↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/7

第3話 砂漠の工場と三つの海

第3話 砂漠の工場と三つの海


スタンフォード大学の学生たちは、40年を国家の運営に使った男へ、工場と学校、軍隊と予算について尋ねた。カダフィーにとって、その質問は講義室だけで完結するものではなかった。彼が帰って向き合うのは、まさに学生に話したとおりの問題だった。買った兵器をどう動かし、誰が検査し、現役を退いた後も技術者と雇用を国に残せるか。政治的な結論を口で言うのは簡単でも、機体1機の整備記録を40年分そろえるには、現場の人間の手が要った。


リビアの航空機整備工場を巡る交渉には、40年分の購入記録が必要だった。


1969年の革命が成功した時、リビア空軍は米国から供給されたF-5戦闘機やC-130輸送機などを使っていた。カダフィーが米国と英国の基地撤収を求めた後、航空機の供給先は変わる。1970年1月、フランスのポンピドー政権と、ミラージュ戦闘機を中心とする大規模な購入契約が結ばれた。米側の外交記録にも100機前後という規模が残る。その後リビアが使ったフランス製機には、ミラージュ5のほか、ミラージュF1があった。


ソ連からも大量の航空機を買った。MiG-21、可変翼のMiG-23、高速迎撃機MiG-25、対地攻撃用のSu-22、双発のSu-24。それぞれに製造年代と任務の違いがある。機体を手に入れるときは空軍の力が増える。年月が過ぎると、違う機種の部品を保管し、エンジンを整備し、搭載機器の較正を続ける仕事が残った。飛べなくなった機体を滑走路の端へ並べておくのは、国家にとって高い買い物だった。


さらに国外を見ると、北アフリカ、中東、サハラ以南の国々には、同じソ連系の機種を運用してきた空軍がある。冷戦時代の購入先はばらばらでも、整備の問題を抱えるようになる時期は似ていた。


カダフィーはその状況を、フロリダの天幕に届いた保有機材一覧と地図にしていた。古い機体をどこまで延命するのか、新しい装備へ移るのか、部品をどこから買うのか。リビアだけの需要で工場を建てるより、周辺国から整備を受託する方が設備を使い続けられる。


カダフィーはリビア空軍の保有機を調べさせると、退役済みの型、修理待ち、改修の違う機体が一枚の表に並んでいることに腹を立てた。機数だけの表では、誰も翌月の出動可能数を答えられない。そこで1機ごとに機体番号、エンジンの型、最後に交換した部品、飛行可能証明の期限を調べ、整備を引き受けられる設備を逆算した。機体の来歴を先に書くという命令は、ロシア側へ要求する権利の種類を明確にした。


この事業は「新しい戦闘機を買う」契約とは性格が違った。ソ連が製造し、独立後のロシア側が設計資料・部品・検査資格を引き継いだ機体について、リビアが独自に整備したと宣言しても国外の発注者は安心できない。整備記録を持ち、ロシア側の技術資料と認定を受けてはじめて、リビアは近隣諸国の航空機を受け入れる有償の整備拠点になれる。カダフィーがプーチンへ求めるのは、この継続的な事業をリビア国内に置く合意だった。


こうして、最初の大型交渉の相手はロシアになった。


当時ロシアの首相だったプーチンが天幕へ入ると、カダフィーは紫と金の布を重ねた衣装で迎えた。プーチンは黒いスーツだった。壁際には空軍基地の図面が立ててあり、その横に、整備対象となる機種名を記した書類が置かれている。


「私は長い間、兵器を買うために外国へ金を払ってきた。MiG-21を買い、MiG-23と25を買い、Su-22も24も保有した。新型を買った時は皆が拍手する。ところが10年も経つと、飛べる機体と飛べない機体が格納庫で隣り合い、整備の部品代だけが増える。あれを国の産業に変えたい。リビアの機体を整備し、同じ機種を運用するアフリカ諸国からも仕事を受ける。ロシアの設計資料と認証、こちらの工場と訓練学校を組み合わせたい。私が払ってきた金を、次はリビアへ入る金に変えるのだ」


プーチンは機種一覧を手に取った。部品の供給が終わりつつある型もある。ロシアで改修したもの、第三国を経て入ってきたもの、使用履歴に空白のあるものも混在していた。


「保有しているだけの機体と、飛行可能な機体の数を一緒に書いてはいけません。作業を認定するなら、製造番号、飛行時間、交換履歴が必要です。ロシアの技術者が現地へ行けば全部片付くと考えているのなら、契約にできません」


「それなら最初に全機を検査しよう。飛ばせる機体、保管する機体、部品取りにする機体を区分し、整備履歴が追えないものは受託の対象から外す。格納庫、計測器、試運転用の設備と技術学校は私が建てる。あなた方には図面の利用条件、技術者の養成、検査員の派遣と認定権限を契約に書いてもらいたい」


話が金額に移ると、カダフィーは国外から来る整備機のための港湾、空港、通関手続きまで準備するつもりだと説明した。修理の終わった航空機を安全に飛ばして返すには、部品の輸入と輸出、外国人整備士の就労資格、試験飛行に使う空域の取り決めが要る。購入契約より書類の束が厚かった。


ライスは、彼が航空機を購入する話より、その後の産業を作る話に熱心なのを見ていた。


「ムアンマル、軍用機を扱う工場なのだから輸出管理は避けて通れないわ。契約できる国を決めずに『アフリカの機体を全部引き受ける』と言えば、最初の1機を整備する前に工場が止まる。さらに、検査結果に不具合が出たとき政治上の都合で書き換えられない仕組みも必要よ」


