第15話 恋人なら、居残り作業くらいしますよね?
「よーし、今日はポスター作りと席のレイアウト決めを終わらせるぞー!」
ホームルーム終了と共に、二組の教室は戦場と化した。
机が動き、模造紙が広げられ、あちこちで指示が飛び交う。文化祭特有の、あの浮足立った熱気が充満していく。
「はーい、そこの恋人コンビ! 二人はレイアウトの最終確認お願いね!」
西園寺さんがバタバタと模造紙をめくりながら、俺たちを指差した。
「……また始まった」
「ふふっ。いいじゃないですか。恋人ですから♡」
白鷺さんが俺の袖をちょこんと摘む。教室のあちこちから「ごちそうさまー!」という声が飛んだ。
俺はため息をつきながらも、彼女と一緒に教室の隅へ移動した。
それからの作業は、驚くほどスムーズだった。
気づけば、ガムテープも定規も椅子も、言葉にしなくても自然と受け渡していた。
「……なんか、あの二人だけ空気違くない?」
「息ぴったりすぎじゃん」
通りがかったクラスメイトが、そんなことを言っていた。
俺は無愛想に聞き流したが、自分でも自覚はあった。白鷺澪が俺の隣にいることが、いつの間にか「違和感のない日常」になり始めていた。
「あとは二人に任せていいか。悪いな」
一時間後。クラスメイトたちが帰り、教室には俺と白鷺さんの二人だけが残された。
昼間の喧騒が嘘のように、教室はしんと静まり返っている。
窓から差し込む夕日が、教室をオレンジ色に染めていた。埃が光の粒のように空中で踊り、長い影が床に伸びている。
チチチ、という時計の秒針の音。窓の外から聞こえる運動部の掛け声。風に揺れるカーテンが、カサリと床を撫でる音。
誰かが笑う声も、廊下を走る足音もない。広い教室には、俺たち二人の気配だけが残っていた。
「……静かですね」
白鷺さんが、ポツリと呟いた。窓際に立って、オレンジ色に染まった街を見下ろしている。
「ああ」
「教室って、放課後はこんな音がするんですね。時計とか、風とか……今まで、あまり意識したことがありませんでした」
ふわりと微笑んで、風に目を細めた。完璧なお嬢様の顔でも、俺をからかう小悪魔の顔でもない。ただ、この静かな時間を慈しむような、穏やかな表情。
「……俺も、嫌いじゃない」
気まずさは不思議となかった。ただ、隣に彼女の気配があることが、ひどく静かに胸に馴染んでいた。
「最後の一枚、貼りましょうか」
白鷺さんが、完成したポスターを手に取った。椅子の上に立ち、背伸びをして壁の高いところへ当てようとする。
「危ない。椅子、押さえてる」
「ありがとうございます」
俺は彼女の足元で、グラつく椅子を両手でしっかりと支えた。
すぐ目の前に、彼女のスカートの裾が揺れている。
視線をどこに向ければいいか、少しだけ迷った。
「……できました!」
椅子から降りた白鷺さんと並んで、完成したポスターを眺めた。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
白鷺さんはポスターを見つめたまま、少しだけ笑った。何かを言おうとして、一度だけ言葉を飲み込む。それから静かに口を開いた。
「……私、こういう時間、好きです」
風に溶けてしまいそうなくらい、優しい声だった。
「二人で何かを作る時間。ただ、こうして一緒にいるだけの時間」
そこに「恋人だから」という理屈も、誰かへの言い訳も混じっていない。ただの、白鷺澪としての、素直な言葉に思えた。
「……俺も、そう思うよ」
口から出てから、少しだけ驚いた。
嘘じゃなかった。言い訳でもなかった。
ただ、そう思っていた。
「そろそろ、帰るか」
「そうですね」
俺は鞄を肩に掛けた。歩き出そうとして——足が止まった。
視線だけ、白鷺さんを見る。
彼女はいつものように、俺の制服の袖へ手を伸ばそうとして——止まった。
一瞬だけ、目が合った。
俺は黙って、彼女の前に右手を差し出した。
「……え」
白鷺さんが、小さく声を漏らした。
いつもなら、ここで「恋人ですから♡」と余裕たっぷりに笑うはずだ。
でも。
「ゆ、結弦くんから、そういうことするの……」
声が、少しだけ上ずっていた。
「……反則、じゃないですか」
そう言いながら、耳が赤い。みるみるうちに、首筋まで染まっていく。
小悪魔を発動しようとして、自分が先に崩れていた。
「……帰るんだろ」
俺も、声が震えそうだった。耳が熱い。でも、手は引っ込めなかった。
白鷺さんはしばらく、俺の手と俺の顔を交互に見つめていた。
それから、意を決したように小さく息を吸って。
「……もう」
指先が、そっと触れた。
一度だけ、白鷺さんは俺の顔を見た。まるで、本当にいいのかと確認するように。
俺は黙って、小さく頷いた。
それから彼女は、安心したように微笑んで、指をゆっくりと絡めてきた。
「……今日は」
少し笑う。耳はまだ赤かった。
「言い訳じゃありません」
そして。
「恋人ですから♡」
いつものからかいを含んだ台詞じゃなかった。照れくさそうに、でも世界で一番幸せそうに笑う彼女の、心からの答えだった。
夕暮れの通学路を、二人で歩いた。
もう、「恋人だから」なんて言葉がなくても、俺たちは自然と隣を歩いていた。
繋いだ手は、誰に見せるためでもなく——ただ、離したくなかった。
第15話をお読みいただきありがとうございます!
静かな教室での居残り作業、そして結弦から差し出した手。
二人の「当たり前」が少しずつ変化していく空気を感じていただけたら嬉しいです。
「結弦、よくやった!」「最後の白鷺さんの笑顔が目に浮かぶ!」「ニヤニヤしすぎて悶絶した!」と思っていただけましたら、ぜひ星(評価)やフォローで応援よろしくお願いいたします!
次回、いよいよ文化祭前日。誰もいない夜の校舎で、二人は……!?
お楽しみに!




