第2話 スタンフォードの天幕
第2話 スタンフォードの天幕
講義の前日、サンフランシスコ国際空港には海から低い雲が流れ込んでいた。
機体が止まり、警備担当者と外交官が先に降りた。カダフィーは焦げ茶色の長衣に薄いサングラス、ライスは濃紺のパンツスーツでタラップの下にいた。出迎えの最初の話題は、国家元首の儀礼でも大学の講義でもなく、構内へ張る天幕の許可だった。
「大学の許可は下りたのか。私は簡単な天幕を張るだけだ。砂漠なら場所を選び、風を見て杭を増やせば済む。大学で同じことをするのに、どうしてこれほど長くかかる」
「あなたの天幕には調理設備も発電機も通信機器もあるでしょう。消防署、大学の施設部、保険会社、警備担当者がそれぞれ条件を出しているのよ。警備の問題が起きて学生まで巻き込まれたら、あなたの外交以上に私の授業に響くわ」
カダフィーは納得しきれない顔をしたが、ライスが大学では自分の方が事情に詳しいと説明すると、それ以上は押さなかった。
サーレム上級曹長は40代半ばの小柄な下士官だった。駐米リビア武官部の警備連絡が肩書だが、実際にはカダフィーの衣服、薬、眼鏡、筆記具、通信機器の電池残量まで把握している。彼は空港で天幕の構造計算書を提出したと報告した。大学から風速条件を求められたのだという。
「私が風の強い砂漠で何十年も使ってきたものを、米国の大学が紙の上で確かめるわけか。実物を見せれば早いと思うが、学者というのは慎重なものだな」
「私も学者よ。あなたは学生の前で、その慎重さの理由を聞いてみたらどう?」
車列は空港を出て南へ向かった。カダフィーは地図を広げ、サンフランシスコとパロアルトの距離を確かめた。途中で自転車に乗る学生の姿が増え、大学の建物が見えてきた。
構内の芝地に張られた天幕は、リビアのものより防火器具が多かった。入口横に消火器が2本、内部には電池式の煙感知器、発電機の排気は人の通路から離れる方向へ向けられている。カダフィーは杭と張り綱を自分の足で確かめ、感知器がどのような条件で鳴るかまでサーレムへ質問した。
天幕には2人分の寝台があり、机には大学の案内書と翌日の予定表が置かれていた。読書灯が1つしかないことに気づいたカダフィーは、妻が夜に資料を読むのだからもう1つ必要だと言った。サーレムは予想していたらしく、荷物から2つ目を出した。
「上級曹長は本当にあなたのことがよく分かっているのね。でも明日の講義で分からないことを学生に尋ねられたら、あなただけで答えるのよ。サーレムさんへ頼むわけにはいかない」
「それなら心配はない。学生が私のことを調べて質問するのは構わない。むしろ、思い込みだけで来るのなら困る。大学へ来たからには、私も考えたことを話そう」
天幕の前には学生が集まっていた。写真を撮りたい者もいれば、実物の天幕を見たい者もいる。カダフィーが外へ出ると、機械工学を学ぶ学生が発電機を指差した。
「リビアの国家指導者が日本製の発電機を使っているのはなぜですか。自国で作る計画はあるのですか」
カダフィーは笑い、翌日の講義のあとにもう一度来るよう勧めた。発電機の銘板と整備記録を見せるから、そのとき一緒に国産化の費用も計算しようという。学生は予想外の宿題をもらって喜んだ。
テントを見せてほしいという声も上がったが、カダフィーは今日は妻の荷物が広がっているから遠慮してほしいと答えた。ライスは中から、床一面に並ぶ衣装の持ち主はあなたでしょうと声を掛けた。学生たちが笑い、警備員も少し肩の力を抜いた。
その夜、夫婦は講義の予定を確認した。開場は9時、ライスによる紹介、50分の講義、60分の質疑。掲示された題は『革命、国家、そして生存――リビア、1951年から2010年』だった。
大学がこの人物を呼んだ理由は、賛美も告発も聞くためだけではなかった。1951年に独立した国で外国軍基地をどう扱い、1959年以後の石油収入をどう国民生活へ戻し、軍と部族と地方行政をどう動かしてきたか。成功した政策と失敗した政策を、当事者に年月と決定の順序を付けて説明させるためだった。ライスも、その講義を司会するだけでなく、自分の学生が資料をぶつけて質問する機会にしたかった。
「私なら『リビア』の一語でよいと思った。だが、君が学生に説明しやすい題を付けたのなら、それで構わない。話すことはまだ決めきっていないが、国王の時代から始めるつもりだ。どうして若い将校が王制を終わらせることにしたのかを話さなければ、その後の政策も分からないだろう」
「その話なら私も聞きたいわ。ただし、50分の講義のあとで学生が質問する時間は必ず残して。あなたはナセルからスターリンまで始めると長くなるから、質問のために少し余白を残すのよ」
カダフィーは、質問は事前に選別しないのかと確認した。ライスは警備上の確認は済んでいるが、内容までは制限しないと答えた。嫌な質問が出る可能性を彼女は承知していた。彼が公の場で何をどう話すのか、妻としても政治学者としても見届けたかった。
夜になって湾からの冷たい風が下りてきた。カダフィーは毛布をもう1枚求めた。サーレムは最初から用意していたものを手渡した。ライスは隣の寝台で本を読んでいる。