「相手の国を調べてから受け入れよう。機体の整備ができるということと、誰の機体でも引き受けるということは別だ。私が望むのは、修理記録が信用される工場だ。そこを失えば、国外からわざわざ飛行機を運んで来る客はいなくなる」


プーチンは、相手が本気で整備産業を始めるつもりだと理解した。機体を売る話から、地中海岸に長期の顧客を作る話へ移ったのである。技術移転と認証の範囲は次回の交渉までに文書へまとめることになった。カダフィーはその場で期限を指定した。


「30日以内に、ロシアが供給する図面と補修部品の範囲を出してほしい。リビア側も同じ30日で整備棟と訓練学校の建設工程を示す。認証できない機種は対象から外せばよい。31日目に次の会合を開く。期限のない『検討』を返事にするな」


プーチンはそれを聞き、実務担当者へ交渉日程を指示した。ライスが、数十年続く契約を数時間でまとめる必要はないと言うと、カダフィーは契約を今日結べと要求しているのではなく、いつ結ぶかを決めているのだと返した。彼女は異論を出さなかった。


フランス製の機体にも、別の契約が必要だった。ミラージュ5やミラージュF1は、ソ連系MiGとは機体構造もエンジンも電子機器も違う。ロシア製装置だけを買い揃えれば済む工場にはならない。フランスの設計資料とメーカーの整備支援を組み合わせ、別棟に専門の試験設備を持つ必要があった。フランス側の図面、専門工具、エンジンや電子機器の整備資格を、許可された範囲で入手する。ダッソー系の整備棟はロシア系とは別に建て、各メーカーの手順と検査記録を分離することになった。


カダフィーが追加して導入したイスラエル製の防空監視機材も別区画で較正する。メルカバ戦車の少数導入には、イスラエルとの関係を簡単に断てないようにするという外交上の狙いがあったが、戦車と航空機の整備を同一契約に混ぜるような話は最初からしていない。機種も製造国も違うものを一つの工業団地に集め、それぞれの契約で確実に仕事をさせる。それがカダフィーの狙いだった。


夏、ライスはリビアの海岸に近い整備工場を視察した。港側の建物には塩気のある風が当たり、内陸の試験施設には乾いた砂が押し寄せる。気候の異なる2つの問題が、同じ工業団地の設備を傷めようとしていた。


整備棟の中ではMiG-23の機首を開いてレーダーの点検が進んでいた。隣の機体は飛行を停止してあり、部品の到着を待っている。責任者は2機の記録を見せた。機体を持っていることと、安全に飛ばせる状態に維持していることの差が、そこに書いてあった。


「この2機を同じ『保有機数』に数えるのね。でも出動できるのは片方だけ。予算と予備部品を考えるなら、その区別を上へ報告しなければならないわ」とライスは言った。


「そうしてもらう。保有機数を誇る国はいくらでもある。私は飛べる機体の数と、次の整備日程を知りたい」


彼女は作業台の整備記録に署名した技術者の名前を指で追った。リビア人の若い女性技術者が、ロシア人検査員に測定結果を説明している。別棟ではフランス製機器の試験が行われていた。


以前のリビアは兵器を買って外国へ代金を払った。今度は機体を整備し、教育を受けたリビア人技術者が外国から仕事を受けて代金を得る。そのために必要な時間を、カダフィーは機械の購入費と同じくらい重く考えるようになっていた。


*


中国から来た男がフロリダの天幕へ持ち込んだのは、核兵器の商談だった。


カダフィーにとって、中国との核の話は初めてではない。


1970年、革命を成功させたばかりのリビアから、副官格のアブドルサラーム・ジャルードが北京へ赴いた。石油を持つ新興国に足りないのは、外国の軍事力に左右されない安全保障と、自国で産業を育てる技術だった。ジャルードは中国側に核分野の技術協力を求め、核兵器の購入まで交渉の俎上に載せた。


石油を売る金はある。中国との外交関係についても譲歩の余地がある。ジャルードは、交渉になると踏んで出かけたのである。


しかし、北京では最後に周恩来首相が出てきた。毛沢東の方針は、核兵器を外国へ売らないというものだった。ジャルードは核兵器を持ち帰れず、カダフィーもその返事を忘れなかった。


1970年の中国で外交を担っていたのは周恩来である。当時、鄧小平は文化大革命で失脚し、江西省のトラクター修理工場で働いていた。1978年になってジャルードが再訪中したとき、今度は復権した鄧小平と会談している。その年、中国とリビアは国交を樹立し、経済・科学技術協力を進めた。1983年にはリビアの鉄道建設をめぐる協力も議題に上った。


核兵器は売らない。それでも石油、産業、鉄道の話はできる。カダフィーは40年にわたって、その中国の使い分けを見てきた。


だから2010年、中央政府の高官を名乗る男がフロリダへ現れたとき、カダフィーは椅子へ深く腰掛けたまま、相手の書類だけを先に見た。国章がない。発行番号も責任者の署名もない。正式な訪問日程にも名前が載っていなかった。


天幕の外では、米国側の警備員が車の出入りを確認していた。CIAも会談を監視している。ライスは自分たちでも冒頭から録音を残すようサーレム上級曹長に命じた。相手が何を言い、夫が何を答えたかを、第三者の要約に任せるつもりはなかった。


