第六話
「うわーはっは。どうじゃ、この傷。」
「凄いわ。逞しい。おにいさん強いのねえ。」
「ふふん。あの時は激戦だったがの、まあ、州王軍ごとき雇われ兵士じゃあ、わしのような叩き上げの武人には結局敵わんのよ。」
今日、店内には、荒くれ者が多かった。
喧騒の中、描初處、寂円、吼了欽、忞番対の四人は首をすくめ、酒を舐めている。
「ほんと、掟考のせいで客質が悪くなったわ。」
描初處が、真っ青に化粧した小さな眼で嘘臭い武勇伝を振り撒く大男をひと睨みしてから、悪態をつく。
「すまねえなあ、吼了欽。せっかく國豹芽楼に初めて登ったのに。こんな具合で。」
「ふうん。いつもは違うのか。」
眉をひそめる忞番対に、吼了欽は細い鼻梁を涼しげに向けた。
「いつもはね、もっとしとやかな店なのよ。」
福々しい頰を揺らす寂円が、吼了欽の肩にしなだれかかった。
それを見た描初處は小さく、ふん、と鼻を鳴らした。
國朶鎮の城域でも南部に広がる歓楽街、國豹路。月光の下、多くの酔客が横行し、黄色い嬌声が狭い路地に反響している。
その中の一軒、ここ國豹芽楼の中も、外の様子と同じく、賑々しい。しかし、店で働く女たちも、常連の男どもも、皆戸惑っていた。
「寂円、この店がしとやかってことはないだろうよ。でもね、あんな盗賊くずれが来るような店でもないやね。」
描初處が躑躅色の唇を尖らせると、
「ね、姐さん。だめよお、聞こえるわよ。」
と、寂円は慌てふためく。
幸い腕の刀傷を自慢していた大男には、描初處の声は聞こえなかったようだ。
「聞こえたところでどうだっていうのさ。こちとら城主直属の正規武官が二人もいらっしゃるんだ。何かあったって負けやしないわよ。ねえ?」
「ん?んん。」
描初處に太い二の腕をぴしゃぴしゃ叩かれて、忞番対は何とも言い難い表情である。
一方、寂円を肩にぶら下げた吼了欽は至極真面目な面持ちで、切れ長の目を見開き、薄茶の瞳を描初處に向けた。
「描初處。掟考の禾奔頭侵攻以降、それ程にここの客層が変わったか。」
「それぁ、もう。」
描初處は厚ぼったい唇を淫靡に歪め、吼了欽に笑顔を返す。そしてここ何日かで増えた客の属性を述べ立てた。
「掟考軍との負け戦で戦線離脱した秦州王軍の敗残兵、秦州の治安悪化で因州に押し出された野盗ずれ、村を焼かれて行き場を失った壮丁たち、かつて因州から追い出された啄飯道の出戻りども。こういう中途半端な輩がここ國豹路に流れ込んでやがんのさ。」
「それ程までとは。國朶鎮全体ではまだ影響ないがな。」
「何言ってんだい。吼了欽さん、ちゃんと巡視しておくれ。西の國巨市なんか、もうかなり入り込んでいるよ。警備隊が早く摘発しないと大変なことになる。」
「國巨市は低税率の商業地区、今は出入り自由だ。軍の出動なんて無理に決まってるだろ。」
吼了欽もまだ若い。つい、目の端を紅くして、細い顎を突き出した。だが、描初處の厚ぼったい唇の方が、切実である分、迫力が上だった。
「あのねえ、秦州じゃあ、略奪や虐殺、強姦、拉致が横行して民草が悲鳴を上げてんだよ。その元凶が、この國朶鎮にそれこそ『出入り自由』に雪崩れ込んで来てんだ。いいかい、あんたら官は強姦する側、犯されるのはあたしら民の側さ。」
「官は収奪するばかりじゃない。」
「見て見ぬ振りするのも同じだ。官の無策は強姦と同じだよ。」
「それは」
吼了欽が言い返そうとした時、急に店内が緊張した。
「おおい!こっちの酒はまだかっ」
胴間声が店内に響いたのである。
先ほどから酔いを加速していた傷自慢の大男が、声の主だった。
側につく妓女が必死になだめる。
「もう少しお待ちを。すぐに持って来させますから。」
「どれだけ待たせるのか。さてはもうわしに酒を出さん積りだな。客が飲んでやろうと言っているのに、何てえ酷い店だ。いいだろう、酒蔵まで自分で行って丸ごと飲み干してやるわい。」
しかし大男は妓女の説得を聞かぬ。