「明日の講義では、君はどこへ座る。学生の方を見るのは当然だが、私が長く話しすぎた時は顔で知らせてくれると助かる。君が教室の後ろでは、私から表情が見えない」
「少し離れた前方の席にいるわ。学生の反応も見たいから。でも私ばかり見ないで、質問した学生の顔を見て答えてね。あなたの話を聞くために来るのだから」
しばらくするとカダフィーは、ナセルの話は避けられない、アラファトも質問次第では必要になる、と眠る前の独り言のように続けた。スターリンを話し始めれば2時間では足りないという話になり、ライスはとうとう読書灯を消した。
「明日の時間は決まっています。続きが必要なら、あなたの講義をまた開きましょう。今夜は2人とも眠る方が先よ」
「それなら、次の講義も予定に入れておけ。私はまだ話していないことがたくさんある」
ライスは暗闇の中で笑った。彼が学生の質問を待ちきれないことは、もう分かっていた。
*
翌朝5時40分、芝生の散水装置が動いた。天幕の屋根と張り綱へ細かな水が降りかかり、カダフィーは寝台から身を起こした。外でサーレムが施設担当者に電話している声がした。夜間の警備計画には散水時刻が書かれていなかったらしい。
ライスは枕元の時計を見て事情を悟った。彼女が事情を説明すると、カダフィーは朝食の席で、昨日あれほど許認可の書類を作っておきながら、肝心の散水装置を忘れた大学の行政能力について論じ始めた。
「リビアの省庁でこの失敗が起きたら、私は灌水設備の管理責任者を呼んで、警備担当と同じ机で話をさせる。大学も、部署同士の連絡がこれほど難しいなら、一度、全部の責任者を集めた方がいいだろう」
「大丈夫。施設部へ連絡したら、散水の時刻を変えてくれるわ。今日の講義で大学行政を改革する必要まではないから、どうかリビアの話をしてちょうだい。50分という約束を忘れないでね」
カダフィーは自分の予定表に目を落とした。講義50分、質疑60分。題名は『革命、国家、そして生存――リビア、1951年から2010年』。それを決めたのはライスだった。彼は『リビア』という1語で十分だと言い続けていたが、学生に事前に内容を知らせる必要がある、と妻に説得されていた。
講義室には予定された座席数を超える学生が入っていた。階段にも後方の壁際にも人が座り、別室へ映像を送るカメラが二台置かれている。
壇上には演台、椅子二脚、水差し。
大型スクリーンには題目だけが表示されていた。
REVOLUTION, STATE, AND SURVIVAL
LIBYA, 1951-2010
カダフィーは文字を見上げた。
「やはり長い」
「もう印刷しました」
「次は短くする」
「次もあるの?」
「今日の質問による」
開始時刻になり、ライスが演台へ立った。
「おはようございます」
いつもの講義と同じ声だった。
「本日の講師は、ムアンマル・カダフィー大佐です」
カダフィーは椅子に座ったまま片手を上げた。
「1969年9月1日、若い将校たちとともにリビア王制を倒し、その後40年以上、リビアの政治と外交の中心にいました。2008年9月、私は国務長官としてトリポリを訪れ、大佐と正式な会談を行いました」
横から声が入った。
「正式に会ったのは、だ」
ライスは彼を見た。
「その補足は必要?」
「学生は正確さを求める」
教室で笑いが起きた。
ライスは続けた。
「現在は、私の夫でもあります」
拍手と口笛が混じった。
カダフィーは平然としていたが、ライスには口元が少し動いたのが見えた。
「講義後に質疑時間を設けています。まず1人1問ずつ受け付けます。答えを確かめるための補足質問は認めます。回答を一言で済ませるという意味ではありません。むしろ、質問を具体的にしてください。年号や政策を尋ねた人には、当事者がその時点で何を知っていたのかまで話してもらいます。演説をしたい学生は、別の日に教壇をお貸しします」
カダフィーが立ち上がった。
「それは私にも適用されるのか」
「特にあなたに適用されます」
また笑いが起きた。
ライスは演台を離れた。
昨夜より少しだけ、カダフィーに近い椅子へ座った。
彼はそれに気づいたが、何も言わなかった。
原稿を持たずに演台へ立ち、しばらく教室を見渡した。
「皆さんは、私が昨夜テントで寝たことを知っている」
何人かが笑った。
「大学も知っている。消防署も知っている。保険会社も知っている。芝生の散水装置だけが知らなかった」
教室が大きく笑った。
「朝5時40分、スタンフォード大学は私を水で攻撃した。米国空軍より正確だった」
ライスが額に手を当てた。
「しかし、今日は米国空軍の話から始めない。王の話から始める。なぜ私が1969年に王を倒し、1970年に外国軍基地を返してもらい、その後40年も国家を動かし続けたのか。大学だからこそ、政策ごとに日付と文書の名前を出そう。信じる必要はない。あとで調べて質問すればよい」
教室が静かになった。
「リビアは最初から1つの国だったわけではない。トリポリタニア、キレナイカ、フェザーン。それぞれ外との結び付きも、支配の経験も、部族の関係も違った」
「1951年12月24日、リビアは独立した。イドリース国王は、王冠をかぶった1人の男というだけではなかった。東部の宗教的権威であり、部族間の仲介者であり、英国と話のできる人物だった」
