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第七話

第七話


 最初の依頼は、薬草採取だった。


 翌朝。


『起床を確認しました』


「ん……今何時」


『現地時間、六時二十二分です』


 レンは軽く目を擦りながら身体を起こした。


 狭い部屋だった。


 木製の机と椅子、小さな棚、それから窓が一つあるだけ。豪華さとは無縁だが、寝る場所としては十分だった。


 窓の外からは、朝のラウムの喧騒が聞こえてくる。


 荷車の音。


 商人の呼び声。


 どこかで鍋を叩く音も聞こえた。


 どうやらこの街は、朝からかなり騒がしいらしい。


 顔を洗い、装備を整えて宿を出る。


 朝の空気は少し冷えていたが、人通りは既に多かった。


 露店からは焼きたてのパンの匂いが漂い、その横を武装した冒険者たちが歩いていく。


 剣や槍を背負った者もいれば、杖を持った者もいる。


 レンはその姿を目で追った。


 昨日見た“火”を思い出す。


 指先に灯った、小さな炎。


 あれがどういう原理なのか、まだセレスでも解析しきれていない。


『魔法現象の解析を継続中です』


 レンは小さく頷き、そのままギルドへ向かった。


 朝のギルドは、昨日より少し静かだった。


 依頼書を眺めている者。


 朝食を掻き込んでいる集団。


 受付で何か揉めている冒険者。


 騒がしいが、不思議と居心地は悪くない。


 レンは掲示板の前で立ち止まり、薬草採取の依頼書を剥がした。


 リーナがちらりとそちらを見る。


「東側の森なら、午前中には戻れると思うわ」


「近いのか」


「新人向けだしね。ロングファングも、群れじゃなきゃそこまで危なくない」


 基準が怖い。


 レンは依頼書を折り畳み、そのまま腰へ差し込んだ。


「じゃ、行ってくる」


「無茶しないように」


 軽く手を振り、レンはギルドを出る。


 街を抜けると、緩やかな森が広がっていた。


 木々は見慣れた森林植生に近かったが、葉の形や色味は微妙に違っている。


 風が吹くたび、枝葉がざわりと揺れた。


『目的地まで残り六百メートル』


「了解」


 森の奥へ進んでいく。


 しばらく歩くと、視界端へマーキングが表示された。


『対象植物を確認』


 少し離れた茂みの根元に、青白い葉を持つ草が群生していた。


「……早いな」


『依頼書記載の特徴と一致しています』


 レンはしゃがみ込み、薬草を摘み取る。


 普通なら森を歩き回って探すのだろう。


 だが、セレスの補助があるせいで、ほとんど探す時間がない。


 効率が違いすぎる。


 現地の冒険者が見たら怒りそうだな、とレンは少し思った。


 薬草を袋へ入れていく。


 数本回収したところで、セレスの声が響いた。


『周辺に生体反応を確認』


 レンの手が止まる。


「人?」


『不明。小型四足歩行。接近中です』


 レンは立ち上がり、腰のナイフへ手を添えた。


『距離二十メートル』


 茂みが揺れる。


 次の瞬間、小型の獣が飛び出してきた。


 犬に近い体格。


 だが、口元から伸びた牙は異様に長い。


『ロングファングと推定』


「なるほど」


 獣が地面を蹴る。


『跳躍します』


 警告と同時に、レンは半歩だけ身体をずらした。


 ロングファングの動きが、視界の中で僅かに遅く見える。


 軍用ナノマシンによる神経補助。


 視覚情報処理の高速化と反応速度強化。


 加えて、全身へ埋め込まれた強化骨格が筋出力を補助している。


 統合星間連邦軍では珍しくもない生体強化処置だった。


 もっとも、未処置の一般人と比べれば、かなり人間離れしているのも事実だ。


 ロングファングが横を掠める。


 牙が空を切り、風圧だけが頬を叩いた。


 着地した瞬間、レンは地面を蹴る。


 強化骨格が脚力を増幅し、身体が一気に加速する。