「閣下が以前お求めになったものを、いまならお渡しできます」と男は言った。


「ジャルードを北京へ行かせた1970年の話か。周恩来は売らないと答えた。あのとき私が欲しかったものを、40年たって君が持ってきたというのか」


「事情が変わりました。ご希望なら特別な経路で手配できます」


「中国政府が方針を変えたのなら、主席の署名した文書を見せろ。君は中央政府の高官だと言ったな。では、誰から命令を受けて来た?」


男は「通常の外交手続きに乗せられない案件です」と説明した。秘密保持の必要性、信頼できる仲介者、両国にとっての利益。もっともらしい言葉はいくらでも出てきたが、責任を負う人間の名前は出なかった。


カダフィーは一度だけライスの方を見た。彼女は黙って記録を取っている。


「私は2003年に大量破壊兵器計画を放棄し、査察も受けた。アメリカとの外交関係も回復した。その私が秘密の核兵器を買えば、どうなる? 君の言う特別な経路が露見したとき、中国政府は『知らない』と言える。ではリビアは、誰の保証で制裁を受けることになるのだ」


「そうした事態を避ける手段もございます」


「だから、その手段を保証するのが誰かと聞いている。核兵器を売るのに国家主席の承認はいらないというのか。それほど都合のよい政府を、私は知らん」


男の額に汗が浮かんだ。カダフィーは価格、仲介者、引渡しの責任者を尋ね続けた。兵器の威力や性能は一度も尋ねない。ライスには、それだけで分かった。夫が値踏みしているのは核兵器ではなく、目の前の男と、その背後で糸を引く人物だった。


「CIAは、この商談を承知しているか」


男の目がわずかに動いた。ライスはその変化を見たが、何も口を挟まなかった。


カダフィーは机上の提案書を閉じた。


「核兵器はいらない。だが、この商談を誰が作ったのかには興味がある。君が国家の命令で来たなら、正式な文書を持って出直せ。そうでないなら、私の名前を使った商売は今日で終わりだ」


男は答えられず、帰っていった。


会談後、CIAは《カダフィーは核兵器取得の提案に強い関心を示した》とする報告書を作った。ライスは全文の録音を保存していた。価格と引渡しの話だけを拾えば関心があるように見える。しかし、その前後を聞けば、カダフィーが求め続けたのは売り手の責任と商談の出所であり、最後には購入を拒否していることが分かる。


「同じ会談なのに、ずいぶん違う報告書になるものね」とライスは言った。


「私が核兵器を買いたがっていることにすれば、彼らには都合がよい。だから君がいたのだろう。録音を消すな。先方へも正式な中国政府の提案だったのか問い合わせろ」


「もう手配したわ。中国の大使館にも、会談の日付と名乗った肩書を伝えさせた。誰がこの男を送り込んだのか、北京自身に調べてもらいましょう」


数週間後、男は中国へ帰国し、消息を絶った。中国政府の発表には、重大な規律違反と国家機密漏洩によって処分されたと記された。


まもなく、今度は正規の外交経路で中国側の新しい担当者から連絡が入った。カダフィーは核兵器の商談の結末を、直接尋ねた。


「前の男はどうなった。私の天幕へ核兵器を売りに来た、あの高官だ」


「前任者は、今後二度と外国機関と接触しません」


「死んだのか」


「現在は、多くの国民の身体の中で生きています」


カダフィーは受話器を耳に当てたまま、しばらく黙った。


「どういう意味だ」


「腎臓、肝臓、角膜などです」


ライスは通訳の説明を聞いて顔をしかめた。相手は、外交上の不祥事について報告するのと同じ落ち着きで、人間の身体を部品のように数え上げたのである。


カダフィーも、その場では笑わなかった。自分の政権が何をしてきたかを忘れているわけではない。敵を処刑し、恐怖を統治に使った経験もある。だが目の前の中国側担当者は、処罰された男の最期を、何人の身体に役立ったかという形で報告していた。


「中国人は無駄を嫌うな」


「感心しないで」とライスが鋭く言った。


「感心していない。私より静かに恐ろしいと言っている」


会談が終わっても、ライスはしばらく受話器を見ていた。


「あなた、あの男が何をしようとしていたか、最初から疑っていたのね」


「1970年の中国は、国として核兵器を売らないと言った。それが40年後、政府の署名もない男1人で売れるようになったという。私がそれを信じたなら、革命を起こしてから今日まで何を学んできたことになる」


「その結果、男は命まで失った」


「自分が何を売ろうとしているのかは知っていたはずだ。だが、あの報告を聞いて気分がよくなる者がいるなら、私はその顔を見てみたい」


それからしばらくして、中国政府の正式な代表団がやってきた。代表者の名前と権限は事前に通知され、書類には国章と署名があり、技術者が同席していた。机に並んだのは核兵器の資料ではなく、鉄道の図面だった。


カダフィーは図面を広げ、地中海沿岸のトリポリとベンガジを指さした。


「私が中国から欲しいのは、こちらだ。2つの都市を高速鉄道で結ぶ。車両を売って終わりにするな。線路、電力、信号、車両基地、運転士と整備士の養成まで含めた契約を持ってこい。借金はしない。石油で稼いだ金を現金で払う。完成まで5年だ」


中国代表は地図を見て、最初の質問をした。


「建設地の用地取得と電力の準備は、リビア政府が担当されるのですか」


「そうだ。用地も電力もこちらで用意する。君たちには5年で走らせる方法と、そのための費用を出してもらう。私が求めているのは、核兵器で他国を脅す国ではない。人を乗せて、町をつなぎ、将来の技術者を育てる国だ」