「1954年、米国はウィーラス基地を使う協定を結んだ。英国にも基地があった。独立国の土地に外国軍がいる。国王側には金と安全保障が必要だった。米国側には地中海の訓練基地が必要だった。どちらにも理由はあった」
「1959年、石油が見つかった。数年後には国家予算の意味が変わった。しかし、石油が出れば国家が強くなるとは限らない。金が中央へ集まれば、誰が配るかという争いも中央へ集まる」
「1963年、連邦制は廃止され、リビアは単一国家になった。地図の線は消せても、東部と西部の記憶は消えない」
「1969年9月1日、国王は国外にいた。私たちは放送局、軍施設、通信を押さえた。王制は倒れた。私は若かった。悪い部分を壊して新しいものを建てれば、国家は直ると思っていた。しかし国の富を誰が握るかという問題は、王を替えただけでは解決しなかった。石油は国外の資本と契約で結び付いていた。1970年から私たちは石油会社へ条件の再交渉を求め、1973年には複数の外国石油会社のリビア事業の51%を国家が保有する方向へ進めた。外国企業の技術をすべて追い出すより、採掘を止めず、価格交渉の力と収入の配分を国家へ取り戻すことを優先した。そこから教育と医療へ払う金が生まれる。学校の無料化を革命の精神だけで説明したら、石油会社の会計係に笑われる」
「1970年6月11日、米国はウィーラス基地をリビアへ引き渡した。1969年11月に撤退を要求してから、双方が期日と引渡しを交渉した結果だ。英国軍も去った。外国軍の旗が下り、リビアの旗が上がる。若い革命家には非常に分かりやすい成功だった。ここで1954年の基地利用協定を思い出してほしい。国王が必要とした安全保障と引き換えに、外国軍へ国内の土地を使わせた取り決めだ。私はそれを認めず撤退を要求したが、引き渡しの日付がなければ、革命後も同じ飛行場を外国の軍が使い続けただろう。政治的な要求を現実にするのは、最後に署名される文書と、それに従って移動する人員と機材だ」
彼は少し間を置いた。
「その次から、難しくなった」
教室のどこかで笑いが起きた。
「外国軍を追い出すには、相手と期限を決めればよい。学校を全国へ作るには、教師を育てなければならない。病院を無料にするには、医師、看護師、薬、電気、水、道路、冷蔵設備が必要になる。国王を追い出すのは1日でできる。行政は40年でも終わらない」
カダフィーは1977年3月2日の人民主権宣言、人民会議、人民委員会について話した。
「紙の上では、私は国家元首ではなくなった。人民が決め、委員会が実施する」
前列の学生が友人を見た。
カダフィーは見逃さなかった。
「今、疑ったな」
教室に笑いが起きた。
「正しい。疑うべきだ。人民会議が決めても、部族が反対すれば実行できない。委員会が決めても、予算を持つ者が動かなければ道路はできない。軍の指揮官も、外国の大統領も、最後には私へ電話した。公式には権力を持たない者へ、全員が決定を求めた」
「1986年4月、米国はトリポリとベンガジを空爆した。私は、自分の家の近くに爆弾が落ちる音を聞いた。米国はテロへの対抗措置だと言い、私は侵略だと言った。同じ爆発に二つの国家が二つの名前を付けた」
「1992年と1993年、国連制裁が強化された。航空、武器、外交、資産。国家は地図から消えなくても、空路から消えることがある」
「1999年4月、ロッカビー事件の容疑者2人をオランダへ移送し、制裁停止への道が開いた」
「2003年12月19日、大量破壊兵器計画を公表し、廃棄すると発表した。遠心分離機、六フッ化ウラン、ミサイル関連装置、化学兵器用弾薬。隠していたものを見せ、国外へ出し、壊した」
「2006年、米国との完全な外交関係が戻った。2008年9月5日、ライス国務長官がトリポリへ来た」
ライスが顔を上げた。
「その話は短くして」
「まだ何も話していない」
「それが心配なの」
教室から笑いが起きた。
「彼女とはアフリカ、米軍アフリカ軍、テロ対策、投資、両国関係について話した。具体的な話だった」
「そのとおりです」
「夕食も取った」
「講義を続けて」
「学生は歴史の細部を知りたい」
「献立は歴史ではありません」
「外交は食卓でも動く」
ライスは時計を指した。
カダフィーは演台へ戻った。
「皆さんが知りたいことを聞けばよい。答えられることには答える。答えられないことは、そう言う」
ライスが立った。
「予定より4分長いですが、質疑に入ります」
一斉に手が上がった。
最初に指された学生が聞いた。
「なぜ大佐なんですか」
教室が少しざわめいた。
「40年も指導者だったなら、将軍や元帥になれたはずです。それに、ナセルも大佐と呼ばれていました。意識したのですか」
カダフィーは演台の横に立った。
「1969年の革命時、私は大尉だった。革命指導評議会の議長となり、大佐になった。将軍は軍隊の中の階級だ。私は軍隊だけを指揮する者ではなくなった。だから将軍になる必要がなかった」
「でも、大佐も軍の階級ですよね」
「そうだ」
「矛盾しませんか」
「政治には完全な記号がない。大佐なら軍人だと分かる。元帥ほど王に見えない」
