第11話 恋人なら、お見舞いくらいしますよね?
「高坂くん、休みだってー」
朝のホームルーム前、西園寺さんが教室に入ってくるなりそう言った。
「珍しいね。高坂って、皆勤賞狙ってるくらい健康体なのにね」
朝比奈さんが少し驚いたように返す。
「ねー。風邪かな? 昨日一緒に帰った時はどうだったの、白鷺さん?」
話を振られ、白鷺さんは手元にあった本からゆっくりと顔を上げた。
「昨日は元気でしたよ」
優雅に答えて、再び本へと視線を落とす。
一時限目。
白鷺さんはページをめくった。
二時限目。
また、ページをめくった。
昼休みになって、ふと気づいた。
栞が、朝と同じ場所にあった。
放課後。
ホームルームが終わると、白鷺さんはまっすぐに教卓へと向かった。
「先生。結弦くんの今日のプリント、私が届けてもよろしいでしょうか」
先生は「ああ、助かるよ」と笑顔でプリントの束と住所のメモを渡した。
「お見舞い?」
教室のドアを出ようとしたところで、西園寺さんがニヤニヤしながら声をかけてきた。
白鷺さんは、少しだけ立ち止まり。
「そうですね。だって恋人ですから♡」
いつもの小悪魔スマイルでそう答えた。
でも。
その言葉は、いつもより少しだけ照れくさそうに揺れていた。
ピンポーン。
……誰だ?
古いアパートの一室。
熱でぼーっとする頭を抱えながら、俺は重い体を起こした。
昨日の夜から急に熱が出て、今日は一日中布団の中で寝込んでいた。
ふらつく足取りで玄関へ向かい、ドアを開ける。
「……はい」
「こんにちは、結弦くん」
白鷺さんだった。
西日に照らされた艶やかな黒髪が、風に少し揺れている。
「……なんで、いるんだ?」
俺の質問に、彼女はコンビニの袋をすっと掲げてみせた。
「恋人のお見舞いですから♡」
「いや、そうじゃなくて——俺の住所、知ってたのか?」
「先生に聞きました」
「……担任に頼んだのか」
完璧な口実だった。
「上がってくれ。散らかってるけど」
部屋に通すと、白鷺さんはきょろきょろと周りを見回した。
脱ぎ捨てられたジャージ、積み上げられた参考書、少し古ぼけた家具。
「……狭いだろ。白鷺さんちと全然違うだろうし」
俺が少し居心地悪そうに言うと、白鷺さんは首を傾げた。
「そうですか? なんか……落ち着きますよ、ここ」
「落ち着く?」
「結弦くんの部屋だからですかね」
さらっと言って、座布団に腰を下ろす。
「……なんかズルいな、その言い方」
俺がぼそっと呟くと、白鷺さんは「ふふっ」と笑った。
「熱、何度ですか?」
「さっき計ったら三十八度ちょっと」
「そんなに……!」
彼女は慌ててコンビニ袋から冷えピタとスポーツドリンクを取り出した。
「貼りますね」と言いながら、俺のおでこに手を伸ばしてくる。
手が、少し震えていた。
ぺたっ。
冷たい感触が、火照ったおでこに心地いい。
「……ありがとう」
「いえ」
少し気まずい沈黙。
「何か食べられそうですか?」
「ああ、少しなら」
「じゃあ、おかゆ作ります」
白鷺さんが立ち上がった。
「いや、いいって。ゼリーがあるから——」
「ダメです。栄養を摂らないと」
俺の言葉を遮って、小さく息を吸い込んで。
「恋人ですから♡」
「……その言葉、便利だな」
「便利です♡」
迷いなく返しながら、キッチンへと向かっていった。
コンロの火をつける音。
お湯が沸く音。
包丁がまな板を叩く音。
布団に目を閉じていると、その生活音がやけに心地よく響く。
しばらくして、少しだけ焦る気配がして、また包丁の音。
頑張ってるんだな、と思った。
「できましたよ」
お盆に乗ったおかゆが運ばれてきた。
湯気が立つどんぶり。
少し固そうなお米と、少し形が崩れた卵。
「……どうですか?」
白鷺さんが、固唾を飲んで見守っている。
その瞳は、お弁当の時と同じように揺れていた。
俺はゆっくりと口に運んだ。
「……美味しい。あったまる」
「本当ですか?」
「うん。これ普通に好きだ」
俺は少し考えてから、付け加えた。
「……美味しい」
「本当ですか?」
「うん。」
白鷺さんの動きが、ピタリと止まった。
みるみるうちに耳が赤く染まっていく。
「あ、洗ってきますね!」
逃げるように立ち上がり、空になったどんぶりを持ってキッチンへ向かう。
やがて、食器が水に触れる音が聞こえてきた。
食器の音が少しだけ長く続く。
「今日は、ありがとうございました」
玄関。
帰り支度を終えた白鷺さんが、丁寧に頭を下げる。
「いや。こっちこそ、助かったよ」
素直に、そう言えた。
夕日が差し込む玄関に、二人の影が落ちる。
「風邪、うつるぞ。帰ったら手洗いうがいしろよ」
「大丈夫です。恋人ですから♡」
「……その理屈、いつか絶対破綻するぞ」
俺が苦笑すると、白鷺さんは一瞬だけ動きを止めた。
そして、少し照れたように俯いて。
誰にも聞こえないような、小さな声で。
「……便利じゃ、ありません」
「ん? 何か言ったか?」
「いえ、なんでもありません! おやすみなさい、結弦くん!」
彼女は慌ててドアを開け、足早に帰っていった。
バタン、と玄関が閉まる。
俺は重い足を引きずって、布団へと潜り込んだ。
静かな部屋には、温かいお茶の匂いと、ほんの少しだけ甘いシャンプーの匂いが残っていた。
熱は、まだ下がっていない。
なのに。
今夜は熱より別の意味で、眠れそうになかった。
目を閉じるたび、
「恋人ですから♡」
という声が頭の中で何度も聞こえた。
第11話、お読みいただきありがとうございます!
10話の劇的な展開から一転、静かで温かい「お見舞い」のお話でした。
「結弦の素直なありがとうが尊い」「白鷺さんの看病姿可愛い!」「ニヤニヤが止まらない!」と思っていただけましたら、ぜひ星(評価)やフォローをお願いいたします! 応援が執筆の励みになります!