核兵器の商談が消えた机の上で、今度は線路の距離と工期をめぐる交渉が始まった。


中国で高速鉄道車両の生産が拡大した経緯は、リビア側も調べていた。2004年、中国鉄道部は、日本の川崎重工業などの企業連合と中国の四方車両による組合せに、E2系新幹線を基礎とする高速車両60編成480両を発注した。日本からの完成車と部品供給に続き、中国国内で製造するための技術移転が進んだ。中国でCRH2と呼ばれたその車両は、単に中国が一から発明したものでも、日本から完成品だけを輸入して走らせたものでもなかった。


中国側には、この協業を足場にして高速化と国内生産を進めた経験がある。そのことが、カダフィーの注文を複雑にした。中国企業と川崎重工業との関係が古いこと、そして両社の契約がリビアの新車両の全仕様を自動的に保証するわけではないことを、リビア側の調達担当者は会議の冒頭で確認した。車体の製造責任、輸入する装置の設計責任、故障時に誰が補修品を供給するか。その3件を契約書で分ける必要があった。


「君たちは日本から技術を学び、中国で高速鉄道を造れるようになった。立派なことだ。今度はリビアに合った新型を造る。製造できるというだけでは足りない。地中海沿岸で50℃近くまで上がる外気温、海から入る塩分、内陸の砂塵、駅で乗降のたびに開く扉。その条件で安定して走る車両だ。従来型を塗り替えて売るという提案なら、別の会社を呼ぶ」


中国代表は、すでに高速列車の経験を積んできた四方車両などの技術陣が、新仕様の開発を担当すると説明した。契約上の仮称はCRH400Li。CRHは中国高速鉄道、400は計画上の設計最高速度、Liはリビア仕様を示す。2010年時点でリビア向けの車両はまだ図面上の計画で、実在する量産車の名前をそのまま付け替えるつもりはなかった。


「営業速度は350km/hを基本に考えています。設計値を400km/hとするなら、試験と認証の条件を別に定めなければなりません」と中国側の技術者が説明した。


「400km/h出せる列車を、なぜ350km/hで走らせる?」


中国側の線路担当技術者が、図面を広げた。


「営業速度を350km/hにしているのは、保守費、騒音、消費電力、線形、安全余裕を考えたためです。設計最高速度400km/hと、毎日旅客を乗せて運行する速度は区別しています」


「なら線路を良くしろ」


「十分良い線路です。400km/hで毎日運転するのであれば、曲線半径や軌道、橋梁、架線、信号設備などを一緒に見直すことになります」


「もっと良くしろ。必要なら線形から変えろ。私はできないという説明を聞くために発注したのではない。400で走らせる案と、350で運行する案をそれぞれ出せ。建設費、保守費、消費電力、安全上の条件を並べて、私に選ばせろ」


ライスが技術者の資料を引き寄せた。


「では、設計最高速度と営業速度の差について、何が制約になっているかを設備ごとに書いてください。速度の数字だけ決めてしまうと、後から追加工事の請求書が届くわ。ムアンマルはその請求書を見て、また『線路を良くしろ』と言い出すでしょうから」


中国側の技術者は、どちらの案も示せるよう比較表を作ることになった。カダフィーはその場で、比較案が揃えば自分が発注する範囲を決めると告げた。


中国側が再提出した図面には、軌道と保守基地に加えて、リビア特有の気候条件に対応する設備案が増えていた。用地と電力供給はリビア政府の責任で進め、車両・信号・保守教育は契約に分けて相互に結び付ける。融資の話になると、カダフィーは油田収入の積立金から現金で支払う方針を伝えた。国土の端から端まで、将来の世代へ返済だけを残す鉄道は造らないつもりだった。


ところが、空調の会議で進行が止まった。


「中国標準仕様の冷房能力では、真夏の駅で扉を開けたあとの回復が足りない。停車中の乗車率が高いときにも客室を保てるか、試験条件を示してほしい」とリビア側の技術者が求めた。


「標準仕様を大きく変えると、保守部品も試験も複雑になります」と中国代表。


カダフィーは別の資料を取り出した。川崎重工業が2004年に中国の四方車両と手を組み、E2系を基礎としたCRH2の車両開発・生産に関わった経緯がまとめられている。


「空調は川重だ。中国で使っている標準機を砂漠へ持って来るつもりはない。川崎重工業に高性能の空調を造らせろ」


中国側の代表は、川崎重工業がCRH2で四方車両と協力していたことを認めたうえで、困った顔をした。


「車体は中国製です。新しい形式ですから、以前の協力関係だけで装置を追加することはできません。装置の寸法も電源も制御装置も、契約と試験を新しく決める必要があります」


「車体は中国で造る。だから君たちに発注した。空調は川重だ。2004年に協力した日本企業なら、君たちの製造方式を説明するところから始めずに済む。新しい試験と設計が必要なら金を出す。メーカー同士で分担を決め、責任を契約書へ書け」


中国側は、以前のCRH2の契約に新しい車両の仕様が含まれないことを文書で確認した。リビアはその場で、川崎重工業へ新規設計の依頼と正式な見積りを送るよう発注担当者に命じた。


川崎側も簡単には同意しなかった。最初に確認したのは、基礎となる車両の仕様と、誰が冷房装置の取付寸法、電源、換気ダクト、制御信号を確定するのかという点だった。空調は屋根の上へ箱を置けば済む設備ではない。日射を受ける車体、密閉度、扉の開閉、乗客が持ち込む熱、車両の消費電力に制約を受ける。新しい仕様を認めるなら、車両メーカー側も責任を引き受けなければならない。


ライスはその説明を読んでから、カダフィーに言った。


「あなたは中国から列車を買おうとして、以前の技術協力相手である日本企業まで新しい契約に巻き込もうとしているのね。中国側が勝手に空調を改造しても、事故になればお互い相手の責任だと言い始める。私たちが欲しいのは、冷える列車だけでなく、故障したときに誰が直すか分かる列車よ」