「ナセルの影響は?」
「1952年7月23日の革命時、ナセルは中佐だった。後に大佐と呼ばれ、大統領になった。若いアラブ将校で、ナセルを意識しなかった者を探す方が難しい」
「では、まねた?」
「階級だけをまねたなら簡単だった。彼が外国軍を追い出し、スエズ運河を取り戻し、アラブ世界へ自分の声を届けたことを見ていた」
「実際には王より長く統治しました」
カダフィーは質問者を見た。
「よい。次に質問するときは、最後の一文を最初に言え」
笑いと小さな拍手が起きた。
次の学生が立った。ベドウィンの生活文化を研究している学生で、質問を聞くと、スクリーンへカダフィーが国外へ持ち込んだ天幕の写真が映し出された。
「外国訪問の際、なぜホテルや迎賓館ではなく天幕に泊まるのですか。伝統文化の象徴なのでしょうか。それとも、政治的な意味があるのでしょうか」
「両方だ。私は砂漠で育った。子どものころ、天幕が家であることを説明する必要などなかった。ところが国家の指導者になって国外へ出ると、迎賓館の部屋も警備も行程も、受け入れる側が準備するようになった。もちろん外国の好意はありがたい。しかし、私の天幕を持って行けば、誰がどこに入るか、どこに通信装置を置くか、入口から何歩のところまで警備するかを、私の側で決められる。飾りだけなら、室内に布を1枚掛ければ済む。実際にそこで寝るから意味がある」
カダフィーは昨夜使った天幕の見取り図を指した。学生には民族衣装と天幕をひとまとめにした民俗展示にも見えたが、その中には通信回線、発電機、冷房、寝台、警備の動線が書き込まれていた。
「政治的な演出でもある。砂漠の国から来た者が、欧州の宮殿を借りなければ外交できないと思われるのは愉快ではない。ただし、実用面ではホテルの方が便利な場合もある。だから妻は消防署と大学の施設部へ先に連絡を取り、避難経路と発電機の条件を調べた。私がいくら天幕を好んでも、学生の通る道に張り綱を渡して事故を起こす権利はない」
ライスが一度だけ頷いた。
「なお、設備については追加で一つ勉強になりました。屋根の布は雨に耐えられましたが、朝5時40分にスタンフォード大学の散水装置が動くことまで、私たちの警備計画には書かれていなかったのです。あの装置は、大学が自国の設備について本当に詳しいかを問う良い教材でした」
教室が笑った。学生は質問の冒頭に書いた「文化か政治か」という二者択一をノートから消し、装備と文化の両方へ矢印を引いた。
次に指された学生は印刷した資料を持っていた。
「1986年4月9日、レーガン大統領はあなたを『中東の狂犬』と呼びました。どう受け止めましたか」
カダフィーは少し笑った。
「その言葉をレーガンが最初に作ったわけではない。記者が使った言葉を、彼が気に入って使ったと、同じ記者会見で話している」
「怒りませんでしたか」
「私は米国を帝国主義者と呼び、敵をシオニストの手先と呼んだ。政治家は相手を短い言葉へ押し込む。短い言葉は、軍事作戦の説明より安い」
「実際に予測不能だったのでは?」
「政策を変えた。アラブ統一からアフリカへ軸を移し、イスラエルの消滅を語った後に、イスラエルとパレスチナを1つの国家へ入れる案を出した。変化には理由があった」
「全部ですか」
「全部ではない。感情で変えたこともある。40年統治して、一度も感情で決めなかったと言う者がいれば、その者の記録を調べろ」
教室は静かだった。
「狂犬という言葉は、相手を考えなくてよいものにする。だが、私を理解すれば好きになる、という意味ではない。考えなくてよい相手ではなかった、というだけだ」
核工学を専攻する大学院生が立った。
「2003年の大量破壊兵器放棄について伺います。イラク戦争を見て恐れたからですか」
「恐れなかったと言えば嘘になる」
教室が静かになった。
「国家を動かす者が恐れを計算に入れなければ、その国は長く残らない。ただし2003年だけを見れば間違える。1986年に空爆された。1991年にソ連が消えた。1992年から制裁を受けた。1999年に制裁停止への道を作った。2001年9月11日の後、米国の安全保障政策は変わった。2003年のイラク侵攻は、最後の数字を表へ書き込んだ」
「サダム・フセインが倒されなければ、放棄しなかった?」
「交渉は遅れたかもしれない。しかし、遠心分離機を回し、弾頭を設計し、運搬手段を作り、秘密を守り続ける国力がどれほど必要か、私は知っていた。設計図を買うことと、運用できる核戦力を持つことは違う」
「放棄を後悔しましたか」
「兵器を完成させていれば安全だった、とは言えない。完成前に攻撃される。事故が起きる。技術が売られる。軍の一部が奪う。国家は兵器1つで安全にならない」
「同じ条件なら、また捨てますか」
「捨てる」
答えは短かった。
「条件は?」
「査察、投資、外交関係、安全保障上の利益を同じ時刻に動かす。約束を順番にすると、最後の約束だけ履行されない」
次の学生が立った。
「スターリンと比較されたら、どう答えますか」
カダフィーは水を飲んだ。
「まず、スターリンという一語で70年のソ連を説明してはいけない」
「あなたも、カダフィーという一語で40年のリビアを説明されたくない?」
