表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「恋人のフリだけですから♡」と言った学校一のお嬢様が、毎日俺を本気で落としにくる。  作者: リディア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
37/38

第37話 恋人なら、会えない時間も考えてしまいますよね?

 午前十時。

 クーラーの効いた部屋で単語帳を開いていると、スマホが小刻みに震えた。

 グループLAINからの通知だ。


『暇な人集合ー!』

『駅前のカフェ!』

『あ、ちなみに断る権利なし!』


 相変わらずの西園寺の暴走だ。

 次々とスタンプが押されていく。


『だから何で毎回強制なんだよ! 俺は今ゲームのいいところなんだぞ!』

『私は行く』


 画面の中で繰り広げられるいつものやり取りに、俺は小さく息を吐きながら文字を打ち込んだ。


『……了解』


 まあ、息抜きにはちょうどいいかもしれない。

 この数日、俺は少しだけ根を詰めすぎていた。


 駅前のカフェ。


 涼しい店内の奥のボックス席には、俺、西園寺、朝比奈、田中のいつもの四人が集まっていた。

 そこに、あの綺麗な黒髪の姿はない。


「この前は災難だったなー、高坂」


 アイスコーヒーのストローを噛みながら、田中が言った。バーベキューでの一件のことだ。


「白鷺さん、大丈夫だった?」


 西園寺が心配そうに身を乗り出してくる。


「……分からない」

「連絡は?」

「少しだけ」


 俺が素直に答えると、西園寺と朝比奈は顔を見合わせた。


「でもさ……あのお兄さんの気持ちも、少し分かる気がするんだよね」


 西園寺が、アイスティーのグラスを見つめながらぽつりと言った。


「そうね。大切だから、守りたいんでしょ」


 朝比奈が静かに同意する。

 俺は、黙ってアイスコーヒーの氷をストローでつついた。

 そうなんだ。あの人は間違っていない。妹を心配し、大切に思うからこその行動だ。俺だって、もし立場が逆なら同じように警戒するかもしれない。

 悪者にできないからこそ、もどかしくて、苦しい。


「あーあ! やめやめ! せっかく集まったんだから暗い話はなし!」


 西園寺がパンッと手を叩いて空気を変えた。


「そうだな! 俺なんて昨日、親父のプリン勝手に食ってマジで家追い出されそうになったからな!」

「田中のアホエピソードは次元が低すぎて参考にならない」

「朝比奈厳しい!」


 いつもの、くだらなくて騒がしいやり取りが戻ってくる。

 店員が、田中が注文した追加のケーキとコーヒーを運んできた。


「はい、お待たせー。あ、これブラックだけどいいの?」


 西園寺がコーヒーを田中に渡す。


「澪。……お前は、ブラック飲めないだろ」


 俺は、ごく自然に。

 隣の空いている席に向かって、無意識にそう語りかけていた。

 ピタリ。

 テーブルの上の空気が、完全に止まった。


「「…………え?」」


 田中が、コーヒーカップを持ったまま目を丸くして俺を見ている。


「え、高坂くん? 今、誰に話しかけたの?」


 西園寺が、キョトンとした顔で俺の隣の空席を指差した。


「……あ」


 俺は、自分が何を言ったのか気づいて固まった。

 顔が、一気に沸騰したように熱くなる。


「いや……あ、あの、今のは……」

「やばっ! 高坂くん、白鷺さんがいないのに隣にいる幻覚見てるじゃん!」

「無意識に名前呼んでたし(笑)」


 田中と西園寺が、手を叩いてニヤニヤと笑い出す。


「ち、違う! これは、その、ただの言い間違いというか……!」


 必死に弁解しようとするが、口から出る言葉はどれもしどろもどろだ。


「へぇー。でも、白鷺さんってブラック飲めないんだ。高坂くん、本当に白鷺さんのことよく見てるね」


 朝比奈が、ストローから口を離して小さく笑ったが、何も言い返せない。

 俺が、隠していたものを見透かされたような気恥ずかしさと、それ以上の、得体の知れない戸惑い。


 なんで?


 なんで俺は、ここにいないあいつに話しかけてしまったんだろう。

 ここにいるのは田中たちだ。なのに、頭のどこかで「あいつが隣にいる」と錯覚していた。


 あいつの頼むものが。

 あいつの表情が。

 あいつの相槌が。


 俺の日常は、いつの間にか「白鷺澪が隣にいること」を前提に回るようになっていたんだ。


「またみんなで遊ぼうねー!」

「今度は何も起きるなよ(笑)」


 駅前で解散し、俺は一人で家路についた。

 途中、近所の公園のベンチに腰を下ろし、ぼーっと空を流れる入道雲を眺めた。


 青空。

 けたたましい蝉の鳴き声。

 とにかく暑い。


 ただ、考え事をするにはちょうど良い。

 俺は、澪の何が好きなんだろう。


 手を繋ぎたいとか、キスをしたいとか、そういうのはまだよくわからない。

 ……本当に恋って、なんだろうな。


 でも。

 今日、カフェのあの席に、もしあいつがいたら。

『澪。お前はブラック飲めないだろ』って言って。

『結弦くんのばか』って笑われて。

 田中のアホな話を聞いて、一緒に呆れて。


 ただ、それだけで良かった。

 なんでもない時間を、ただあいつと共有したかった。


 

 なんでだろう。

 いつから、俺はこんな風に——。


 風が強く吹き抜け、空の雲が少しだけ形を変えた。

 その雲の形が。

 ふと、澪が微笑んでいる時の、あの横顔に見えた。


「あ……」


 ぽつり、と。

 俺の頬に、生温かいものが伝った。


 悲しいわけじゃない。

 怖いわけでもない。

 寂しいから、でもない。


 何なんだ、この感情は。

 手の甲で目をこすった。また出てきた。もう一度こすった。止まらなかった。


「……参ったな」


 俺は、泣きながら、少しだけ笑ってしまった。


 ポケットからスマホを取り出す。

 LAINの画面を開く。

『白鷺 澪』のトーク画面。

 メッセージ欄に指を置く。


 迷う。

 打っては消し、また迷う。

 そして。


『何してる?』


 送信。

 息を詰めて画面を見つめる。

 頼む。今すぐ返してくれ。そう祈るような気持ちで画面を握りしめていると。

 数秒後。


『紅茶飲んでます♡』


 その一文だけが、返ってきた。

 俺の思った通りだ。やっぱりあいつは、一人で紅茶を飲んでいた。俺の頭の中に浮かんだ幻覚と、まったく同じように。


「っ……ははっ」


 俺はスマホの画面を見つめたまま、堪えきれずに声を上げて笑った。


「はははっ、なんだよそれ……」


 誰もいない公園のベンチで、スマホを握りしめながら一人で笑う。

 はたから見たら完全に不審者だ。でも、笑いが止まらなかった。

 さっきまでポロポロと出ていた涙の代わりに、今度は胸の奥が、温かくて甘い何かでギュウギュウに満たされていくのを感じた。


 また、くだらない話がしたい。

 また、隣で笑ってほしい。

 また、紅茶を飲みながら笑ってほしい。


 俺はスマホの画面に表示された『♡』マークを指でそっとなぞり、それから、もう片方の手で自分の熱くなった顔を深く覆った。


 画面の向こうの彼女には送れない。

 言葉にも、まだできない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