「だから契約を分ける。中国が車体と走行装置を造る。空調に日本側が加わるなら、境界にある設計と試験は双方が署名する。検査項目を残し、リビアで交換部品を持つ。誰かが責任を逃れようとしても、図面と記録が残るようにする」


彼は川崎重工業の担当者とも電話で話した。


「砂漠で壊れないものを造ってくれ。真夏の駅で扉を開けても、満員の客室を冷やし続ける空調が欲しい」


「特殊仕様になります。装置だけ改良しても、車体側の断熱や電源、換気の条件が決まらなければ性能は保証できません」と川崎重工業の担当者が答えた。


「高性能版にしてくれ。車両の設計は中国側と直接詰めてよい。設計と試験の費用は払う。知的財産も守る。整備の技術者も長期にわたって使えるようにしたい」


「なぜそこまで空調にこだわるのですか。速度を上げる方が先だと考えるお客様も多いのですが」


「暑い国で冷房は贅沢品ではない。人間を正常に動かす装置だ。350km/hの列車で客が熱中症になったら、高速鉄道を買った意味がない。砂漠で毎日走らせられる仕様にしろ」


リビア側は現金払い、技術者の安全保証、補修部品の継続供給と技術資料の利用条件を提示した。川崎側は、中国側との取付・検査分担が明確になることを条件に、新しい空調装置の設計を引き受けた。


川崎重工業の担当者は、中国側との共同試験の責任者と、空調装置の性能を保証する条件を明文化して送り返した。カダフィーはその日に中国側の責任者を呼び、両社の技術者を同じ机へ座らせるよう命じた。以後の会議では、室温の測定条件、車体との取付面、保守部品の扱いが工程表の項目となった。


この取引のニュースが日本へ届くと、川崎重工業の中国との関係をよく知る鉄道業界が反応した。2004年のCRH2受注は、JR東日本のE2系を基礎にした車両の製造技術を中国へ移した事業だった。JR東海はその契約の当事者ではない。しかし、将来の競争相手を育てることになるとする警戒は、以前から同社にあった。技術移転をめぐり川崎重工業とJR東海の関係が冷え込み、東海道新幹線用車両の発注に影響が出たとも経済誌は報じていた。JR東海の側が契約の内幕を公式に語ったわけではない。


そんな経緯のある川崎重工業が、今度は中国製の新型高速列車CRH400Li向けに、独自の高性能空調を設計する。JR東海側の担当者には、2004年の技術移転の続きに見えた。新しい空調の設計図や製造ノウハウまで中国側へ渡されるのか。それとも日本側が完成品を供給し、補修と検査の知識を契約で分けるのか。争点はリビアが列車を買うこと自体より、日本の技術の管理範囲だった。


日本の記者がJR東海へコメントを求めても、会社としての回答はなかった。ただ川崎重工業には、中国側とリビア側それぞれに、何を開示し、どの部分を自社に残すのか説明する仕事が増えた。車両を造る中国企業へ機器を供給する契約と、製造技術を譲り渡す契約は同じではない。リビア側もその線を曖昧にすれば、設計に必要な日本企業の協力を失う。


リビアでは、契約をまとめる人間が増えるたびに会議が長くなった。カダフィーが苛立つと、ライスは工事より先に責任の所在を決められるのは幸運だと言った。


「私は列車を早く走らせたい。だが、君の言うとおり、動かなくなったときに『ここから先は別の会社だ』と言われるのは困る。暑さに負けないことと、修理ができることを同じ契約の中で確認しよう」


試験条件の調整は続いた。中国で培われた高速鉄道の製造能力、以前に日本企業が移転した技術、新しく求められたリビア向けの空調性能。それぞれの由来と責任を明示して初めて、CRH400Liは設計図から現実の鉄道へ進むことができるのだった。


2010年の暮れ、リビアの港には工事用の測量機器が届き、沿岸部の予定線には杭が打たれた。ロシア製機の整備工場では技術者が記録を点検し、Street Viewの撮影車は同じ道路を2回目に走った。契約に印鑑を押す時に約束したことが、別々の現場で形になり始めていた。


ライスはその冬、夫にもっとも厄介な質問をした。工事が始まったと喜ぶのはよいが、予算を使い続けても失敗しない国家の仕組みを、彼自身がいなくなる前に作れるのか。カダフィーは、国家指導者がいなくなる日を妻に心配されることを面白がらなかった。それでも地方の病院と工場から届く点検記録を、以前より丁寧に読むようになった。


その習慣が翌年、リビアを救う資料になる。誰もが気にしていたのは、地中海の政治より、まだ建設中の国の設備だった。しかし2011年3月、海の向こうで別の危機が始まった。


*


2011年3月11日の午後、日本の沿岸から最初の救難要請が届いたとき、誰もが被害の全体をつかめていなかった。通信の途切れた自治体が多く、道路も港も分断されていた。夜になると、航空写真で確かめた町の輪郭が昼間の地図と合わなくなった。


自衛隊は被災地へ部隊を集中させた。隊員たちは瓦礫の間を歩き、学校の体育館へ水と毛布を運び、孤立した建物の屋上から人を運んだ。第7艦隊もヘリコプターと艦艇で動いたが、洋上の補給線そのものが痛んでいた。