「そうだ」
「スターリンは1924年にレーニンが死んだ後、党書記長の位置を使い、人事と組織を握った。1928年に第一次五カ年計画を始め、農業集団化を進めた。1932年から33年には各地で大きな飢餓が起きた。1936年から38年には公開裁判、党内粛清、軍幹部の処刑、強制収容所への大量移送が続いた」
「1941年6月22日、ドイツがソ連へ侵攻した。スターリンの国家は最初に大きく崩れながら、工場を東へ移し、兵士を補充し、1945年にベルリンまで進んだ。1953年3月にスターリンが死んでも、党、軍、秘密警察、計画経済、共和国の機構は残った」
「彼は制度を自分のために強くした。私は政党と官僚機構を疑った。政党を置かず、人民会議を作り、委員会を入れ替えた」
別の学生が口を挟んだ。
「それなら、あなたの方が民主的だった?」
ライスがその学生を見た。
「次の質問として扱います。続けて」
学生は立った。
「制度を壊した結果、すべての判断があなたへ集中したのではありませんか」
「そうなった。私は人民会議を通じて皆が意見を言えるようにしようとしたが、誰かが異論を止めれば、最後は私へ裁定を求めに来る。議会が決めたことを大臣が実施できず、地方と部族の対立が残れば、官僚は責任を負いたがらない。私が電話を取ると、その仕事は進む。取らなければ止まる。40年近く同じことを繰り返した結果、私は制度の外側から制度を動かす役になっていた。スターリンは党組織を強めて命令を下へ流した。私が人民会議を増やしても、執行権限と財政の責任が明確でなければ、逆向きに私へ問い合わせが集まる。だから、この点は反論できない」
学生はノートを取る手を止め、さらに尋ねた。
「スターリンは、命令が自分から下へ流れる国家を作った。私は、人民会議、部族、軍、革命委員会、行政機関から話が上へ来て、最後に私が調整する国家を作った。形は反対に見える。しかし最後に1人が必要になる点では似ていた」
「どちらが強い制度ですか」
「本人が死んだ後に動き続ける機構の強さで比べるなら、スターリンの方だ。もっとも、長く残った制度がよい制度だと保証するものでもない。秘密警察と強制労働の制度まで残したなら、それは被害も後世へ送ったということだ。私は制度の継続性を評価し、その中身を別に評価する」
教室が少し動いた。
「彼は何を残したか。第1に、ソ連を重工業国家に変えた工場と鉄道だ。無理な生産目標、強制労働、農業集団化が招いた飢餓の犠牲も、その歴史から取り除けない。第2に、赤軍と共産党の指揮系統、国家保安機構、中央集権的な予算配分制度だ。第3に、1945年に東ヨーロッパまで進んだ軍事的支配圏、1945年の国連発足でソ連が持った安全保障理事会の常任理事国の席、そして1949年の原爆実験で得た核兵器だ。彼の死後も、それを使って政治をする者がいた」
「1945年2月のヤルタ会談では、ルーズベルト、チャーチル、スターリンが戦後の領土と安全保障の枠組みを話した。ポーランドをめぐる取り決めを含め、紙に書いた約束と、その土地に駐屯した軍隊の力が一致するとは限らなかった。1955年5月14日のワルシャワ条約はスターリンの死後に結ばれたものだ。後任が結んだ条約まで彼本人の功績にするつもりはない。それでも、その同盟に組み込まれた東欧諸国の政権と軍の関係には、彼の時代に作られた土台があった」
「私の人民会議は、人々が意見を表明する入口を増やした。しかし、その結論を執行する職員、地方の予算、異議申立ての手続き、権力を次の人間へ渡す決まりを、私は十分に残せていたのか。そこを比較しなければ、私がスターリンより優しい顔をしていたかどうかを議論しても国家の寿命は測れない」
東欧史を専攻する学生が立った。
「では、チトーとはどう違いますか」
「チトーはスターリンより私に近い」
「1945年に社会主義ユーゴスラビアを作り、1948年にスターリンと決裂した。重要なのは、ユーゴスラビアの党とパルチザンが、ソ連軍だけによって政権を与えられた組織ではなかったことだ。チトー自身の軍と党があった」
「西側から援助も受けました」
「受けた。米国と西欧は、ユーゴスラビアをソ連圏へ戻さないために食料、信用、技術を与えた。チトーは西側の同盟国にはならず、ソ連の衛星国にも戻らなかった」
「1961年、ベオグラードで最初の非同盟諸国首脳会議が開かれた。チトー、ナセル、ネルー、スカルノ、ンクルマ。東にも西にも完全には入らない場所を作ろうとした」
「1974年憲法では?」
「共和国と自治州へ大きな権限を与え、集団的な大統領制を整えた。1980年5月4日にチトーが死んだ後も、国家は翌日に崩れなかった。だが、1991年から92年にかけて解体へ進んだ。経済、債務、民族主義、東欧の変化、共産主義体制の終わりが重なった」
「あなたはチトーより制度作りに失敗した?」
「同じ試験を受けていない。チトーは連邦、党、軍、共和国政府を残した。私は人民会議、行政、石油収入、軍、部族間の均衡を残した。似ているのは、本人が制度より大きくなったことだ。学生の皆さんが私に点を付けるなら、今の政策を支持したかだけでなく、私の後任が失敗を訂正する仕組みを作れたかを見てほしい。私には、その答えが気に入らない可能性もある」
