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第11話 喪失

由宇がいなくなった。

翌日、大人達が大騒ぎし始めたのを知ったとき、友哉は全身を突き刺すような戦慄に襲われた。

それは紛れもない恐怖だった。

咄嗟に浮かんだ恐ろしい想像を頭を振って必死に否定するが、その妄想はじわじわ精神を浸食してくる。

信じない。何かの間違いだ。自分は何も知らない。関係ない。

ただそれだけを心の中で叫んでいた。


早朝、滝の方へ歩いていく由宇を見たという老人の話を元に、消防団や地元の青年団が総出で必死に滝の周辺や山道を捜索したが、夕刻になっても見つからなかった。

捜索は二手に分かれており、片方では昼過ぎに、川底をさらえる作業に切り替わっていた。

昨夜降った雨は不気味に水を濁らせ、大人でも流しそうに勢いを増している。

「ちがう。ちがう!」

友哉は小刻みに震えながら、長い竹竿で滝壺や下流の川の澱みを探し回る大人達を、他の野次馬の子供達に混じって見つめていた。


『そんならお前が行って、カゴ取って来いや!』

友哉はそう、あの少年に言ったのだ。

けれど、いくら由宇が何も知らない街の子でも、大雨の翌日のあの滝壺を横切ることがどんなに危険な事か、少し考えれば分かるはずだ。分からなかったとしたら、あいつが馬鹿なんだ。

いくらそんな風に思っても、友哉の指先の震えは止まらない。

舌が痺れ、からだ全体まで震えてくるのを感じながら友哉は、竹竿をザクザクと水に突き立てつつ川下に移動していく大人達を、ただ呆けたように見つめていた。


彼らが場所を変えて見えなくなると、友哉は一人、まだ流れの速い滝壺に飛び込んだ。

水の少ない日ならば、立ったまま容易に渡ることが出来るが、今日はそうはいかない。

浅瀬を歩いて渡り、下の崖に落ちるリスクを考えれば、深みに飛び込んで泳いだ方が安全なのだ。


今日のような流れでも、反対側に渡るのは友哉にとって訳もなかったが、もし由宇だったら、押し流され、足を滑らせて、下の岩場に打ち付けられてしまうかもしれない。

そんなこと、あってはならない。絶対にあってはならない。

友哉は、ずぶ濡れになりながら水から上がり、足をもつれさせ、目の前の大きなドーム状の洞穴へ飛び込んだ。

そこに居てくれと願いながら。


けれどそこにあったのは由宇の小さな虫カゴだけだった。

奥行き5、6メートルほどの薄暗い中に、ボンヤリと浮かび上がったブルーの虫カゴ。

それにゆっくり近づいた友哉の心臓がトンと跳ねた。

フタが開いている。

そして、そっと入れて置いた枝には、すでに抜け殻になったサナギがぶら下がっている。


蝶は羽化したのだ。


羽化したのにカゴの中じゃあ、かわいそうだと由宇は言った。

まさか、そのためにここまで来て、フタを開けたのか? フタを開けて、蝶を逃がしてやったのか? 

信じられない思いで友哉はカゴを持ち上げた。

「こんな事しに、何でここに来たん? 由宇」

震えた声が、薄暗い洞穴に響き渡った。


『こっちが友哉くん。まだサナギなのが僕だ』

夢見るように言った由宇の声が蘇ってきた。

『二匹は友だちなんだ。あの蝶はきっともう一匹の羽化を待ってるよ。一匹だけじゃ寂しいもん』


込み上げてきていた感情が、急激に恐怖に変わった。受け入れられない現実は、恐怖でしかなかった。

友哉は虫カゴを振り上げ、闇の奥に力一杯投げつけると、来た方向へ走り出した。

今、はっきりと分かる。“由宇は、帰る途中で流されたんだ”


「ちがう! ちがう! ちがう! 俺は知らん! 俺は関係ない」

全てが恐ろしく、全てを否定したくて友哉は叫んだ。

再び水の中に飛び込み、反対岸に飛び上がり、無我夢中で走った。

途中で鮮やかな黄色のアゲハ蝶が目の端に映ったが、それさえも恐怖を増長させ、友哉は家へ辿り着くまで走り続けた。


三日三晩、警察や消防団が山や崖や水底を探し回ったが、由宇の体は見つからなかった。

そのかわり、その朝由宇が履いていたサンダルが、滝のすぐ下流の川で見つかった。

それが物語る事実は、一縷の望みをかけていた人々を悲しみの底に突き落とした。


友哉は口をつぐみ、家から一歩も出なかったが、大人達の目には友だちを失ってショックに苛まれている可愛そうな少年として映ったことだろう。

友哉は自分の狡さを呪った。

けれど他にどうすることも出来なかった。ただ、あの日のことを無かったことにしたかった。

あれはただの思い違いだ。あの日のやり取りは、本当は無かったのだ。記憶違いなんだ、と。

それは富田たちも、全く同じだったらしい。

あの三人も口を閉ざし、まるで人が変わったように大人しくなった。

「忘れるんだ」

それは暗黙の了解だった。


狡くて弱くて無力な少年達の心は、由宇という少年の存在を忘れ去ることで保たれ、生きながらえてきたのだ。



                 ◇


「友哉? 裸で寝ちょったらいけんよ。ほれ、服着いや。風邪ひかして帰したら、あんたのお母さんに怒られるけえ」

覗き込むように言った祖母のカナエの声に、友哉はハッとして飛び起きた。

ボーッとした頭で辺りを見回す。早朝に起きてきて、そのまま居間で二度寝してしまったらしい。

じわりと、昔の夢を見ていたことを思い出した。

長い夢の余韻が、再び友哉の胸に疼きを与えた。

あの夏から9年が経ったというのに。


誰にも責められず、誰にも真実を伝えず、けれどもずっと罪の意識に縛られ、鎖で繋がれているように感じ続けた苦い日々。

自分はなぜまたここに帰って来たのだろう。

自分の罪を確認するためだろうか。

それとも、あれはただの幼い言葉のやり取りで、罪なんかでは無いことを自分に思い出させ、植え付けるためだろうか。

あるいは、由宇は死んではいない。まだ生きて、ここにいる。そう思おうとしているのだろうか。




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