真珠湾では係留設備だけでなく、燃料供給系統、倉庫、造修施設と周辺の軍用区画まで津波に損なわれた。生き残った艦艇があっても、港の機能が戻らなければ思うように使えない。サンフランシスコ湾周辺も同じだった。軍の施設と民間の港が隣り合い、救助の船舶と復旧資材を運ぶ船舶が限られた水路を取り合った。


タイからは救援隊が来た。イランからも人員と物資が来た。国際空港で国旗の違う輸送機が順番を待つ間、地上の調整員は国籍よりも積み荷を確認していた。水、毛布、衛生用品、発電機、医薬品。日本側が必要とするものを、そのまま被災地へ送るためだった。


リビアの航空整備拠点は、ここで別の役割を果たした。ソ連時代に買い入れた輸送機を維持し、検査記録と予備品を整理してきたため、輸送計画を短い時間で組めたのである。戦闘機整備で始めた設備と人材が、今度は人を救う側へ回った。


リビアも輸送機を出した。医療班、発電設備、給水装置、テント、食料を積んでいる。指揮官が携えてきたのは、救援の受入条件に従うという文書だった。


「われわれの隊員は日本の指揮下で動きます。リビア国旗は機体にありますから、現場では目立つ必要はありません」


受け入れに当たった自衛官は、通訳を介して礼を述べ、必要な行き先を告げた。


被災した町では、リビアの技術者が発電機の配線を点検していた。タイの隊員が土砂を片づけ、イランの医療担当者が体調を崩した高齢者の診察を補助した。自衛隊の輸送車が戻ってくると、水の入った容器が次々に降ろされた。


誰も、リビアが数日後に欧米の軍事会議で攻撃対象として議論されるなどとは考えていなかった。


北アフリカの別の国々では、政権への抗議と政治変動が続いていた。情報機関はその動きをリビアへも当てはめようとしていた。しかし、この2011年のリビアでは軍の移動命令が複数の署名で記録され、地方の抗議には行政窓口と公開された予算資料で対応していた。秘密警察や旧来の治安幹部に問題が残っていても、大規模な虐殺が行われたという現地確認は得られていない。米側の報告書に並ぶのは、将来そうなるかもしれないという条件付きの予測だった。


一方、太平洋では、被害は予測でなく現在進行形だった。この二つを一つの会議室で同じ緊急性として扱うところから、問題が始まった。


ライスは日本側の連絡窓口から救援隊の不足を聞き、フロリダで手帳を開いた。かつての人脈のうち、今も電話を取ってくれる人物を順番に探す。彼女の仕事はもう米国政府の命令を出すことではなく、必要な人へ必要な資料を渡すことだった。


カダフィーは電話口の短いやり取りを聞いていた。


「なぜ米国の役人に頼む」


「空港の着陸枠と荷物の通関に詳しい人なの。大統領に話すより早いわ」


「君は小さな国の仕事がうまいな」


「世界中の人に言ってきたでしょう。大きな国ほど、机の上で迷子になるって」


「リビアは迷子にならない」


「さっき救援機の予備部品を積み忘れかけたわよ」


彼は通信担当者を呼び、次の便に追加で搭載するよう命じた。


*


第7艦隊の司令部へ届く日本の要請は、毎朝書き換わった。前日に孤立していた病院が今日は海から近づけるようになり、逆に昨日まで通れた国道が余震と土砂で通れなくなる。ヘリコプターの着陸地点を決めてから、救援物資の内容を変更することもあった。


日本の連絡将校は、海図の上に何枚も透明なシートを重ねた。


「揚陸艇はここへ入れます。奥の道路は大型車が通れません。患者の搬送に回してください」


米軍の士官は赤鉛筆で矢印を書き、別の欄の燃料残量を見た。


「給油はどこで受けられますか」


「横須賀から直接運べる分にも限りがあります。真珠湾がこの状態ですから、補給船を太平洋のどこへ回すかで取り合いになっています」


真珠湾の海軍関係者も同じような議論をしていた。艦艇が被災した桟橋の外へ避難できても、電源ケーブル、燃料配管、資材倉庫、乾ドック設備が痛めば基地機能は戻らない。岸壁の近くには、家を失った住民もいる。軍属とその家族の救援を優先せざるを得ない時間があった。


サンフランシスコ湾では、港湾当局が海軍へ航路の安全確認を求めた。埠頭に漂着物が積み重なり、港内作業船の燃料も足りない。米国のニュースでは日本の被害が映り、その隣にハワイと西海岸の被害写真が並んだ。


米国政府の会議で、ある海軍将官が数字を読み上げた。


「必要な船は海にいます。ただし、必要な場所にはいません。運べる人間の数にも、物資の量にも限界があります」


スーザン・ライスは発言を求めた。


「リビアでの危険を放置すれば、今度は別の大量の避難民が生まれます」


「現に避難民が出ているのは、日本です」


「だからこそ、国際社会の責任を一つずつ果たす必要があります」


話題が変わるたびに、誰かが同じ被災地の数字を読み直した。


コンドリーザは別室で、旧知の米軍関係者から届いた短いメールを見ていた。《救援資産の不足が現場で明らかになった。司令部へも報告済み》。彼女はその一文を保存した。それを夫への報告に含めるか迷い、結局、先に日本へ送ったリビアの輸送機の到着確認をした。


「到着しました。医療班は日本の担当者と合流しています」


報告を聞くと、ライスは大きく息を吐いた。


「それなら、次の便もお願い。発電機には継続して燃料を運ばなければならない。リストを分けて送りましょう」


国際政治の会議より、現場の発電機を回す方が先だった。


*


スペインでは、アストゥリアス公フェリペが演壇に立った。2011年の彼は皇太子であり、国王フアン・カルロス1世の息子だった。会場には外交官と軍関係者、報道陣が集まっている。