「チトー本人に聞けば、違う答えを出しただろう」
次の学生が立った。
「ナセルについて、もう少し聞かせてください。あなたは彼の後継者になろうとしたのですか」
カダフィーは椅子へ座った。
「若い頃、そう考えなかったと言えば嘘になる」
「1952年7月23日の自由将校団革命でエジプト王政が倒れた。ナセルが実際にやったことで、私が強く評価するのは、外国軍の駐留を終わらせるために外交と法律を使ったことだ。1954年10月19日に英国とエジプトが結んだスエズ基地撤退協定は、1936年の英埃条約に代わるものだった。英国軍が出ていく条件と期限を文書にした。革命の熱気だけで基地が返ってきたのではない」
「1956年7月26日にはスエズ運河会社を国有化した。アスワン・ハイダムの資金をどうするかという問題もあった。10月29日にイスラエル軍がシナイへ入り、31日に英国とフランスが攻撃した。軍事的にはエジプトが苦しかったが、国際的な圧力によって英仏軍は撤退した。運河会社の経営権と収入をエジプトへ戻したこと、外国軍の撤収を実現したこと、この2つを私は評価する。戦争に勝ったから英雄になったのではなく、主権の問題で具体的な成果を残したからだ」
「1967年6月の戦争で、エジプト、シリア、ヨルダンは6日で敗れた。ナセルは辞任を表明し、群衆に引き止められた。私たちは勝ったナセルだけでなく、敗れたナセルも見た」
「あなたの革命は1969年9月1日です。ナセルは1970年9月28日に亡くなりました」
「1年と27日だ」
「覚えているのですか」
「忘れると思うか」
「彼が死ぬ前、ヨルダン軍とパレスチナ武装組織の衝突を止めるため、カイロで仲介していた。会議の後に倒れた。彼がいなくなり、アラブ世界には大きな椅子だけが残った。私はその椅子へ座りたいと思ったが、ナセルが全国的な電力と灌漑のために進めたアスワン・ハイダムのような公共事業まで、演説ひとつで引き継げるわけではなかった。さらに、1967年6月の戦争でエジプトが大敗したことも彼の歴史だ。私が評価するのは、勝利の宣伝より基地撤収と運河の経営権、国家を動かす手段としての水と電力だ」
「そこへ座ろうとした?」
「座れると思った。椅子の脚が、エジプト、シリア、イラク、ヨルダン、パレスチナ、湾岸諸国へ別々に伸びていることを、十分には見ていなかった」
別の学生が手を上げた。
「アラファトとは友人でしたか」
カダフィーは少し考えた。
「友人という言葉を、政治家同士に使うと長くなる」
「では、どんな関係でしたか」
「同じ目的を語り、違う道を選び、必要な時には会い、腹が立てば電話を切る関係だ」
笑いが起きた。
「PLOは1つの組織ではなかったのですか」
「1つの名称と代表機構はあった。だが中にはファタハ、パレスチナ解放人民戦線、民主解放人民戦線、ほかにも複数の組織があった。武器、資金、外国との関係、社会主義への考え、ヨルダンやシリアへの態度が違った」
「PLOは1964年に作られ、アラファトは1969年に議長になった。1970年9月、ヨルダン軍とパレスチナ武装組織が戦った。ナセルは仲介し、その直後に死んだ」
「1974年10月28日、ラバトのアラブ首脳会議はPLOをパレスチナ人の唯一の正統な代表と認めた。同年11月13日、アラファトは国連総会で演説した。武装組織の指導者が、国際外交の壇上へ上がった」
「1982年、イスラエル軍がレバノンへ侵攻し、PLOはベイルートから退去した。失った拠点を演説では取り戻せなかった。1988年にはパレスチナの独立を宣言し、国連安全保障理事会決議242と338を受け入れる方向へ進んだ。そして1993年9月9日、アラファトはラビン首相への書簡でイスラエルが平和と安全のうちに存続する権利を認め、PLOが暴力を放棄することを表明した」
「その4日後、9月13日にワシントンでオスロ合意の原則宣言が調印された。署名したのはPLO側のアッバースらだが、アラファトとラビンがクリントンの前で握手した写真が残った。あれが重要なのは握手の姿ではない。武装闘争を率いてきた組織が交渉相手として認められ、一定の自治を担う行政機構へ進もうとしたことだ。ただし国境、エルサレム、難民の最終的な地位は先送りになった。合意に書かれなかった問題は、勝手に消えてはくれない」
「あなたはオスロ合意を支持しましたか」
「十分な解決にはならないと思った。1978年のキャンプ・デービッド合意と1979年のエジプト・イスラエル平和条約で、サダトはエジプトのシナイ返還に道をつけた。しかしパレスチナの国家はそこで生まれなかった。ナセルの功績とサダトの条約は別に評価すべきだ。1993年のオスロでも、小さな自治を国家への入口と見る者と、出口のない囲いと見る者がいた。私は後に、イスラエル人とパレスチナ人を1つの国家へ入れる『イスラティン』を語った」
「現実的ですか」
