物には限度があるし、ライター用オイルはぶっかけるものじゃない
ざっと状況を確認すれば、自称猫さんも追加で二人ほど破落戸の意識を奪っており、こちらの強襲に合わせて退避していた蛇目の亜人を眺め、何やら可愛らしく小首を傾げている。
「…… やる気、ない?」
「あぁ、私は彼らの仲間ではないし、同胞達と揉める意図は毛頭ない」
両手を挙げて無抵抗の意思を示していた彼は親しげな微笑を浮かべるも、言い回しに引っ掛かりを覚えてしまい、おれは少しだけ眉を顰めた。
念の為、卒倒している悪漢らの全員が見渡せる位置取りに摺り足で移動し、当たり障りの無い口調で問い掛ける。
「もしかして幻獣信仰、若しくは亜人至高主義の方ですか?」
「いや、亜人種が人類の上に立つ進化した存在とまでは思わない。全体主義的な気風のあるご時世、肩身の狭い亜人同士… しかも、子どもと争うのは無益に過ぎる」
そう肩を竦めて嘯くと、掴み処のないヘビ科亜人種の男は踵を返し、鈴城教官にも通ずる隙の無い足取りで廃工場から歩み去っていった。
(…… 現化量子に干渉して出方を探った時は態と無反応だったんだろうな)
結構、危ない橋を無自覚に渡っていたと理解して、迂闊な行動に自戒していたら、呼吸すら忘れたかのように息を潜めていたユキさんが情けない声を上げる。
「う゛ぅ~、ユ゛ウ、ミコトちゃんでもいいから、助けてよぅ」
倒れた椅子に縛られながらZippオイル塗れの姿で猫さんを見詰めるものの、動物系の亜人種は嗅覚も悪くないので匂いを嫌ったのか、じりじりと後退られてしまう。
斯くいう自身も現化能力者として、相応に五感が鋭くなっているため、やや近寄り難かったりする。
「まぁ、放置する訳にもいかないか」
「当たり前でしょう!!」
若干、切れ気味に訴えてきた知己の娼婦に歩み寄り…… 青痣や生傷だらけな肢体を見下ろして、ふと思い出した事柄を忘れないうちに伝えておく。
「体調が悪いのなら店を休んで構わないと、アオイさんの伝言を預かっています」
「………… 大丈夫に見えるなら病気よ、眼科に行ったほうが良いわ」
「ん、多分、今言うことじゃない」
こくりと頷いた猫さんと、薄汚れた床に転がっているユキさんの双方から胡乱な瞳を向けられ、又しても言葉の選択を間違った事実に気付いたが、上手く取り繕える気がしないので無視を決め込んだ。
そのまま素知らぬ振りで軽く足を掲げ、目覚めて立ち上がりかけた破落戸の顎先を蹴り飛ばす。
「うぐッ!?」
再度、呻いて頽れた同輩の姿にもう一人動こうとしていた男が目をそっ閉じして、事が終わるまで狸寝入りをしようとするも、薄闇にキラリと瞳を光らせたミコトの踵落としで容赦なく〆られていた。
「悪、即斬……」
多分、旧暦で流行った某明治剣客漫画に影響されているであろう台詞を聞き流して、ポケットの縁に平面クリップで留めていた愛用の Micro Knives 社製フォールディングナイフを掌中に収め、慣れた手付きでグリップ上部のスライダーを押し込めばステンレス製の刃金が飛び出してくる。
「ちょッ、ユウ、無言で刃物を握られると怖いんだけど!?」
「はぁ…… 縄を切りますよ、変に動かないでください」
溜息混じりに注意してから屈んで荒縄の合間へナイフを差し込み、軽く捻る動作をしてスパッと切ろうとしたが、そんな簡単に切れるものでも無いらしい。
鋸のように幾度か往復させて切断すると、 やっと自由になれた若い娼婦が立ち上がり、掃き捨てるように悪態を吐いた。
「うぅ、酷い目にあった。あの馬鹿客、絶対に許せない。しかも、勝手に殺されちゃってさ……」
少しだけ声を詰まらせて悲しそうな表情になったのが気に掛かり、またジト目で睨まれるのを覚悟で、倒れ伏した悪漢たちを見遣りつつ問い質す。
「治安部隊の詰所に行く前に確認したいんだけど、こいつらが言っていた違法薬物の件、本当に関わってないよね」
「勿論よ、命を懸けてまで隠し通す義理なんてない。それより、タオルとか、拭くものあるかな?」
「ん、ゆき姉」
ささっと気遣いのできるミコトが差し出したのは先程の男から剝いだ上着であり、微妙に嫌そうな顔をしたユキさんも背に腹は代えられないのか、渋々受け取って無色透明なオイルに濡れた頭を丁寧に拭った。
Zipp社の製品を懐に忍ばせている料理人の遠坂氏など、軽質石油蒸留物に独特なナフサの香を好む人は多いが、大量にぶっかけられて匂いが染み付いた当人は辟易としている。
ある程度は揮発しているとは言え、こうも充満していたら愛好者でも気分が悪くなってしまうだろう。
「… ご愁傷様です」
「ぐすっ、部屋でポテチ食べてただけなのに……」
「これ、あげるから泣かないで」
ぐずり始めた姉代わりの一人にチョコレート(貰い物)を猫さんが手渡して、何とか慰めようとする光景は微笑ましいが、いつまでも廃工場にいる訳にもいかないので二人の背を軽く押しながら表通りへ出た。
工場街故に然して奇異の視線を向けられることなく、襤褸い部屋着姿の知己を最寄りの詰所まで送り届けてから第七孤児院に帰るも……
当然、施設の閉門時間を過ぎており、荒事に首を突っ込んだ事も含めて、エントランスで待ち構えていたエイナ主任に絞られる顛末となったのは致し方ない。
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