第23話 恋人なら、一緒に勉強する約束は守りますよね?
週末の午後。駅前のファミリーレストラン。
期末テストに向けた勉強会のために集まった俺たちだったが、テーブルの上の光景は、どう見ても勉強会のそれとは程遠かった。
「よーし、まずは糖分補給だな! 俺はチョコバナナパフェ!」
田中が高らかに宣言している……が、広げたばかりのノートの真上にメニュー表を重ねているのはどういうことだ。おい、勉強会という主旨はどこへ行った?
「帰れ」
向かいに座る朝比奈さんが、一切の感情を排した声で即座に切り捨てた。
「えー、いいじゃん! じゃあ私もイチゴパフェ一つ!」
おいおい。西園寺までもが便乗してんじゃねーか。
「西園寺さん。勉強しに来たんだよね?」
「違うの。ちょっと聞いて。勉強って頭使うから! 糖分は必須エネルギーだから!」
「じゃあ俺も大盛りフライドポテト追加で!」
「帰れ」
朝比奈さんの無慈悲な一撃が炸裂する中、田中くんと西園寺さんがギャーギャーと騒ぎ立てる。舞台が教室からファミレスのボックス席に変わっただけで、繰り広げられているのはいつも通りの不毛なやり取りだ。俺は少しだけ頭が痛くなるのを感じながら、その賑やかな光景を眺めていた。
「お前ら、相変わらず騒がしいな」
俺が呆れながら声をかけると、三人が一斉にこちらを向いた。
「おっ、主役のお出ましだね!」
「高坂くん、白鷺さん! こっちこっち!」
促されるまま、俺たちは空いていた席へと腰を下ろす。ボックス席の片側に西園寺さんと朝比奈さん、もう片側に田中。必然的に、俺と白鷺さんは田中の隣に二人並んで座ることになる。
「遅れてすみません。皆さん、もう始めていましたか?」
白鷺さんが鞄からテキストを取り出しながら、上品に微笑む。
俺はふと、目の前の西園寺さんたちの顔を見た。
誰も驚いていない。誰もツッコまない。
俺と白鷺さんが当たり前のように一緒に来て、当たり前のように隣同士で座る。それが、クラスの連中にとってはもう「日常の風景」として処理されているのだ。
「はいはい。ごちそうさま。じゃあ、イチャイチャする前に勉強始めよっか」
西園寺さんだけが、にやにやと含み笑いを浮かべてからかったが、それ以上追及してくることはなかった。文化祭前ならもっと大騒ぎしていたはずなのに。
……完全に、これが『普通』になっちまったんだな。
俺は小さく息を吐きながら、数学の問題集を開いた。
「結弦くん、ここ違いますよ。符号が逆です」
勉強が始まると、白鷺さんはいつものように的確な指導を始めた。
俺のノートを覗き込むために、彼女がすっと身を寄せてくる。
「っ……」
近い。
肩と肩が触れそうな距離。彼女の艶やかな黒髪が俺の腕をかすめ、甘いシャンプーの香りが鼻をくすぐる。
図書室の時もそうだったが、私服姿でファミレスの狭い席に並んで座っていると、余計に意識してしまう。
「……近い」
俺が小声で指摘すると、白鷺さんはピタリと動きを止めた。
少しだけ耳を赤くして、俺の顔を下から覗き込んでくる。
いつもなら恥ずかしがって少し離れるところだが、今日の彼女は逃げなかった。
「……恋人なら、このくらい普通ですよ?」
ニコッ、と小悪魔のような笑みを浮かべる。
その破壊力に俺の心拍数が跳ね上がる。
「だから、そういう問題じゃないだろ。周りの目もあるし……」
「もちろんです♡」
白鷺さんはさらに少しだけ距離を詰め、俺の腕に触れるか触れないかの位置で微笑んだ。
言った。確かに大胆なことを言った。
だが。三秒後。
みるみるうちに、彼女の顔から首筋、そして耳の先までが、茹でダコのように真っ赤に染まっていった。
「あ、あぅ……」
自分でやったことの恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、彼女は慌てて視線をノートに戻し、ぎゅっとシャーペンを握りしめて小さくなった。
……仕掛けた側が一番ダメージを受けてどうするんだ。
そんな一部始終を、目の前の席から西園寺さんがニヤニヤしながら完璧に観察していた。
向かいを見ると、西園寺さんが口元を押さえ、肩を震わせていた。
「……何だよ」
「ううん。何でもない♪」
「陽菜。手が止まってる」
「葵だって見てたじゃん」
「見えてしまっただけ。不可抗力」
朝比奈の冷たい声で、俺たちは慌てて問題集に意識を戻した。
それから一時間後。
英語の長文読解に取り組んでいた時のことだ。俺は問題文の和訳を声に出して確認していた。
「ええと、ここが主語で……『I like music.』だから……」
そこで、隣のシャーペンが止まった。
俺の声も止まる。
