリカは僕の隣へと座った。
「マヤさんか……それも初耳だし、ちょっと意外だったかも。でも、悠君が落ち込んでる理由って、きっとそこじゃないよね?」
どうやら、分かってしまうらしい。
隠し事が下手なんだろうな。
「実は、子供がいるみたいでさ」
「子供? 悟君とマヤさんに?」
「うん。ただ、その……生年月日が」
十月十日を逆算すると、その日付はあの冬の日を指し示していた。
僕がマヤと不倫し、名古屋で一泊したあの日を。
「ちょっと、驚きかもね」
もう、何もかも終わったと思っていた。
既に僕の中でも過去の出来事だったのに。
「ねぇ、悠君」
ユリカは僕の手を握りしめ、自らのお腹へと乗せる。
「実はね、悠君にはずっと隠していたことがあったの。でも、マヤさんが悠君の子供を産んだのなら、これは言わないといけない事だと思う」
「僕に、隠していたこと?」
「実はね悠君、私とマヤさんと悟君の三人は、三年前、悠君を騙す為に、一緒に行動していたんだよ」
「僕を、騙す為に?」
「ちょっと長くなるから、ちゃんと聞いてね」
ユリカが教えてくれたこと。
それは僕の全く知らないことだった。
ユリカと屋炭の関係、マヤと僕の出会いが仕組まれていた事実、そして、巻島とユリカのことをマヤが裏切ったということ。
「そんな……それじゃあユリカは全然悪くないじゃないか、どうして言ってくれなかったんだ」
「ごめん、言えなかった」
屋炭と関係があった二年間という時間は、脅迫されたというだけでは説明が付かない。
間違いなくユリカは心のどこかで、屋炭との関係を受け入れてしまっていたのだろう。
古傷が、今更になって疼く。
でも、もうそれは終わったこと。
終わったことなんだ、ほじくる必要はない。
「それと、マヤは間違いなく本気だった」
「うん、だからあの日、私は悠君との別れを覚悟していたの。でも、私たちを裏切った理由も、これで納得出来る。マヤさんは悠君の子供を妊娠した、だから私たちを裏切った」
そして、それを知らない僕は。
妊娠したマヤとの別れを、選択してしまった。
「……ねぇ、悠君」
頭の中が、久しぶりにごちゃごちゃだ。
何をどう考えても、まとまらない。
「悠君は、どうしたいの?」
「……僕?」
「うん、だって、その子は間違いなく、悠君の子供なんでしょ?」
間違いなく僕の子供だ。
でも、一体どうやって。
「悠君」
もう一度、ユリカは僕の名を呼んだ。
「今の悠君なら、全部まとめて面倒見ること、出来るんじゃないかな?」
全部まとめて面倒を見る?
「……どういう意味?」
「だから、悟君一家も全部一緒になっちゃえば、それでその子もウチに来るんじゃないかなってこと。だってその子は、間違いなく悠君の子供なんだからさ。離れているのは、やっぱりダメだよ」
確かに、今の僕なら全員を養おうと思えば養えるだろう。それに巻島だっているんだ、共同生活という形を取れば、金銭的負担は無いと言っても良い。
「でも、ユリカはそれでいいの?」
僕とマヤの子供が一緒にいる。
それはユリカにとって苦痛でしかないはずなのに。
「私は平気、むしろマヤさんとの不倫なら、既に認めていたようなものだし。それに今の悠君は、私のことを裏切ったりしないでしょ?」
裏切るはずがない。
例えマヤが一緒にいようが、僕はユリカを選ぶ。
「それにさ、私もそろそろ出産を考えないといけないし、家のことを見てくれる人がいると助かるなーって、思っちゃったりしてね」
「ユリカ……」
「だからさ、巻島家、ウチに誘っちゃおうよ」
僕は、まだまだ自分の奥さんの事を知らないらしい。
どれだけ器が大きいのか。
どれだけ心が広いのか。
そして、どれだけ嘘が上手なのか。
☆
「巻島、ちょっといいか」
後日、僕はいつも通り巻島へと声を掛けた。
怯えた目をした彼だったけど。
「一緒に住む、俺とか?」
要件を伝えると、素直に驚いた表情を見せてくれた。
「うん、奥さんと子供も、全員ウチにね」
「……お前、本当にその言葉の意味理解してるんだよな? それがどういう意味か、分かって言ってるんだよな?」
「当然、何もかもユリカに聞いたからね」
今の巻島の心境を、推し量ることは出来ない。