「ええい、どけっ。」
妓女を突き飛ばして、勢いよく立ち上がった。
「きゃあっ」
妓女は吹っ飛び、隣の座にひっくり返って酒やら料理やらが滅茶苦茶に飛び散った。
「いい加減にしなっ。」
ここで描初處が叫んだ。
「お前みたいな下衆は客でも何でも無い。さっさと野盗の巣に帰りな!」
そう言って、店の奥へ歩き出した大男の前に立ちはだかった。
吼了欽と言い合って気が昂ぶっていたのもあろう。猩々緋に染めた寛衣の裾をはだけ、艶かしい白い脚をだん、と踏み出し、啖呵を切ってみせた。
大男は激昂して、
「何おう?それが客にきく口かっ。」
描初處に詰め寄り、そのか細い手首を鷲掴みにした。
「痛っ。離せ、ゴロツキめっ。」
描初處が叫ぶと同時に、忞番対が立ち上がった。
「おのれ、その汚い手を離せ!」
そして大男の顎を下から殴った。
「ぐっ。」
だが、大男もなかなかのもの、描初處の手は離したが、たたらを踏んで倒れず、
「きっ、きさまぁ!」
と忞番対に襲いかかる。
忞番対は丸い体で大男とがっし、と組み合い、乱闘を始めた。
「いやあっ」
「おやめになって」
店内は騒然となり、女は逃げ惑い、飲み騒いでいた他の客も総立ちになっている。
吼了欽は渋い顔でこれを見ていたが、ややあって立ち上がり、
「止めえっ」
と、一喝した。
囮丘の戦場を震撼させた『金八光』吼了欽の咆哮である。
妓楼に騒ぐ連中の肝を縮めるには、十分過ぎた。
傷自慢の大男は吼了欽の一声に怯えて動きを止め、それと取っ組み合っていた忞番対も主人の声に目を丸くした。
「わしは因州龍眼代直属の武官、吼了欽である。居城たる國朶鎮の治安乱す者あらば斬って捨てるが役目。」
よく通る高音で呼びかけつつ、吼了欽は大男に近づいていく。大男は眼前の美丈夫を前に小さく震え、
「え、あの、『金八光』… さま?」
としゃがれた声で呟く。
だん、と吼了欽は大男の前に立った。
「汝、騒ぎを恥じて、この店を去る小酔客なるか。それとも國朶鎮の治安を乱し、この吼了欽の長剣に馘られるか。」
いつの間に抜いたのか。
次の瞬間には、吼了欽の左手は長剣を大男の首にぴたりと当てていた。
「いずれなりや。」
妓楼は、しん、と静まり、咳ひとつする者はいない。
國豹路の喧騒が、どこか遠くの世界のことのように聞こえてくるだけである。
9月7日。
まだ、月夜の下で國朶鎮が殷賑なる活気を呈していた頃のことである。
――――――――――――――――――――
「契冬蹊は、まだこの啻万麓近辺に留め置いた方が良いでしょう。ただ今、家に返しました。」
啻万麓の圃韓邸。
穆薀が扉を開け、上房に入ってくる。
室内には、僅かな燭燈の弱々しい光に照らされた圃韓が、じっ、と一点を見つめながら椅子に寄りかかっていた。
「うむ。」
濁った瞳は、異様に輝いている。
「さもあろう。契冬蹊には州王府周辺や、叶會亭の弟君を見張って貰わねばならんからな。」
「また圃韓様や私が國朶鎮に向かう際、途中まで近くを並走させる積りです。」
「ふむ、契冬蹊が守ってくれるなら心強い。では他の者を手配し、最速で國朶鎮に走らせよ。」
「はっ。では伝令には如何託しますか。」
圃韓は、穆薀に指示を出しながらも、真っ直ぐ向いた視線を外さぬ。
「うむ。圃韓、因州王より公子の秦州侵略を阻止するべく、秘命を受く。國朶鎮は圃勒春が指揮し、公子軍との交戦に向け兵備せよ。圃韓と穆薀も急行するが、それまでに完了せよ。」
喉の縦皺が、力無く揺れた。首の金鎖にぶら下がる金小板を、ゆっくりと弄っている。
「なお、圃戒仕は因州王に謀叛し、公子へ内通したる故、斬首せり。以上。」
「かしこまりました。國朶鎮への指示、確かに承りました。早馬を出します。」
「早く。早くな。」
「はっ。」
穆薀は拱手すると、素早く部屋を後にした。
あとには、椅子に沈むように座る圃韓が残された。
その視線の数m先には、我が子の首が転がっている。




