第34話 恋人なら、認めてもらわないといけませんよね?
なんだかバーベキューっていうのは、この肉の焼ける音。これが最高なんだよな。みんな楽しそうで何よりだ。
——なんて呑気にトングを握っていた俺の視界に、明らかに俺たちとは纏う空気が違う、カジュアルな私服を着こなした男の姿が入り込んできた。
「——ずいぶんと楽しそうだね」
なんなんだ、あの圧倒的なオーラは……。
普通の大人とも違う。清潔感というのか、気品というのか。
確実に、俺たち高校生とは住む世界が違う。
「……お兄様」
隣に立つ澪が、少しだけ震える声で呟いた。
は?
お兄様……?
ということはなんだ。澪のお兄さんってことは、あの『白鷺家』の人間ってことか。
これが、いわゆる身分のオーラってやつか?
さっきまで騒いでいた田中や西園寺も、言葉を失って黙り込んでいる。そりゃそうだろ、こんなの。俺だって、格の違いを見せつけられて心臓がバクバクだ。
「今日は友人とバーベキューかな?」
そのお兄さんがこちらへ近づいて来た。
なんというか、プレッシャーがすごい。怒鳴っているわけでも、怒っているわけでもないのに、そこから放たれる圧がとにかく強いんだ。
「……はい」
澪が下を向きながら、小さく頷く。
すると、お兄さんはゆっくりとサングラスを外した。
澪と同じ綺麗な黒い瞳だな、なんて一瞬だけ考えてしまったが、そんなのんきな状況じゃない。迫力があるというか、一言で言い表すと、とにかく「怖い」だ。
だけど、何より隣にいる澪の怯えたような様子が気になった。だからこそ、俺までここで顔を背けてはいけない、と強く思った。
「……君が、高坂結弦くんだね」
「あ……はい」
どうにか声を絞り出すと、彼はスッと右手を差し出してきた。
俺も慌ててトングを置き、ズボンで軽く手を拭いてから、その手を握り返す。
……強い。
嫌がらせで力任せに握り潰そうとしている感じじゃない。ただ、彼自身の「ブレない強さ」みたいなものがそのまま握力として伝わってくる、自然で、めちゃくちゃ力強い握手だった。
「話は聞いている」
彼が短く、そう言った。
……おい、ちょっと待て。
それだけで、俺の背中に冷たい汗がダラダラと流れるのを感じた。
話を聞いているってなんだよ。
俺たちが付き合っていることか?
それとも、まさかこれが『フリ』であることまで全部、この人にお見通しってことなのか……?
「あ、あーっ! えーと、それじゃあ焼きそばの審査しまーす!」
重苦しい空気を察した西園寺が、パンパンと手を叩いて強引に場を回そうとした。なんかありがとう西園寺。まじで助かった。
「……うん、高坂くんと白鷺さんペアの焼きそば、一番美味しい! はい、優勝ー!」
無理やりの拍手がパラパラと起こる。
だが、お兄さんは表情一つ変えない。ただ、黙ったまま鉄板の上の焼きそばに視線を落とし、備え付けの割り箸で少しだけ口に運んだ。
「……美味しい」
彼は素直にそう言った。
なんだ、怒っているわけじゃないのか。俺が少しだけ安堵しかけた、その時。
「だが」
どういうことだ?
「澪。……帰るぞ」
たった一言だけ。
それは提案でも、お願いでもない。
絶対的な決定事項で、俺たちに反論する隙すら与えない、冷徹な響きがあった。
「でも……」
澪が、すがるような目で俺を見た。
俺の袖を掴もうとして、でも、その手が途中で止まる。
俺は、何も言えなかった。
ここで「まだ帰さない」と言えるほどの理由が、今の俺にあるのだろうか。
家族の事情に、ただの高校生である俺が首を突っ込んでいいのだろうか。
思考が空回りして、言葉が出てこない。
お兄さんは、そんな俺の葛藤を見透かすように静かに見つめ、言った。
「高坂くん。……悪いが、今日は連れて帰らせてもらうよ」
俺たちとは、住む世界が違うのだと突きつけられた気がした。
「高校生同士の交際を、頭ごなしに否定するつもりはない」
「……」
「ただ。白鷺家には、白鷺家の事情がある。……君にはまだ、関係のない話だ」
それは、見下しているわけでも、悪意があるわけでもない。
ただの『事実』だった。
大人の社会と、高校生だけの狭い世界。その間にある、決して越えられない壁。
「……はい」
澪は小さく返事をし、俯いたままお兄さんの後を追って歩き出した。
何度も、何度も、俺の方を振り返りながら。
助けを求めるように。でも、諦めたように。
俺は、ただその場に立ち尽くし、彼女の背中を見送ることしかできなかった。
「……マジかよ」
田中が、ぽつりと呟いた。
「……」
いつもなら気の利いたことを言う朝比奈も、黙り込んでいる。
西園寺に至っては、珍しく表情を強強張らせたまま、一言も発しなかった。
誰も、何も言えなかった。
バーベキュー場の入り口。
迎えの黒い高級車に乗り込む前、お兄さんが再びこちらを向き、俺に向かって一言だけ、はっきりとした声で残した。
「高坂くん。……近いうちに、一度話をしよう」
それだけを言い残し、車は静かに走り去っていった。
……白鷺家。
初めて聞く、その言葉の響き。
御堂筋先輩が言っていた、「君にはまだ関係ない」世界。
俺たちが歩いていた毎日とは、あまりにも遠い世界だった。
夕暮れの川辺に立ち尽くす俺の目に映る彼女の背中は、あの花火大会の日にはぐれた時よりも、ずっと、ずっと遠く見えた。




