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第七話

 9月8日早朝。

 圃韓(ほかん)の視線の先にはまだ、圃戒仕(ほかいし)の首が転がっている。


 朝日が反射した紅白の鮮やかな光線が、生首を照らし出している。細い顎は生前同様尖っていて、癇癖の強そうな鋭い表情はそのままだった。だがその顎は下がって口がだらし無く開き、顔はどす黒く、死者の首であることは一目瞭然である。

 対して、その首を見つめる父の圃韓の瞳はいつも通り濁っていたが、白眼は赤く充血していた。家宰(かさい)の穆薀(ぼくうん)は心配げで、隻眼を歪めながら、主君である圃韓に告げた。


「剽氐(ひょうてい)様がお着きになりました。さすがに首を、移動しましょうか。」

「いや。」

 圃韓は、枯れ枝のような手で穆薀を制した。

「剽氐に、敢えて見せる。見せつける。」

「…御意。」

 穆薀は少し、はっ、とした。


 この時、主君の白濁した瞳に、思い詰め、切迫した決意が、雷光の如く発したからだった。しかし、

「それでは、お招きしますね。」

 穆薀はすぐに踵を返すと、扉を開け、

「剽氐様。圃韓様が、入るように、とのことです。」

 と、外に呼びかけた。

 すると、はっ、と小さく返事が聞こえ、少年が入ってきた。


 剽氐である。

 背筋はいつものように正しく、ぴんと真っ直ぐであったが、丸い顔に常に浮かべている彼の特徴的な穏やかな笑みは、この時無かった。

 ここでようやく圃韓は、

「おお、剽氐。近う寄れ。急に呼び寄せて済まなかったな」

 と言い、首から視線を外した。そして剽氐を見た。


 この時既に、剽氐の顔は真っ青になっている。

 当然だ。圃戒仕の生首が転がっているのだから。

「かっ、戒仕さま?」

 剽氐はどす黒い首に釘付けとなって、驚愕し、唾を喉に絡ませつつ呻いた。

「これは…」

「剽氐様。」

 穆薀が圃韓に変わって説明する。

「我が圃家は、美宜粽(びぎそう)州王から秘命を受けました。美獣公子の秦(しん)州侵攻を阻止するべし、と。しかし圃戒仕様は公子に内通しました。」

「えっ、え?」


 まだ十四歳である。


 剽氐にとって、美獣による秦州侵攻も、圃戒仕の内通も、その若い頭ではあまりに想像の外にあるだろう。何故、公子という公的な立場にいる美獣が、突如として同盟国の秦州に侵攻するのか。そして圃戒仕が絶対的に忠誠を誓わねばならない筈の州王美宜粽と、実父の圃韓とを、何故裏切ったのか。


「なんという…」

 剽氐は驚愕しながらも、圃韓に言われた通り、近くへ歩を進める。

「剽氐よ。啻万麓に着くなり、こんな汚れたものを見せてすまぬ。」

 圃韓の濁った眼は、先程とうって変わり、今は慈愛に満ちている。甥の剽氐が愛おしくて堪らないのであろう。枯れ枝のような手で金小板を弄っている。

「剽取由には、書簡で詫びを入れてある。」

「詫び、ですか。」

「お主を圃家に戻したい、勝手言って済まぬ、とな。」

「え?そんな、ではこの母から持たされた書簡が、返書ですか。」

「そうだ。まあ、見ずとも犬甜の婆さんの返答は分かるが。」

 圃韓は剽氐から書簡を受け取ると、開封し、一読した。

「うむ。やはり、異存無し、とのことだ。」

「では、公子の進軍阻止に私も従軍する訳ですね。」

「違う。お前が圃家に戻るのは、此度の戦さが全て終わってからじゃ。」


 旭日は紅白の光線となり、執務室の中に反射している。穆薀の左目を覆う金糸の眼帯も煌めいていた。だが右目は不安げで、瞳がゆらめいている。

 一方の圃韓は、朝の光を吸収してしまうのか、不思議とその老体は陽光に照らされず、そこだけ暗く沈んでいた。いや、それは正確でない。圃韓が弄る金小板だけは、キラキラ光っていた。