 普通の人間なら足首を痛めかねない踏み込みだったが、補強済みの骨格と筋繊維が無理やり耐え切った。


 視界が一瞬で縮まる。


 一閃。


 ナイフが首元を裂き、血が散った。


 ロングファングは数歩よろめき、そのまま地面へ倒れ込む。


『脅威反応消失』


「……思ったより素早かったな」


 レンは軽く息を吐きながら、倒れた魔物を見下ろした。


 軍の訓練施設で使われていた戦闘ドローンと比べれば、まだ反応できる速度だった。


 ただ。


 この世界の人間基準で考えると、今の動きは少し目立つかもしれない。


 レンは小さく肩を竦め、そのままロングファングの死体へしゃがみ込んだ。


 毛並みや骨格は既知生物に近い。


 だが、後脚の筋肉だけが異様に発達している。


 まるで跳躍だけに特化したような身体だった。


『高い跳躍力を重視した生態構造と推定』


「なるほどな」


 しゃがみ込み、死体を軽く観察する。


 完全な未知生物という感じではない。


 だが、どこか微妙にズレている。


 その違和感が妙に気味悪かった。


『周辺に追加反応なし』


「じゃ、終わらせるか」


 レンが立ち上がった、その時だった。


『高高度空域に大型反応を確認』


「……ん?」


 レンは足を止める。


 周囲が妙に静かだった。


 さっきまで聞こえていた鳥の鳴き声が消えている。


 風も弱い。


 森全体が、息を潜めているような感覚。


「なんだこれ」


『周辺生物の警戒行動を確認』


 次の瞬間。


 空の雲が、大きく割れた。


 白銀の巨大な影が、遥か上空を横切っていく。


 一瞬だった。


 だが、その巨大さだけは嫌でも理解できる。


「……おい」


 低い振動音が空気を揺らす。


 遅れて、雷鳴のような音が響いた。


『超大型飛行生物と推定』


「いや、デカすぎるだろ……」


 200メートルはあったであろう白銀の影は、そのまま雲の向こうへ消えていった。


 レンはしばらく空を見上げたまま動かなかった。


『対象反応、遠距離へ離脱』


「……行ったか」


 変な汗が滲んでいた。


「……あんまり関わりたくないタイプだな」


『同意します』


「珍しく意見合ったな」


 レンは小さく息を吐き、薬草袋を持って森を後にした。


     ◇


 ギルドへ戻ると、中の空気が少しざわついていた。


「おい!アルディウス見たか?」


「南側から北へ抜けてったらしいぞ」


「今日はやけに低空だったな……」


 冒険者たちがそんな話をしている。


 レンは受付へ向かい、薬草の入った袋を置いた。


「依頼達成」


 リーナが中身を確認する。


「うん、問題なし――って、あんたもしかして森で見た?」


「白いデカいやつなら」


 その瞬間、リーナの顔が少し引きつった。


「よく無事だったわね……」


「そんなに有名なのか?」


「……は?」


 リーナが怪訝そうに眉を寄せる。


 まずい、とレンは内心で思った。


 言い方を間違えた。


「あー、いや。名前くらいは聞いたことあるんだけど、実際見るの初めてでさ」


 軽く誤魔化す。


 リーナは数秒レンを見た後、小さく息を吐いた。


「“天墜龍アルディウス”。空の災害よ」


「……あれがそうか」


「見かけたら逃げるのが普通。飛行船が落とされたって話もあるくらいなんだから」


「あれと戦った奴とかいるのか?」


「あるわけないじゃない」


 即答だった。


「軍でも近づかないわよ」


「……まあ、あのサイズはな」


 レンは苦笑する。


 正直、関わりたい相手ではなかった。


『現地名称、“天墜龍アルディウス”を確認』


『後ほど詳細調査を実施します』


『頼む』


 レンは報酬を受け取りながら、もう一度だけ窓の外へ視線を向けた。


 そこには、何事もなかったような青空が広がっていた。

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