それなりの覚悟をしてマヤと一緒になった。
もちろん、そんな彼の覚悟を否定するつもりもない。
というか、むしろ感謝だ。
巻島がいなかったら、今頃マヤと悠舞は、母子家庭として過ごしていたのだろうから。
それに、こうして巻島が現れてくれなかったら、僕は悠舞の存在すら知ることが出来なかった。
自分の子供なのに存在すら知らないとか。
そんなの、悲しすぎるに決まってる。
「そうか……ただ、一度マヤと相談させて欲しい」
「うん、その方が良い」
「それに、さすがにいきなり引っ越して悠全たちと暮らすとなると、それなりに覚悟が必要になると思う。それがどれぐらいになるのかは、何とも言えないところなんだが……」
「全然、いつだって構わないよ」
「……拒否権は、無さそうだな」
「当然、理由は言わずもがな、でしょ?」
どう転んでも悠舞は僕の子供なんだ。
ただ、今更二人から奪うつもりもない。
二人にとっても、悠舞は必要な存在なんだ。
悠舞がいなくなってしまっては、二人はきっと即座に離婚してしまう。
だからこそ、家族一緒に。
全ては子供のため。
さすがはユリカだと、言わずにはいられないな。
☆
話をしてから数日後、僕たちは一度顔合わせをすることとなった。
「本当に、申し訳ありませんでした」
マヤは僕たちと会うなり、開口一番で謝罪した。
レストランだというのに、三つ指まで着いて。
「そんな、顔を上げて下さい」
ユリカが手を掛けるも、それは変わらず。
「上げれません、私はお二人に内緒で出産し、しかも顔の傷まで負わせてしまった。これは謝っても謝りきれる問題じゃないんです」
「顔の傷は関係ないです。むしろその点だけで見れば、マヤさんは私の命の恩人じゃないですか」
「でも、子供の件は」
「マヤ、悠舞が見てる。子供の前で親が頭を下げるのは、あまり良いことじゃないよ」
まだ二歳、でも、子供の記憶力は凄いから。
それにしても可愛いな、瞳まんまるだ。
「悠全の言う通りだ、マヤ、椅子に座ろう」
巻島に支えられ、ようやくマヤは席へと着いた。
顔は俯いたまま、でも、そのままで構わない。
「さて、顔合わせも済ませたことだし、これからの生活についての相談をしたいと思うんだけど」
言いながら、僕は家の図面を取り出し、テーブルへと開いた。
「今の僕達の家は二階に四部屋あるんだけど、さすがにそれだけで二世帯住宅は厳しい。だから、この庭部分に増築して、そこに巻島家が住むようにすればいいかなって思うんだけど、巻島はどう?」
「俺は別に何でも構わない。マヤもそちらの都合に合わせると言っている」
「そんな、固くならなくていいですから。悟君もマヤさんも、自分たちの家なんですよ? 希望することを何でも言って大丈夫ですから。それに今の悠君、給料だけは高いから、ね」
さすがに家一軒建てるだけの貯蓄は無いぞ?
そこは巻島にも協力して貰う予定だけどさ。
「……なら」
ずっと塞ぎ込んでいたマヤが、口を開いた。
「このままだと増築と言いながら、玄関も別、お風呂キッチン、何もかも別の完全二世帯住宅となってしまっておりますので、それは止めていただきたいと思います」
「……と、いうと?」
「一緒で良いと、思います。なので増築するのなら、部屋だけで充分です。その方が、ユリカさんと一緒にご飯作ったり、いろいろと出来ますし、それに……」
マヤの目が、僕へと向けられる。
好感っていうのは、言葉は不要なんだな。
「一緒に映画を観たりも出来るし、子供達もその方が垣根無く遊べていいって事だよね。じゃあそうしようか。早速発注を掛けるけど、それでも出来上がるまでにそれ相応の時間が掛かるだろうから、それまでは……」
みんなの視線が、僕へと向けられている。
中でも一番熱い視線が、悠舞ちゃんだ。
「僕の家で、全員過ごそうか」
めちゃくちゃ狭いと思うけどね。
でも、一緒になるなら早い方がきっと良いから。
「悠全」
巻島と一緒に暮らす。
まさか、こんな日が来るとはね。
「ああ、これからも宜しく……悟お兄ちゃん?」
「……は? なんでお兄ちゃんなんだよ」
だって、マヤと僕の子供がいるんだろ? そのマヤと結婚してるってことは、巻島も血縁にも近しいってことなんじゃないのか?