「剽取由への申請は正確に言うと、近い将来、圃家の嫡流が絶えたならば、どのような事情があろうとも剽氐を圃家に戻してほしい、代わりに期日延長していた昨年度の港湾利用料の納税を免除する、州王府は徴税権を放棄する、という内容じゃ。」

「はっ、分かりましたが。遅滞していた港湾税はかなりな多額の筈、私如きがそれと釣り合うかどうか。」

 これを聞いて、穆薀が真っ白な歯で笑った。

「とんでもありません。剽氐様の身上は、現役の因州龍眼である圃家にとっても、州内有数の政商である剽家にとっても、これからの帰趨を左右する重要な鍵であるのです。逆にもっと御身の価値を認識頂きたいものです。」

「まったくだ。穆薀の言う通り。」

 圃韓は頷いて、首から金鎖を外した。鎖の先には金小板がついている。


 節くれ、乾燥した指で、それを剽氐に握らせる。

「この金小板は伯父上の大事な」

「よい。圃家は一度壊滅する。だから今からそなたに託す。」

 堪らず何か言おうとする剽氐を押しとどめ、圃韓は話を続ける。

「我が圃家は美宜粽州王の秘命を奉じ、封地の國朶鎮(こくだちん)にて美獣公子の侵攻軍を迎撃する。だが公子の武略は斐界(ひかい)広しといえど随一、その上、彼我の兵力が隔絶せるとなれば、州王の命、完遂するに能わず。それどころか圃家は公子軍に粉砕されん。而して圃家は一度、この世から滅亡するであろう。わしも圃勒春(ほろくしゅん)も詩北(しほく)も死ぬだろう。」

 白い眉を歪め、圃韓は苦しそうにした。その隙に、と剽氐は我が思いを吐露する。丸い輪郭の温和な顔も、今は真剣そのものである。

「な、なればこそ私も國朶鎮に赴き、公子と一戦交え、圃家に殉じとう御座います。」

「ならぬ。」

 しかし、圃韓は甥の真摯な願いを認めぬ。

「戦後、お前はこの金鎖を持って、剽家から帰還し、圃家を継げ。圃氐を名乗って我が家を後世に伝えよ。殉死なぞと安易な行為は認めぬぞ。最も辛酸を舐める、苦難な道よ。」

「嗚呼、伯父上。そのような責め苦、拷問に等しゅう御座います。何故、それ程までに私を虐げますか。」

「氐よ、済まぬ。死ぬより辛い使命を、よりにもよって愛しいお主に下さねばならんとは。」


 圃韓の目には涙が浮かんでいた。

「その身を保ち、公子に一矢報いる時を待て。機を見て圃家を再び栄華に導け。」

「そんな。いつまで待てばいいのですか。機はいつ訪れるのですか。」

「それは…」

 圃韓が、甥の問いに答えようとした時、咳き込み始めた。


「だ、大丈夫ですか?」

 剽氐と穆薀は慌てて圃韓を抱き抱え、背をさすった。

 圃韓は一分程むせた。そして少し落ち着いた後、喘鳴(ぜいめい)に紛れて言葉を吐き出した。


「じゅ、十年。いや、十五年はかかるかも知らぬ。それ程に美獣様の世は強固となるだろう…」

 圃韓は言い終えると、ぐったりして椅子に沈み込んだ。


 伯父の意思を聞き、剽氐はもはや己れの運命を拒まぬ。

「伯父上の御遺志、確かに承り致しました。圃家の行く末は私にお任せ下さい。」

 きゅっ、と口を結び、穆薀と目配せした後、無残な生首への感傷もいまや見せず、俊敏な身のこなしで、退室した。


「犬甜(けんてん)より、御武運をお祈りしております。」

 扉に立つ剽氐の頰に、心なしか陰がさしたように見えた。


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