「……」
「……」
一瞬だけ、図書室のノートが頭をよぎった。
気まずい沈黙。俺がどうにか次の文へ進もうとしたその時、白鷺さんがシャーペンを動かし、俺のテキストの余白にサラサラと何かを書き込んだ。
『……音楽だけですか?』
「っ……!!」
心臓がドクンと跳ねた。
テキストに書かれたその短い一文と、下から俺の反応を伺うような上目遣い。
「白鷺さん……」
俺が抗議しようと彼女の方を見ると、白鷺さんは勝ち誇ったような小悪魔の笑みを浮かべようとして——。
「っ……ぁ」
みるみるうちに顔を真っ赤に染め、自分からテキストをバサッと閉じて顔を伏せてしまった。
「ん? どうした高坂。そこでつっかえるような文じゃないだろ」
……今だけは、田中の鈍さに感謝した。
「な、なんでもない。ただの……確認だ」
「…………じーっ」
すべてを察した西園寺さんが、これでもかというほど口角を吊り上げて俺たちを観察していた。
「……ふふっ、ごちそうさま。白鷺さん、今の自爆は百点満点だったよ」
「……」
「……」
西園寺さんの余計な一言のせいで、俺たちの間に流れる空気が、さらに気まずい色を深めていく。隣の白鷺さんはといえば、さっきから顔を伏せたままピクリとも動かない。……机に突っ伏して隠しきれていない彼女の耳が、信じられないくらい真っ赤に染まっているのが、嫌でも俺の目に入ってしまった。
「ああもう! 全然分からん!!」
空気を読まない田中に感謝。
「どこが分からないんだよ」
俺がテキストを引き寄せて、解き方の手順を一つずつ説明してやる。
文化祭の準備で身についたのか、人に教える手順が自分でも驚くほどスムーズに出てきた。
「おお……なるほど! 高坂って、教えるのすげぇ上手いな」
田中が感心したように目を輝かせる。
「文化祭から、高坂ちょっと変わったよね。前はもっと事無かれ主義っていうか、面倒なこと避けてたのに」
朝比奈さんが、ストローをいじりながら珍しく俺を褒めた。
「そうか? 普通だろ」
「いやいやー、恋人ができると男の子って成長するんだねぇ」
西園寺さんがここぞとばかりにからかってくる。
「違うっての」
俺が即座に否定すると、隣で白鷺さんがビクッと肩を揺らし、さらに顔を赤くして俯いた。
その可愛らしい反応を、西園寺さんの鋭いレーダーが見逃すはずもなく、彼女はさらにニヤニヤと笑みを深めていた。
「お疲れ様ー! じゃあ、また月曜日ね!」
夕方。ファミレスの外に出て、西園寺さんが大きく手を振る。
「今度はパフェ食う前にちゃんと勉強するからな!」
「田中、今日一問しか解いてないけどね」
朝比奈さんが冷たく言い放ち、三人は駅とは逆の方向へと歩いていった。
残された俺と白鷺さんは、夕焼けに染まる駅への道を二人で歩き出した。
少し冷たくなってきた風が、火照った顔に心地よい。
「今日は、楽しかったです」
白鷺さんが、隣を歩きながらふわりと笑った。
「勉強だけどな。田中のお守りで疲れただろ」
俺が苦笑交じりに言うと、彼女は少しだけ歩幅を小さくして、間を置いた。
「……勉強、”も”です」
ぽつり、と。
小さな声が、風に乗って俺の耳に届く。
言った。
彼女は確かにそう言った後、ハッとしたように自分の口元を押さえた。
しまった、というように瞳を揺らし、みるみるうちに耳まで真っ赤に染めていく。
「…………」
「?」
俺は足を止め、彼女を見た。
勉強”も”楽しかった。それなら、他に何が楽しかったというのか。
意味が分からない。分からないはずなのに、胸の奥がぎゅっと締め付けられるように跳ねる。
「な、何でもありません!」
白鷺さんは慌てて視線を逸らし、逃げるように早足で歩き出した。
俺は少し遅れて、彼女の背中を追いかける。
……勉強会。ただ勉強しただけ。そのはずだったが。
また約束して、また隣に座って、また一緒に帰る。
そんな当たり前が、俺たちの間に少しずつ、確実に増えている。
少し早足で歩く白鷺さんの隣に並ぶと、彼女は何も言わなかった。
俺も、何も言わなかった。
ただ、また来週も来るんだろうな、と思った。
それが不思議と、当たり前に感じた。
第23話をお読みいただきありがとうございます!
今回は勉強会……のはずだったのですが、気づけば白鷺さんの”自爆回”になっていました(笑)
小悪魔らしく攻めようとして、最後は自分が一番照れてしまう。
そんな彼女を書くのが、とても楽しかったです。
「また自爆してる(笑)」
「西園寺さんのツッコミ最高!」
「勉強会なのに全然勉強になってない!」
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