第2話 偽装恋人を始める
「覚悟しといてくださいね」
——そう言って、白鷺さんはひとつ、息を整えた。
放課後の教室。西日が机の影を長く伸ばしている。
彼女はまだ、俺の制服の袖を掴んだままだった。
「私と、付き合っていることにしてください」
「……は?」
予想外の言葉に、俺の思考が完全に停止した。
付き合っていることにしてくれ? 俺と、白鷺さんが?
「いや、ちょっと待て。意味がわからない。なんで俺が白鷺さんと……」
「だから、生徒会長対策です。御堂筋先輩、私が『彼氏はいませんから』って言うと、『じゃあ僕にもチャンスはあるね!』って爽やかに返してくるんです。メンタルが鋼っていうか、もうダイヤモンドなんですよあの人」
「ポジティブの化身みたいな人だからな……」
「この間ついに言われちゃったんです。『君が他の誰かと付き合っているなら諦めるけど、そうじゃないなら僕は何度でも君に思いを伝えるよ』って」
なるほど。
相手に悪気がないからこそ、タチが悪いパターンだ。
「だったら、はっきり『迷惑です』って言えばいいだろ」
俺の正論に、白鷺さんは恨めしそうな目を向けてきた。
「それができたら苦労しませんよ……。私は『完璧で清楚なお嬢様』なんです。御堂筋先輩みたいに慕われている人に、冷たい態度なんて取れません。そんなことしたら私のキャラが崩壊します」
「自分で作った首輪に、自分の首絞められてるな」
「うっ……それは言わないでください」
さっきまで膨らんでいた頬が、しゅんと萎んだ。
……図星だったらしい。
「とにかく、あの人を諦めさせるには『彼氏』が必要なんです。だから、結弦くん。私に彼氏役をお願いできませんか?」
「いや、無理だろ」
俺は即答した。コンマ一秒の迷いもなかった。
「なんでですか!」
「よく考えてみろ。相手はあの御堂筋先輩だぞ。容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能、おまけに実家は億万長者。そんな完璧超人のライバルに、なんでただのモブ男子Aであるこの俺が選ばれなきゃいけないんだ。俺が明日、東京湾に沈められる未来しか見えない」
「沈められませんよ! 私が全力で阻止します!」
「物理的な命の危機だけじゃない。俺と白鷺さんが付き合ってるなんて噂が流れたら、学校中の男子から敵視されるのは目に見えてる。針のむしろどころか、剣山の上で学校生活を送るようなもんだ」
「そんなこと……」
「ある。絶対にある。俺は平穏で目立たない高校生活を送りたいんだ」
俺が拒絶の理由を並べ立てると、白鷺さんは不満げに頬を膨らませた。
「でも、結弦くんじゃなきゃダメなんです」
「どうして俺なんだよ。彼氏役なんて、他に頼める奴いくらでもいるだろ」
「ダメです!」
白鷺さんは珍しく大きな声を出し、俺の言葉を遮った。
「結弦くん以外の人と付き合ってるフリなんて、絶対に無理です。だって……」
彼女は少しだけ俯き、もじもじと指先を絡ませた。
「他の人と恋人のフリをしたら、私はずっと『完璧なお嬢様』を演じ続けなきゃいけないじゃないですか。そんなの、三日で過労死します」
「……あー」
「それに、私のこのだらしない『素』を知っているのは結弦くんだけです。結弦くんなら絶対に秘密を守ってくれるって、私、知ってますから。だから……結弦くんじゃなきゃ、安心できないんです」
そう言って見上げてくる瞳には、一切の嘘がなかった。
確かに、彼女が一日中あの『お嬢様モード』を維持するのは不可能に近い。目の前でスライムみたいに机に突っ伏している姿を知っている身としては、その切実さは痛いほどよくわかった。
「……気持ちはわかった。でもな」
俺がなおも渋っていると、白鷺さんがふわりと微笑んだ。
そして、ゆっくりと顔を近づけてきて——俺の耳元で、甘く囁いた。
「大丈夫です。本気になるわけじゃありませんから」
「え?」