どれだけ考えてみても、適当な言葉は存在しない。
不倫とか托卵とか、法律で認められてないからね。
「でも、いい響きだな」
「何が?」
「悠全、もう一回呼んでくれないか?」
「は? 嫌だよ、面倒くさい」
「そう言わずに、ほら、お兄ちゃんって言っていいんだぞ? 何、恥ずかしがることはない」
「ああ、ごめん、もう二度と言わない」
「なぜだ? 俺の方が早生まれなんだ、お兄ちゃんで問題ないんだぞ? さぁ悠全、弟よ、全力でお兄ちゃんに甘えてくるといい」
なんだか良く分からないけど。
「ふふっ、あはは」
「うふふっ、二人とも、おかし」
ユリカもマヤも、気づけば笑顔になっているし。
それに。
「なぁ、悠舞ちゃん、抱っこしてもいい?」
「ああ、構わないぞ……ほら、悠舞」
抱きかかえると、悠舞は、お人形のように可愛い僕の娘は、天使のように微笑み、僕の頬に触れる。
「……おじちゃん」
「ん?」
「ユマと、あそぶ?」
「……うん、遊ぼうか。何がしたい?」
「うーん、ブロック、あそぶ?」
「分かった、じゃあ今度、悠舞ちゃんの為にブロック沢山用意しておくからね」
こんなにも可愛い子供が増えるのだから、僕としても嬉しい限りだ。
これからの生活、人様に言えるような生活スタイルじゃないのは確かだけど、それでも、僕たちは間違いなく幸せになれる。
「悠君」
「うん、ユリカも」
「あは、本当、悠君そっくりだ。これは間違いなく美人さんになっちゃうね」
「びじん?」
「うん、美人さん。おばちゃんもママと一緒に、悠舞ちゃんを綺麗にしてあげるからね」
「うん!」
どう転んでも幸せしかない。
それは、間違いのないことなんだ。
☆
こうして、僕たち四人は、共に生活する道を選んだ。
ユリカの子供も生まれ、その後マヤもまた妊娠したりなど、とても平和で、だけどあり得ないぐらい賑やかな日々を過ごしている。
ユリカは以前、薄氷の上でダンスを踊るような恋が好きと言っていたけど、薄氷の上でダンスを踊っていたのは、彼女だけではなかった。
僕もマヤも、巻島だって、薄氷の上にいるような、とても不安定な状態で、恋愛を楽しんでいたのだと思う。
楽しむという言葉が適切なのかは分からない。
でも————
「悠全、バーベキューの用意出来たぞ」
「ゼン君はピーマン好きなんでしたっけ?」
「うん、悠君は野菜系全部大好きだね。あ、全華! 悠舞お姉ちゃんのお人形返しなさい! もう、悠君からも言ってやってよぉ」
————今の僕たちは、間違いなく幸せなのだから、きっと、楽しかったんだと思う。
これからも、ずっと。
それは、永遠に普遍なものだ。
「お父さん、何してるの?」
「ん? ああ、これは日記を書いてるんだよ」
「日記?」
「そう、全華も大きくなったら書くといい。見返す度に、嬉しい気持ちが何度でも味わえるからね」
「わかった! じゃあ悠舞姉にも教えてくる! 悠舞姉ー! 日記ー!」
本当に、何もかも幸せだ。
これからも、永遠に。
————
八時にEpilogueを投稿します。
最後までお付き合いのほど、宜しくお願いいたします。