「武力の行使には、責任を伴います。これから起こると言われる出来事を理由に他国を攻撃するのなら、その根拠は公に検証できるものでなければなりません」


皇太子は原稿から目を上げた。


「示された資料には、いま起きていると確認できる事実が足りません。証拠もない。そこに正義も見いだせない。スペインは、確かな理由もなく戦争に参加すべきではないと考えます」


王室の政治的発言としては異例だった。政府はただちに対応を協議し、参加予定の部隊には出動の見合わせが伝えられた。皇太子の演説は、翌朝には欧州の新聞の一面を飾っていた。


ロンドンでは、表向きの騒ぎは少なかった。エリザベス2世は私的な会話の中で、アン王女ら軍と長い縁を持つ王族に懸念を伝えていた。軍高官との会食では、誰も正式な指示を聞いたとは言わなかった。ただ、英国軍の任務表には、日本と太平洋の災害、そして本国の備えという文字が増えていった。


アン王女は制服の袖口を直しながら、説明を求める高官に静かに問い返した。


「遠い海域に飛行隊を送る計画について、帰還までの支援は十分でしょうか」


「同盟国の協力を前提にしています」


「その同盟国も、いまは災害のただ中ですね」


彼女はそれだけで会話を終えた。


東京では、日本の皇室関係者から、根拠のはっきりしない軍事行動への懸念が伝わっているらしいという噂が、外交関係者の間を流れた。誰の発言かは分からず、宮内庁も認めなかった。被災地では、皇室が何を語ったかより、今日の水と薬の方が切実だった。


しかし欧州の外務省では、スペインの演説、英国の消極姿勢、日本の噂が同じ情報紙に載った。軍事介入を進めたい者には、耳障りな紙だった。


*


リビアの国家建設に携わるフランス人技術者もいた。ミラージュの整備契約を担当する技師は、攻撃命令のニュースを聞いて困った顔をした。


「私たちは、ここで仕事を続けてよいのですか」


リビア側の工場長は、工具を片づけながら答えた。


「契約が続く限り、あなた方の給料は払います。ここにいる人間に、何の責任があるのですか」


フランス人技師は手を差し出した。工場長はその手を握った。外では整備を終えた航空機のエンジン試運転が始まり、いつもどおり耳を塞ぎたくなるほどの音がした。


*


その晩、ライスはフロリダの書斎に一人で残った。夫は救援部隊の燃料と輸送機の整備状況を調べている。彼女の前には、リビアの軍命令記録と、日本の被災地から届く避難所の名簿が置かれていた。その隣には、2010年から撮り続けたGoogle Map carの画像と、リビア各県の施設台帳が並んでいる。カダフィーが治安機関の反対を押し切って公開させた道路は、いまや外国政府が唱える「秘密の軍集結」を検証するための道にもなっていた。


ワシントンで国務長官を務めていた頃、彼女は情報が欠けたまま決断しなければならない場面を何度も見てきた。将来の危機を予測することには意味がある。しかし予測は、確認された被害と同じ欄へ書き込めない。スーザンの報告書では、カダフィーが命令を出せば弾圧の証拠、命令を出さなければ隠蔽の証拠とされている。これでは何が起きても同じ結論へ着いてしまう。


ライスはこの論理上の欠点を、オバマに直接伝えることにした。大統領への連絡は彼女がもはや政権の一員でないことを思い知らせる。かつての部下にも、同じ受話器の向こうで今は別の人間の指示を受ける者がいる。彼女は呼び出しの回数を増やさず、資料の出典と確認できた時刻を揃え、必要な箇所だけ一つの書類にまとめた。


通話がつながると、ライスはまず被災地の話をした。真珠湾の燃料設備とサンフランシスコ湾の港の損害、第7艦隊が日本で必要としている航空輸送能力、リビアが派遣した医療隊の受入記録。数字は毎時間変わるので、書類の時点も明記した。


「大統領、あなたにリビアを信用してほしいとは申しません。私の夫を信用してほしいとも申しません。ただ、報告書が予測している死者と、いま日本やハワイで救助を待つ人々を同じ現実として扱うのは危険です。もしリビアへの軍事行動を選ぶのなら、その効果と必要な根拠を、もう一度ご自身で確かめてください」


オバマは、彼女が夫の側に立っている以上は利害関係があることを承知していると告げた。ライスは否定しなかった。だからこそ、彼女の意見ではなく、出典を確認できる記録を送ったのだと答えた。


受話器を置くと、窓の外は暗くなっていた。彼女は机の上の2枚の写真を見た。1枚はリビアの整備工場、もう1枚は日本の沿岸に残った瓦礫だった。どちらも機械と暮らしが密接につながっている場所だった。


カダフィーが戻ってくると、彼女は電話の内容を報告した。夫は短く頷き、相手が聞く気になるかどうかは別だと言った。


「聞かなかった場合も、私は記録を残すわ。あなたもそうしてちょうだい。国外からの命令がどう変わっても、リビア側は誰が何を命じたか分かるようにしておく。私たちは未来を知っている。でも、その未来を知らない人々に、後で説明できることも必要なの」


カダフィーは彼女の手帳を取り、必要な資料を自分の本国側にも送るよう指示した。彼女は手帳を取り戻し、自分で送るから今夜は夕食を先に、と告げた。夫は珍しく反論せず、書斎の灯りを消した。