「私は二国家案が何十年も実現していないことを見てきた。一方、イスラエル人とパレスチナ人を1つの国家へ入れる案にも、同じ市民権をどの法律で保証するか、帰還を求める難民の権利をどう扱うか、宗教も武装組織も違う住民の警察を誰が担うかという難問がある。私の『イスラティン』は、その難問の答えを書き終えた設計図ではない。しかし最終的な国境もエルサレムも決められない合意を重ねるだけで、問題がなくなるとは思わない。私は別の枠組みを提案した。それを現実にできるかどうかは、少数派の安全を保証する制度を作れるかにかかっている」
「アラファトを革命家と見ましたか、国家元首と見ましたか」
「両方になろうとした人間だ。革命家は妥協すれば裏切り者と呼ばれ、国家元首は妥協しなければ国家を作れない。彼はその間を歩いた」
次の学生は歴史専攻だった。
「ムッソリーニ、ヒトラー、ガンジーと比較されたら?」
「3人を1つの質問へ入れるのは乱暴だ」
「時間がないので」
ライスが言った。
「質問者も時間を使うようになりました」
教室が笑った。
カダフィーは答えた。
「ムッソリーニは1922年のローマ進軍で政権へ入り、リビアでは植民地支配を強めた。オマル・ムフタールは1931年に処刑された。私にとってムッソリーニは、演説の技術より先に、リビアを支配した側の人物だ」
「ヒトラーは1933年に首相となり、1935年のニュルンベルク法で人間を血統によって分類し、1939年に戦争を始めた。国家の目的に、集団の排除と消滅を組み込んだ。私と同じ一語でまとめれば、違いを見失う」
「ガンジーは1930年の塩の行進、1942年のインド退去運動を通じ、英国支配へ別の圧力を作った。インドは1947年に独立した。私は27歳で、軍の通信と兵舎を握れば王制を一晩で倒せると考えた。実際、倒せた」
「非暴力を考えなかった?」
「当時は考えなかった。速く終わることを、被害が少ないことと同じに考えた」
「間違いでしたか」
「請求書は後から届く」
次に立ったのはリビア系の学生だった。
「あなたにしか分からないことを聞きたいです。トリポリとベンガジの対立を、法律や公式の人民会議ではなく、日常の国家運営で何によって抑えていたのですか」
「道路と、そこを行き来するための交通費だ。トリポリで働く者がベンガジの商人と取引し、南部の学生が東部の学校へ通い、病院の薬が反対側の港からも届く。そういう日常を増やす。もし政治家が明日から東西を分けようと言い出しても、自分の商売と家族が国境で止まると分かっていれば、簡単には賛成できない。私は部族の交渉を続けたが、交渉を必要とする回数そのものを減らす仕事も国家の役目だと思う」
学生は少し驚いた。
「道路ですか」
「道路、大学、病院、軍の人事、石油会社の事務所、航空路線、港の予算。東部の者が、国家はトリポリのものだと思えば終わる。西部の者が、石油は東部から出るから東部だけが富を持つと思っても終わる」
「部族間の交渉は?」
「毎日だ。だが全件を私が扱ったのではない。地元の長老が治めた争いに大統領府が割り込めば、そこで反発が生まれる。中央の金の配分が問題なら財務当局を呼び、軍の配置なら軍と地方を同席させる。どの種類の争いかを最初に分けなければ、政治的な仲裁がすべて私個人への陳情になる」
「誰が交渉したんですか」
「知事、軍人、宗教指導者、家族、商人、私の使者。公式の役職を持たない老人が、閣僚より強いこともある」
「金を配った?」
「配った。だが現金を指導者の好みで渡していた部分と、予算を通じて行うべき公共投資を、私は十分に区別できていなかった。税金で造る病院には所在地と予算の説明がいる。武装勢力が今日銃を置くための金は、明日もっと多くの金を要求する口実にもなる。国家の帳簿に同じ支出として入れるなら、後任者は何が公共事業で何がその場の停戦だったか判断できなくなる」
教室が少しざわめいた。
「公共事業、奨学金、補助金として配る。時には武器を置く条件として配る。国家予算とは、数字に名前を付けたものだ」
「脅迫も使いましたか」
「使った。反対勢力が武力を集める前に圧力をかける方が安いと考えた時期もあった。しかし、情報機関にその方法を教えれば、相手が武器を持っているかどうかではなく、担当者が危険と報告したかどうかで動くようになる。政治家に都合のよい報告が増えた。私もその責任から逃げられない」
「逮捕も?」
「使った。名簿に名前が加わっただけで家族が困窮することもあった。国家を維持するために用いた手段が、国家を信用しない人間を増やす。そこを問い直さなければ、同じことを繰り返す」
ライスは口を挟まなかった。
「それで国家を保った?」
「それだけでは保てない。恐怖だけなら、恐怖が弱くなった日に離れる。利益だけなら、もっと金を出す者へ行く。学校、病院、家、仕事、部族の安全、宗教、国旗、外国軍がいないこと。人によって国家へ残る理由は違う」
経済学部の学生が、手元の図表を掲げた。
「ナセルもスターリンも大きな公共事業を造りました。しかし、石油価格が落ちた年に無料の医療や道路を維持するため、あなたは何を予算に残したのですか。設備は完成した時が一番新しい。問題はその後だと思います」
カダフィーは学生の図表を見るために演台から降りた。
