無貌の目覚め
数日後――。
紫黒のノイズが支配する異空間。
静寂だけが漂う空間の中央に、一基の巨大な培養槽が立っていた。
培養液の中。 一体の人影が、静かに佇んでいる。
全身を覆う黒い革のような装甲。 顔には、目も口もない真っ白な仮面。
そこには、もはや黄瀬の面影はない。
トレイター・コードは右手を開く。 掌には、紫黒に輝く二つの結晶。
「ホロウ・ウィスパー」 「ホロウ・スクリーム」
結晶を見つめ、満足そうに頷く。
「期待以上によく働いてくれた」 「人間の存在エネルギー……実に良質だ」
ゆっくりと培養槽へ近づく。
「最後の仕上げだ」
二つの結晶を、培養液へ落とした。 結晶は音もなく溶け、黒い人影へ吸い込まれていく。
その瞬間。
培養液が激しく泡立ち始めた。
紫黒。 赤橙。 灰色。
三色のノイズが人影を包み込み、培養槽全体が震える。 紫黒の雷光が、空間を狂ったように駆け巡る。
トレイター・コードは両腕を広げ、恍惚とした笑みを浮かべた。
「反転人・黄瀬という器」 「カオス・プロセッサーのコア」 「そして、ホロウ兄妹が集めた存在エネルギー」
「三つが一つとなる時――」 「新たな戦鬼は誕生する」
ドゴォォォン!!
紫黒の雷光が、培養槽を貫いた。
轟音。 そして――静寂。
培養液が、ゆっくりと抜け始める。 重い扉が、プシューと音を立てて開いた。
一歩。 また一歩。
黒い人影が、音もなく歩み出す。 白い仮面だけが、静かにトレイター・コードを見つめていた。
「名前がないのは不便だな」
トレイター・コードは、人影の周囲をゆっくりと歩く。 その完成した肉体を、狂気の芸術品のように観察する。
「黄瀬の肉体は完全に融合した」 「ホロウ兄妹の存在エネルギーも安定している」 「カオス・プロセッサーのコアとも、完全に同調した」
白い仮面へ、静かに手を伸ばす。
「……いや」 「融合しきれなかった黄瀬という人格が、まだ奥底に残っているか」
その一言。
仮面の奥で、右手の指先が一瞬だけ震えた。
ピクッ。
まるで、己の名に抗おうとするかのように。
しかし。 その震えも、すぐに消えた。
トレイター・コードは、愉快そうに笑う。
「その程度なら問題ない」 「今日から、お前は――」
「無貌の戦鬼ゼロ」
「これがお前の、新しい名前だ」
ゼロは、ゆっくりと頭を下げた。
声はない。 表情もない。 ただ、圧倒的な沈黙だけが、異様な威圧感を放っていた。
トレイター・コードは満足そうに頷く。
「では、性能確認を始めよう」
右手を軽く振る。
空間が裂け、十数本の紫黒の刃が一斉にゼロへ襲い掛かった。
ズドッ! ズドドドドドッ!!
胸を貫く。 腕を切り裂く。 脚を断ち切る。 首を跳ね飛ばす。
黒い肉片が、空間へ飛び散った。
普通の生命なら、即死。
しかし――。
ゼロは抵抗しない。 身構えることすらしない。
静寂。
次の瞬間。
飛び散った肉片が紫黒の粒子へ変わり、互いを求めるように集まり始めた。
切断された腕が、元の位置へ戻る。 砕けた胸部が、一瞬で再構築される。 跳ね飛ばされた首が、音もなく胴体へ繋がる。
数秒後。
ゼロは傷一つない姿で、再びそこに立っていた。
「……素晴らしい」
トレイター・コードは、思わず拍手を送る。
「ホロウ兄妹のバックアップ再生能力」 「完全に移植できている」
ゼロの周囲を、楽しそうに歩く。
「さらに、お前自身のバックアップデータは、私が掌握したNEXT社の戦闘システムへ常時保存される」
「肉体を破壊されても、お前は何度でも蘇る」
「お前を完全に消し去るには、このバックアップシステムそのものを断たねばならない」
トレイター・コードは深く頷いた。
「これで……第二段階へ進める」
ゼロは何も答えない。
ただ静かに。 その白く無機質な仮面を、トレイター・コードへ向けて立ち続けていた。




