第17話 恋人なら、モヤモヤくらいしますよね?
文化祭前日。
教室は、いよいよ完成間近の喫茶店仕様に仕上がっていた。
「看板の位置、もうちょっと右!」
「メニュー表も各テーブルに貼るよー」
西園寺さんと朝比奈さんの声が飛び交う中、俺は備品の最終確認を、白鷺さんは接客用のチェックリストを片手に教室を回っていた。
そこへ、教室の入り口が少しだけ騒がしくなった。
「お疲れ様。準備は順調かな?」
クリップボードを持った御堂筋先輩が、生徒会の最終巡回でやってきた。
「あ、生徒会長!」
クラスメイトたちが挨拶する中、先輩は自然な足取りで白鷺さんの方へと向かった。
「澪。久しぶりだね」
「御堂筋先輩。お疲れ様です」
白鷺さんが、いつもの完璧なお嬢様スマイルより少しだけ力の抜けた、自然な笑顔で答えた。
俺は備品チェックの手を止めた。
……名前。
そういえば先輩だけは、彼女のことを「澪」と呼ぶんだったな。俺だって何度か呼ぼうとしたのに、まだ数えるほどしか呼べていないのに。
なんか、嫌だな。
胸の奥に、小さな引っ掛かりを覚えた。
「ここ、机の配置をもう少し壁側に寄せた方がいい。導線が確保できる」
「なるほど。そうすれば、お客様の流れもスムーズになりますね」
御堂筋先輩が的確にアドバイスを出して、白鷺さんがすぐに意図を汲み取って動く。二人の会話にはテンポが良く、無駄がない。昔からお互いをよく知っているような、そんな空気があった。
……息合ってるな。
俺と白鷺さんの「共同作業」とは違う、もっと洗練された、大人同士のやり取り。
俺は、自分が少し眉間に皺を寄せていることに、少し遅れて気づいた。
「どうしたの?」
不意に横から声がした。いつの間にか隣に来ていた西園寺さんが、ニヤニヤしながら俺の顔を覗き込んでいる。
「いや。別に」
「ふーん」
西園寺さんは俺と、楽しそうに話している白鷺さんたちを交互に見て、さらにニヤリと笑った。
「もしかして。……妬いてる?」
「違う」
考える間もなかった。
「へぇ。否定早いねー。わかりやすっ」
西園寺さんはクスクス笑いながら自分の作業へ戻っていった。
妬いてる? 俺が?
まさか、そんなわけが——。
俺と白鷺さんは、あくまで「偽装恋人」だ。御堂筋先輩の猛アタックを躱すための、ただのフリ。だから嫉妬なんてするはずが——
「さすが澪だね。完璧だ」
御堂筋先輩が穏やかに笑い、白鷺さんが嬉しそうに頷く。
……なんなんだよ。
頭では理解している。ただの生徒会長と実行委員のやり取りだ。なのに、胸の奥がモヤモヤして、胃のあたりがソワソワして、落ち着かない。
「高坂。テープ」
「……」
「高坂」
「あ、わりっ」
朝比奈さんに呼ばれて、俺はハッと我に返った。完全に上の空だった。
朝比奈さんはテープを受け取ると、俺の視線の先にいる二人を一瞥して、小さく肩をすくめた。
「……珍しいね。高坂がぼーっとしてるの」
それだけ言って、何も続けなかった。
朝比奈さんらしい、と思った。追い打ちをかけない。でも、全部わかっている顔だった。
しばらくして、御堂筋先輩が帰り支度を始めた。
「それじゃ、他のクラスも回ってくるよ。明日の本番、頑張ってね」
「はい。ありがとうございました、先輩」
白鷺さんが教室の入り口まで見送る。
先輩が廊下へ出る直前、ふと振り返った。
白鷺さんへでも、クラス全体へでもなく——俺の方へ。
一秒か、二秒か。
先輩は、かすかに笑った。
何も言わなかった。それだけで、廊下の奥へ消えていった。
……なんだったんだ、今の。
俺は、その意味を考えようとして、考えるのをやめた。わかるような気がして、でもわかりたくないような気がして、どうにも落ち着かなかった。
帰り道。
夕焼けに染まる通学路を、俺たちは並んで歩いていた。
白鷺さんはいつものように俺の隣を歩いていて、今日は特に何か話しかけてくるわけでもなく、ただ静かに並んでいた。
「……白鷺さん」
「はい?」
俺は前を向いたまま、口を開いた。
「御堂筋先輩と……」
言いかけて、止まった。
楽しそうだったな、とか。昔からあんな感じで話すのか、とか。そんなことを聞いたら、俺が完全に嫉妬しているみたいじゃないか。
「……いや。なんでもない」
「変な結弦くん」
白鷺さんが小さく笑う。
そして、ごく自然に、俺の右手に自分の左手を重ねてきた。
言葉もなく。「恋人だから」という説明もなく。
ただ、そうするのが当たり前のように。
「……」
俺は何も言わなかった。
白鷺さんも、しばらく黙っていた。
二人分の足音だけが、夕暮れの歩道に響いていた。
「恋人ですから♡」
少し経ってから、白鷺さんが言った。
いつもの台詞。いつもの小悪魔スマイル。
でも言った直後、白鷺さんは少しだけ俯いた。
何かを確かめるように、繋いだ手をきゅっと握る。
「……今日は」
小さな声で、続けた。
「それだけじゃ、ない気がします」
説明しなかった。
そのまま前を向いて、歩き続けた。
俺も、何も聞かなかった。
聞いてしまったら、何かが変わってしまう気がした。
それが怖いのか、それとも——まだ、自分でも整理がついていないのか。
わからないまま、俺は白鷺さんの手を、少しだけ強く握り返した。
夕日が、二人の影を長く伸ばしていた。
モヤモヤは、まだ消えていなかった。
でも、繋いだ手の温もりだけが、不思議なくらい、胸の真ん中に落ち着いていた。
第17話をお読みいただきありがとうございます!
結弦が初めて「嫉妬」という感情を自覚するお話でした。
御堂筋先輩、本当にいい先輩ですよね……!
「結弦、完全に好きじゃん!」「モヤモヤするのわかる!」「御堂筋先輩イケメンすぎる!」と思っていただけましたら、ぜひ星(評価)やフォローで応援よろしくお願いいたします!




