第16話 恋人なら、頼られるくらい当然ですよね?
文化祭本番まで、あと二日。
教室の中は、準備のピークを迎えていた。
「ポスター、あと三枚足りないよ!」
「メニューの誤字見つけた! 誰か直してー!」
「レイアウト、やっぱりこっちの方がいいかな……?」
あちこちから飛び交う切実な声。西園寺さんがバタバタと走り回り、朝比奈さんが冷静に指示を飛ばしている。
その中心に、彼女がいた。
白鷺さんは、手元の接客マニュアルを修正しながら、同時に装飾の進捗を確認し、さらに備品の領収書を整理している。
「あ、はい。そっちの飾り付けはもう少し左で……ええ、メニューの修正は私がやっておきます。レイアウトの変更案も、後で目を通しておきますね」
いつもの「完璧なお嬢様」の笑顔。
でも、俺は知っている。彼女が少しだけ呼吸を詰め、無理をしている時の癖を。
……抱え込みすぎだろ。
白鷺さんは責任感が強い。「自分がやらなければ」という意識が、人一倍高い。これまでの俺なら、「大変そうだな」と遠巻きに見ていたかもしれない。
でも、今は。
俺は彼女の隣に行き、その手から数枚の資料を黙って抜き取った。
「えっ? 結弦くん?」
「メニューの修正とレイアウト案の確認は俺がやる。白鷺さんは装飾の方を見てきて」
「でも、結弦くんも自分の仕事が——」
「終わらせた。だから、これくらいなんてことない」
俺は彼女の目を見て、はっきりと言った。
「白鷺さん。……恋人だろ。半分、持たせろ」
「っ……」
白鷺さんは一瞬、目を丸くしてフリーズした。
やがて、みるみるうちに顔を赤く染めて、俯き加減に小さく頷いた。
「……はい。お願いします、彼氏さん」
その声が、思ったより柔らかかった。
いつもの「恋人ですから♡」じゃない。からかいも、小悪魔な笑みも混じっていない。ただの、素直な返事だった。
それが余計に、心臓に悪かった。
「なーんか、今の高坂くん格好良くなかった!? ねぇ葵!」
近くにいた西園寺さんが、ニヤニヤしながら叫ぶ。
「……まあ、少しは見直したな」
朝比奈さんの言葉に、少しだけ照れくさくなる。でも、不思議と嫌な気はしなかった。
作業に没頭して三十分ほど経ったころ。
「ああっ! 看板用の花紙、全然足りない!」
「マジで!? 今から買いに行く時間は……」
クラスの空気が、一瞬で沈んだ。みんな自分の仕事で手一杯で、これ以上の余裕はない。
いつもなら、ここで白鷺さんが「私が……」と名乗り出るはずだ。
でも、今は俺が白鷺さんの仕事を半分持っている。彼女も身動きが取れない。
「みんな、ちょっといいか」
自分でも驚くほど、自然に声が出ていた。
教室中の視線が、俺に集まる。
「一人一個だけでいい。今の作業を五分だけ止めて、花紙を折ってくれ。人数がいればすぐ終わる」
一拍の沈黙。
西園寺さんが真っ先に立ち上がり、それにつられるようにクラスメイトたちが集まってきた。
「高坂が仕切るなんて、珍しいこともあるもんだね」
朝比奈さんが少し笑いながら、俺の横で紙を折り始めた。
俺は隣の白鷺さんを見た。
彼女は、驚いたように俺を見つめていた。
何か言おうとして、でも言葉にならなかったのか、ただじっと俺の顔を見ていた。
「……どうした?」
「いえ」
白鷺さんは、小さく首を振った。
「なんでもありません」
でも、耳が赤かった。
帰り道。
オレンジ色の夕焼けが、アスファルトを長く染めている。
「今日……結弦くん、すごく格好良かったです」
白鷺さんが、歩きながらポツリと言った。
「そんなことないよ。ただ、手が足りなかっただけだ」
「そういうところですよ」
「え?」
「本人が一番気づいていないところが」
白鷺さんが、俺の顔を横から覗き込んだ。夕日が当たって、その目がきらきら光っている。
「頼っていいんだって、今日初めて思えました。私、ずっと一人でやるのが当たり前だと思っていたから」
「……俺がいるだろ」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
でも、撤回するタイミングを逃した。
白鷺さんは数秒だけ黙っていた。
「……はい」
それだけだった。
でも、その声がどこか湿っていて、俺はそれ以上何も言えなくなった。
しばらく二人で黙って歩いていると、白鷺さんの指先が俺の手の甲にそっと触れた。
磁石が引き合うように、自然と指が絡まった。
「あー、やっと繋いでくれましたね、彼氏さん」
「……習慣みたいなもんだろ」
「ふふっ。じゃあ、これも習慣にしちゃいますか?」
白鷺さんは嬉しそうに笑うと、繋いだ俺の手を両手で包み込んで、少しだけ距離を詰めてきた。肩と肩が触れそうな距離。俺の腕に、彼女の柔らかな体温が伝わってくる。
「……白鷺さん。近いぞ」
「いいじゃないですか。結弦くんが『俺がいる』って言ってくれたんですから」
上目遣いで俺を見る。
いたずらっぽく笑っているのに、耳はもう赤かった。
「だから私からも、結弦くんがドキドキしちゃうこと、もっとしていいですか? たとえば……今日みたいに、ずっと手、離さないとか」
「は?」
「どうですか、彼氏さん♡」
至近距離の上目遣い。甘い声。
俺の心臓がドクンと跳ねた。
でも。
大胆な宣言をしたはずの彼女は——俺が顔を赤くして言葉に詰まっているのを見た瞬間、みるみるうちに自分まで顔を真っ赤に染めていった。
「あ、あぅ……」
耐えきれなくなったように視線を逸らして、両手で包んでいた俺の手を、恥ずかしそうにぎゅっと握りしめて俯いてしまった。
……まったく。自分で言って自爆してんじゃねーか。
「……好きにしろよ」
俺は照れ隠しにそう言いながら、彼女の小さな手をしっかりと握り返した。
白鷺さんが、俯いたまま小さく笑った。
夕暮れの通学路に、影が二つ並んで伸びていく。
繋いだ手の温もりが、文化祭を二日後に控えた夕暮れの中で、静かに胸へ広がっていった。
第16話を読んでいただきありがとうございます!
今回は、結弦が白鷺さんを「支える側」として一歩踏み出すお話でした。
何でも一人で抱え込んできた白鷺さんが、初めて心から「頼ってもいい」と思えた瞬間を楽しんでいただけたなら嬉しいです。
「結弦が格好良かった!」
「『俺がいるだろ』にニヤニヤした!」
「自爆する白鷺さんが可愛い!」
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