第28話 恋人なら、一緒に出かけますよね?
夏休みが始まった。
朝からセミがうるさく鳴き、ジリジリとした日差しが窓から部屋に差し込んでいる。
クーラーの効いた自室のベッドに寝転がりながら、俺は手元のスマホをぼんやりと眺めていた。
画面には、先日交換したばかりのLAINのトーク画面が開かれている。
俺は画面を開いては閉じ、また開いては閉じるという不毛な動作を繰り返していた。
メッセージを送りたい。でも、送る用事がない。
……いや、待て。別に送りたいわけじゃない。ただ、その……あれだ。
俺は天井を見上げ、必死に自分へ言い訳を並べ立てた。
文化祭の片付けとか、勉強会とか、ずっと一緒にいた反動だ。だって、恋人の振りをしながら毎日顔を合わせていた奴と急に会わなくなったら、そりゃ気にもなるさ。きっとそうだ、これは純粋な安否確認だ。健康状態の把握。仮の恋人としての義務、そんなものだ。
ぐるぐると頭の中で理屈をこね回すが、どう考えても苦しい。
夏休みに入った今、お互いに連絡を取らなければ、下手すれば一ヶ月以上会わないことだってあり得るのだ。
恋人のフリを続けるなら、それじゃダメか。御堂筋先輩の件だってあるし、白鷺さんと全く会っていませんは流石に、疑われるよな。
「……はぁ、もういいや」
俺は一つ大きなため息をつき、仰向けのままスマホのキーボードを打ち込んだ。四の五の理屈をつけるのはやめだ。やめ。ただ、顔が見たい。それだけだ。
『今日、少し時間ある?』
送信。
……既読は、恐ろしいほど早くついた。
『ありますよ♡』
即答だった。
その文字を見た瞬間、俺の胸の奥で、カチリと何かのスイッチが入る音がした。
「……よし」
俺は勢いよくベッドから跳ね起き、普段は開けないクローゼットの奥のほうから、少しでもマシな私服を引っ張り出し始めた。
駅前のロータリー。
待ち合わせの十五分前に着いた俺は、日陰で所在なくスマホをいじっていた。
「——結弦くん」
声に顔を上げると、白っぽいサマードレスを着た白鷺さんが歩いてくるところだった。
つばの広い麦わら帽子が、彼女の白い肌を夏の陽射しから守っている。
「お待たせしました」
彼女は俺の目の前で立ち止まり、ふわりと微笑んだ。
その距離は、学校にいる時と同じように、ごく自然で近い。
「いや、俺も今来たところだ」
俺たちは並んで歩き出した。
いつもなら「今日は暑いですね」とか「テスト終わりましたね」とか、そんな会話から始まる。
でも、今日は違う。制服もなく、学校への道でもない。
ただの夏休み。
何を話せばいいのか、少しだけわからなかった。
俺たちは駅近くの公園へ向かい、木陰にあるベンチに腰を下ろした。
セミの声だけが響く、静かな空間。
「……お願い」
少しの沈黙の後、俺が切り出すと。
白鷺さんは、少しだけ姿勢を正して俺を見た。
「決まりましたか?」
「ああ。決まったよ」
俺は一度小さく息を吸い込み、彼女の目を見た。
「夏休み。一日だけ……俺に『普通の恋人』を教えてほしい」
風が吹き抜け、木々の葉がカサカサと鳴った。
白鷺さんは、少しだけ目を丸くして、俺の言葉を咀嚼するように瞬きをした。
「……普通の恋人、ですか?」
「ああ」
俺は少しだけ照れくさくて、視線を地面に落としながら言葉を繋いだ。
「俺たち、恋人のフリをしてるけど……俺、恋愛経験とか全然ないし。普通の恋人が夏休みに何するのかとか、よくわからなくてさ」
それは建前だ。
本当はただ、一緒にいたかっただけだ。……それ以上は、まだ考えないことにした。
「……それだけですか?」
白鷺さんが、少しだけ不思議そうな声を出した。
「それだけ」
「もっと、無茶なお願いでもよかったんですよ?」
「いや」
俺は顔を上げ、彼女に笑いかけた。
「……その方が、楽しそうだから」
俺の言葉を聞いた白鷺さんは、少しの間、瞬きを止めて俺を見つめていた。
それから。
彼女の口元がゆっくりとほころび、今までで一番、柔らかくて優しい笑顔が咲いた。
「わかりました」
彼女は少しだけ首を傾げ。
「では。普通の恋人として……精一杯、お付き合いしますね♡」
「……よろしく」
「こちらこそ」
心臓がうるさい。
夏の暑さのせい。……たぶん。
「じゃあ、日にちは……」
俺がスマホを取り出すと、白鷺さんも同じようにスマホを開いた。
「来週の土曜日はどうですか?」
「……空いてる」
「私もです」
あっさりと、予定が決まる。
だが、そこからが問題だった。
「……で、どこ行く?」
「そうですね……普通の恋人、ですよね」
白鷺さんが人差し指を唇に当てて小首を傾げる。
「水族館とか、映画館とかでしょうか?」
「……どっちも、一日潰すにはハードル高くないか? 映画なんて、観終わった後、絶対に無言になる自信があるぞ俺は」
「ふふっ。じゃあ、無難にショッピングモールとか?」
「あー、それならなんとかなりそうだ」
探り探り、二人で「普通の恋人」の正解を探していく。その不器用なやり取り自体が、なんだかくすぐったくて、変に意識してしまう。
「恋人なら、一緒に出かけますよね?」
白鷺さんが、人差し指を唇に当てたまま、少しだけ首を傾けた。
「手を繋いで歩いたりも、しますよ?」
俺は一瞬、返事に詰まった。
「……難易度、高いな」
「ふふ♡」
「じゃあ、来週の土曜日。楽しみにしていますね?」
白鷺さんが、麦わら帽子の縁を少しだけ押さえながら、嬉しそうに言った。
「それでは。また、来週」
短い待ち合わせが終わり、俺たちは駅前で別れた。
小さく手を振って帰っていく彼女の後ろ姿を見送る。
家に帰り、俺はベッドに寝転がって、もう一度スマホを開いた。
カレンダーアプリ。
来週の土曜日。
何も予定が入っていなかったその日の欄に、文字を打ち込む。
『白鷺さんとデート』
……いや、デートって自分で書くのはなんか痛い。却下。
『白鷺さんとお出かけ』
……小学生の遠足かよ。却下。
『普通の恋人の練習』
……キモい。絶対誰にも見せられない。即却下。
結局、散々迷った挙句、一番無難な『白鷺さん』とだけ入力した。
登録ボタンを押し、予定が書き込まれた画面をぼんやりと眺める。
……普通の恋人、か。
ショッピングモールを並んで歩く。服を見る。ご飯を食べる。
ただそれだけのことなのに、頭の中で想像するだけで、柄にもなく顔が熱くなってくる。
正直、上手くやれる自信なんてまだ全然ない。
俺はもう一度、カレンダーを開いた。
『白鷺さん』
その文字を見て、少しだけ笑ってしまった。