「恋人のフリだけですから♡」
——どきん。
心臓が、バカみたいに大きく跳ねた。
やばい……頭の中が真っ白になる……
俺は慌てて顔を背け、咳払いをした。
「だ、だから! いくらフリだって言っても、周りの目が……」
「結弦くぅん……」
白鷺さんはさらに距離を詰め、制服の袖を両手でぎゅっと握りしめた。
「お願いです……私、もう本当に限界なんです。このままじゃ、御堂筋先輩の爽やかスマイルに押し切られて、望まない結婚までさせられちゃうかもしれません」
「いや、飛躍しすぎだろ」
「結弦くんしか、私を助けてくれないんです……。結弦くん……ダメ、ですか?」
上目遣いで、俺の目をじっと見つめてくる。
袖を引く力は弱々しく、庇護欲をこれでもかと刺激してくる。
わかっている。これが彼女の「攻め」だということは。
でも——ふと横顔を見ると、小さな耳の先が、ほんの少しだけ赤く染まっていた。
……なんだよ、それ
計算ずくでからかっておいて、自分でも少し照れてるじゃないか
もう。ズルいにも程がある。
「あー……もうっ。わかったよ」
「本当ですか!?」
ぱぁっ、と白鷺さんの顔が輝いた。
「ただし、条件付きだ。あくまで『御堂筋先輩が諦めるまで』の期間限定。それから、必要以上に俺の平穏を脅かさないこと。そこだけは譲れないよ!!」
「はいっ! ありがとうございます、結弦くん!」
白鷺さんは満面の笑みを浮かべ、ぴょんぴょんと跳ねるように喜んだ。
その無邪気な姿は、学校中の男子が憧れる「高嶺の花」とは程遠い、ただの年相応の女の子だった。
「はぁ……明日からどうなることやら……」
「ふふっ。結弦くんは優しいですね。そういうところ、私……嫌いじゃないですよ?」
「はいはい。おだてても何も出ないぞ。ほら、暗くなるし帰るよ」
「あ、待ってください! 一緒に帰りましょう!」
俺が鞄を持って教室を出ようとすると、白鷺さんも慌てて鞄を手に取り、隣に並んだ。
「白鷺さん、さっき『必要以上に平穏を脅かさない』って約束したばかりだろ。一緒に帰るところを誰かに見られたらどうするんだ」
「別にいいじゃないですか。これからは正々堂々と一緒に帰れますよ」
「よくない。俺の心構えがまだできてない」
「もう、心配性ですねー」
昇降口で靴を履き替え、校門を出た。
夕日に照らされた帰り道。影が二つ、長く伸びている。
「ねえ、結弦くん」
「ん?」
その時だった。
白鷺さんが、すっと俺の右側に寄り添ってきたかと思うと——。
近い。
そう思った瞬間。
ふにっ。
右腕に、柔らかい感触が触れた。
…………。
頭が止まる。
「っ!?」
心臓が、一拍遅れて暴れ始めた。
近いどころじゃない。腕、組んじゃってるよ。
「お、おい……。白鷺さん、急になにやって……」
「え?」
白鷺さんは腕を絡ませたまま、首をこてんと傾げた。
そして、小悪魔のような、でもどこか嬉しそうな笑顔で、とびきり甘く呟いた。
「だって私たち、恋人ですから♡」
…………。
無理。
心臓がもたないよ。
「ほら、帰りますよ、彼氏さん」
「……わかってるよ、お嬢様」
「もう、お嬢様じゃなくて『澪』って呼んでくださいね?」
「それは追々だ、お・い・お・い!」
夕暮れの帰り道。
偽装から始まった俺たちの関係は、こうして最高に騒がしくて甘い幕を開けたのだった。
第2話も最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
ついに「恋人のフリ」が始まりました。
これから毎日、白鷺さんが結弦を振り回しながら、少しずつ二人の距離が縮まっていきます。
「ニヤニヤした!」
「白鷺さんが可愛かった!」
「続きも読みたい!」
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一緒に二人の恋の行方を見守っていただけたら嬉しいです!




