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「恋人のフリだけですから♡」と言った学校一のお嬢様が、毎日俺を本気で落としにくる。  作者: リディア


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35/38

第35話 恋人なら、隣に立てるようになりたいですよね?

 家に帰り、自分の部屋のドアを閉めた瞬間、俺はベッドに力なく倒れ込んだ。

 煙の匂いが染み付いた私服のまま、仰向けになって天井を見つめる。


 澪のお兄さんの、あの静かで、冷徹な目が怖かった。

 澪が、何度も何度も俺の方を振り返りながら、何かを訴えかけていたあの目を忘れられない。

『君にはまだ、関係のない話だ』と言ったお兄さんの言葉が、今も耳の奥でリフレインしている。

 何より、高級車に乗り込む澪の手を取ることすらできなかった、あの時の自分が許せない。


 ぐるぐると、同じ後悔ばかりが頭の中でループする。


 本当に情けない。自分が嫌になる。

 何にもできない、ただの高校生。

 ……住む世界が、違う。


 頭ではわかっていたつもりだった。彼女が学校一のお嬢様で、俺がただのモブ男子であることは。

 でも、今日初めて、その『壁』の厚さと高さを、皮膚感覚で思い知らされた。


 いや、そもそも『恋人のフリ』だったはずだ。勘違いして、浮かれていたのは俺の方だったのか……。


 俺はポケットからスマホを取り出し、LAINの画面を開いた。

 トーク履歴の一番下。


『今日はBBQですね♡』という、今朝送られてきた彼女からのメッセージ。


 返信欄に指を置く。

 でも、打つべき言葉が見つからない。


『大丈夫?』

 ——違う。全然大丈夫そうじゃなかっただろ。


『今日はごめん』

 ——違う。俺が謝ったところで、何かが解決するわけじゃない。


『また会おう』

 ——もっと違う。そんな能天気な言葉、今の彼女に送れるわけがない。


 結局、俺は何も入力できないまま、画面を閉じた。

 あんなことがあった後で、俺だけ『いつも通り』の彼氏ヅラなんて、できるわけがなかった。


「結弦、飯食わないのか?」


 夕食の時間。リビングに降りると、親父が缶ビールを片手にテレビを見ていた。


「ああ。ちょっと腹減ってなくて」


 親父は俺の顔をちらりと見て、それ以上は何も聞かなかった。

 昔からそうだ。この親父は、俺が何か悩んでいる時、無理に聞き出そうとはしない。

 親父はビールを一口飲み、テレビから視線を外さずにぽつりと言った。


「男ってのはさ」

「……」

「生きてりゃ一度くらい、自分じゃどう逆立ちしても届かないような相手と出会うもんだ」


 俺は、立ち止まった。


「その時、逃げるか、それとも歯を食いしばって頑張るかで……その後のそいつの顔つきが、少しだけ変わるもんだよ」


 親父は俺の事情なんて何も知らない。ただの一般論。ただの人生論だ。

 でも、その言葉は、今の俺の胸のど真ん中を正確に射抜いていた。

 俺は何も言わず、親父の背中に向かって小さく会釈をして、自分の部屋へと戻った。


 夜の十一時。

 暗い部屋の中で、スマホが短い通知音を鳴らした。

 画面が光る。

 表示された名前は、『白鷺 澪』。


『今日はごめんなさい。』


 それだけ。

 いつもの『♡』も、スタンプもない。

 たった一文から、彼女がどれだけ落ち込み、不安に押し潰されているかが痛いほど伝わってきた。


 俺は、スマホを両手で握りしめた。


 今度こそ、逃げるわけにはいかない。

 少しだけ考えて、文字を打ち込む。


『謝ることじゃない。』


 送信。

 少しの間。

 俺は、さらにキーボードを叩いた。


『俺が、もっと頑張る』


 送信。

 何を頑張るのか。どう頑張るのかなんて、具体的には書かなかった。

 でも、今の俺に言える、一番の嘘偽りない本音だった。


 数秒後。


『……はい♡』


 いつものマーク。

 でも、すぐに追撃でもう一通送られてきた。


『ありがとうございます』


 ♡が、消えていた。

 強がっていつもの自分を作ろうとしたけれど、やっぱり無理だったのだろう。

 俺は、その不器用なメッセージを見つめたまま、もう一通だけ送られてきた言葉に目をやった。


『次に会った時は、ちゃんと笑いますね』


 その健気な一文に、俺は思わず小さく、でも力強く笑った。


「……約束だからな」


 俺はスマホを机の端に置き、部屋の電気をつけた。

 散らかっていた漫画を端に寄せ、問題集と参考書を積み上げる。

 椅子に座り、シャーペンを手に取った。


 ……勉強ができれば、何かが変わるとは思わない。

 お金持ちになれば、認めてもらえるとも思わない。

 そんな単純な話じゃないことは、俺にだってわかる。


 でも。


 あの人に。「君には関係ない」と、「話にならない」と思われたままでは。

 俺は一生、彼女の隣には立てない。


 自分で自分を否定して諦めたら、その時点で本当に終わりだ。


 悔しいけど、今の俺には何も持っていない。だけど、それを自覚することこそが、前に進むために必要なんだ。


 俺は、参考書のページを開いた。

 テストは終わったばかりだ。でも、そんなことは関係ない。

 俺は生まれて初めて。

 自分のためでも、自己満足のためでもなく。

「澪のために」

 何かを、本気で頑張りたいと思った。


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