「油田の収入が入った年に、すべてを建設費へ回せば、落成式は盛大になる。しかし水道管は腐食し、ポンプは磨耗する。病院の酸素設備や医薬品用の冷蔵庫が止まれば、開院式の写真など役に立たない。だから交換用の部品、保守する技術者の給料、輸送に必要な燃料、止まった設備の代わりを動かす費用まで予算に入れる。石油は地下から出るが、熟練した整備士は井戸から出てこない。育てる時間がいる」
「技術者の報告が政治家に届かなければ、予算は付かないのでは?」
「実際、届かなかったことがある。私が叱ると思って、故障の報告を止めた者もいた。そうすると次の週には修理できるはずの設備が、次の年まで止まる。指導者へ都合のよい数字を出す仕組みを作ったら、最後は指導者自身が国の状態を知らなくなる」
ライスは、質問者のノートに数字がびっしりと書かれているのを見た。彼が欲しかったのは独裁と民主主義の一般論ではなく、故障率と予備品を財政へどう組み込むかという、授業へ持ち帰れる説明だった。
「ただ、私にもできなかった仕事がある」とカダフィーは続けた。「部族の有力者に電話をかければ一件の紛争を止められる。しかし、担当者が変わっても同じ基準で奨学金を決められる書類を残すのは、もっと難しい。国を直すというなら、私がいなくなった後に誰が命令書へ署名し、誰が設備の検査記録を読むのかまで決めなければならない」
ライスは一瞬、彼の顔を見た。2人がこの人生で始めようとしている改革を、彼は学生たちの前で、自分の言葉として語っていた。
次の学生は、質問を口にする前から笑っていた。
「個人的な質問でもいいですか」
「既に何人もしている」
「ライス教授を愛していますか」
会場が一気に騒がしくなった。拍手と口笛が飛ぶ。
ライスは質問者を見て、それから夫へ視線を移した。
カダフィーは学生へ聞いた。
「なぜそれを知りたい」
「2人が普通の夫婦には見えないので」
「普通の夫婦を何組知っている」
「両親と、友人の両親くらいです」
「少なすぎる」
笑いが広がった。
学生は引かなかった。
「では、愛していますか」
カダフィーはライスを見た。
ライスは時計を見なかった。
待っていた。
「愛している」
会場が沸いた。
カダフィーはまだライスを見ていた。
「非常に、愛している」
二度目は、教室より彼女へ言った。
ライスは一瞬だけ目を伏せた。
その反応を見てから、カダフィーは学生へ向き直った。
「彼女は私の話を途中で止める。私の服を勝手に減らす。重要な会議の前に医師の予約を入れる。私が正しい時にも、すぐには認めない」
ライスが言った。
「最後の1つは事実ではありません」
「今も認めていない」
「それはあなたが正しくないからでしょう」
笑いがしばらく収まらなかった。
質問した学生がさらに聞いた。
「どちらが先に結婚を言い出したんですか」
ライスが手を上げた。
「1人一問です」
「教授、それは答えたくないからですか」
「授業の規則です」
カダフィーが言った。
「彼女だ」
ライスは即座に彼を見た。
「フロリダへ来ないかと言っただけです」
「私はそれを結婚の提案として理解した」
「あなたが勝手に拡大解釈したの」
「外交文書では、曖昧な表現を有利に解釈する」
また拍手が起きた。
ライスは小声で言った。
「あとで覚えてなさい」
「妻が愛を告白した記録として残る」
「記録を改ざんしないで」
最後の質問を選ぶ時間になった。
まだ多くの手が上がっていた。
ライスは後方の学生を指した。
「40年間、国を率いた人に聞きます。国家を運営する上で、一番重要だった情報は何ですか。石油価格、軍の報告、外国の情報ですか」
カダフィーはすぐには答えなかった。
水差しから自分で水を注いだ。
「朝、パンが届いたかどうかだ」
学生が首を傾げた。
「パンですか」
「首都の店にパンがあるか。病院に酸素があるか。発電所に燃料があるか。兵士の給料が予定日に出たか。南部の道路をトラックが通れるか。港で荷物が何日止まっているか」
「もっと大きな情報ではなく?」
「大きな情報は会議で届く。小さな情報は、届かなくなった時には遅い」
「外国の情報機関の分析は?」
「彼らは、私が明日何を言うかを知りたがった。私は、明日どこの変圧器が壊れるかを知りたかった」
教室の前方で、電気工学の学生が笑った。
「国家は演説で見える。しかし止まる時は、ポンプ、電線、給与台帳、道路から止まる。40年のうち、外国との戦争を考えた日は多い。毎日考えたのは、水と電気と食料だ」
学生は立ったまま頷いた。
カダフィーは付け加えた。
「それでも、朝5時40分の散水装置は知らなかった」
教室全体が笑った。
ライスが立ち上がった。
「時間です」
まだ手は上がっていたが、学生たちはゆっくり下ろした。
「カダフィー大佐、ありがとうございました」
カダフィーも立った。
最初の拍手は前列から起きた。
すぐに左右へ広がった。後方の学生が立ち、階段に座っていた学生も、壁際にいた者も手を叩いた。
カダフィーは一度、教室全体を見渡した。
隣へ来たライスの耳元で言った。
「近くに座ったな」
拍手が大きく、周囲には聞こえない。
「講師が迷子にならないようにね」
「愛している」
「さっき聞いたわ」
「これは学生への回答ではない」
ライスは一瞬だけ彼を見た。
「私もよ」
2人は並んで壇上を降りた。
拍手は、側面の扉が閉じるまで続いた。