*


ワシントンでは、スーザン・ライスが情報機関の担当者を呼んでいた。机に置かれたリビアの報告書は、何度書き直しても結論が変わらなかった。リビア軍が首都から動かなくても、将来の危機が消えたとは評価しない。道路がいつもどおり混雑していても、政府が平穏を演出している可能性を残す。彼女はそんな表現を、数ページにわたって読んでいた。


情報担当者の一人は、ベンガジの公開画像と現地にいる外国人技術者からの報告を示した。病院は通常どおり患者を受け入れ、港では荷役が続き、政府軍による大規模な出動命令は確認できない。それが現段階で把握できる事実だった。


「大統領は人が殺されるのを防ぎたいと考えています。目の前に死者がいないから何もしなかった、とあとから説明するわけにはいきません。危機が始まってから確認したという報告を、私は持って行くつもりはありません。今ここで動かす兵力があるのなら、その選択肢を大統領の机へ載せるべきです」


担当者は、リビア側からの命令記録が公開されている以上、即時の軍事攻撃を正当化するには新しい根拠が要ると返した。スーザンは、事実関係を精査する作業を続けるよう命じた一方、現時点の推奨判断だけは取り下げなかった。


そこへ太平洋方面の被害報告が入った。日本では自治体単位で通信が途切れ、ハワイでは基地と住民の双方に被害が出ている。サンフランシスコ湾でも、軍の港湾機能が落ちたままだ。必要な艦艇と航空機は、すでに不足していた。


スーザンは資料を並べ、軍事介入の範囲を限定すれば救援と両立できるという説明を準備した。最初は飛行禁止区域、防空用レーダーの無力化、航空基地への攻撃。そうした段階を踏めば、地上軍の大規模派遣にはならない。彼女は、ひとつの小さな決定を積み重ねる手順を好んだ。


しかし、実際に救援資源を担当する将校は、空母を1隻動かすときにも輸送と燃料と保守が連動して動く、と指摘した。飛行甲板の上だけを使う戦争など存在しない。将校がその話をすると、スーザンは不機嫌な顔で予算の担当者へ確認するよう求めた。


こうして、救援を優先する判断は数日で変わっていった。イギリスとスペインが参戦を見送ると、米国が投入する戦力をさらに増やす案が出された。スーザンは作戦担当者の示した選択肢のうち、リビアの航空基地とレーダーサイトへの攻撃を支持した。会議室の外には、日本からの新しい救助要請が積まれていた。


太平洋の救援が最初の命令だった。地中海を担当する米第6艦隊は、司令部機能の一部を残しながら海上実動部隊のほぼ全てをスエズ運河方面へ送り出した。隊員には、運河を抜けてからインド洋を越え、日本と米国西海岸で不足している揚陸能力、ヘリコプター、医療設備を補う任務だと説明されていた。艦内には救難器材と衛生用品が積まれ、行き先に応じた航路表が作られていた。ところが英国とスペインの不参加を受け、米国がリビアへの軍事介入に戦力を加えることになった。空母を含む追加部隊の派遣が決まり、スエズ運河まであと少しの海域で、ほぼ全艦隊へ反転命令が届いた。


司令部は新しい作戦命令を読み上げた。最初の攻撃対象は、リビアの空軍基地とレーダーサイトだった。命令書にある文字は短かった。出発前に積んだ救援資材の行き先については、その欄に何も書かれていなかった。


*


新しい作戦命令は、空軍基地とレーダーサイトを対象にしていた。米海軍の水上艦は巡航ミサイルの発射準備を進め、フランス側も本国からの航空攻撃を計画した。米仏の担当者は目標資料を交換したが、最終的に使われた座標の一部は、地図上の説明と一致していなかった。


最初の攻撃が始まった夜、米艦から発射されたトマホークと、フランス機が放ったSCALP-EGが、トリポリにある中国大使館の敷地内へ向かった。


その頃、中国大使館では職員が奇妙なほど機嫌よく働いていた。ここ数週間、ある低層の別棟で害虫が増えて困っていたからだ。机の引き出しからも資料棚からも出てくる。職員が日々の掃除で追いつかなくなり、専門業者に依頼して1棟丸ごと燻蒸を行うことになった。


作業中は立ち入り禁止で、建物内には誰もいなかった。担当者は入口の表示を確認し、鍵を預かり、別の棟で報告書を書いていた。


衝撃は、最初、窓枠が外れたような音に聞こえた。その直後に地面が揺れ、低層棟のあった方から土煙が上がった。警備員が駆けつけたとき、建物はほとんど原形をとどめず崩壊していた。


救護担当者が全員の所在を確認した。死者0人。重傷者0人。燻蒸のため、たまたま中に人がいなかった。周辺の窓ガラスは割れ、軽い負傷者の手当ては続いたが、被害の中心となった棟から救い出す人はいなかった。


「燻蒸はどうなりましたか」


混乱が収まったころ、若い職員が担当者へ尋ねた。


「建物ごとありません」


「害虫は」


「確認しようがありません」


報告書には、作業予定と、立ち入り禁止の開始時刻と、着弾時刻が並んだ。大使館の職員たちは、無事だったことを喜びながら、呆然と空き地を見つめた。


中国政府は即座に抗議した。攻撃に使われた米仏双方の兵器について説明を求め、目標指定の経緯を明らかにするよう要求した。かつてベオグラードの中国大使館が米軍に誤爆された事件を覚えている者にとって、今回の説明はなおさら受け入れがたかった。


米国の報告書には『座標の誤り』と記された。フランス側も『目標情報の不一致』を調べ始めた。調査官たちが調べたのは座標、照合記録、発射命令だった。不可解な誤りの原因は、どの報告書にも記されなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。