第一章 漂着者編 第一話
第一話 漂着者編
最初に戻ってきたのは、音だった。
低く歪んだ振動音が、耳の奥にまとわりつく。頭の芯を揺らされるような、不快な感覚。
「……っ、ぅ……」
喉の奥から、掠れた声が漏れる。息が浅い。うまく吸えない。
――何が起きた。
重いまぶたをこじ開けると、視界に入ってきたのは艦橋ではなかった。
白く整った天井。規則的に並ぶ照明。消毒液のような、わずかに無機質な匂い。
「……医療区画、か」
サナダ・レンは、自分がベッドに横たえられていることに気づく。腕には処置の跡。身体の奥に鈍い痛みが残っていた。
「生体反応、確認。艦長、意識の回復を確認しました」
間を置かず、艦内に響く意思決定支援ユニット――セレスの無機質な音声。
「……ああ、クソ……」
レンは額を押さえ、深く息を吐く。
「艦橋にて艦長の意識消失を確認後、艦内作業ドローンにより医療区画へ搬送。応急処置を実施しました」
ゆっくりと体を起こす。
全身に鈍い痛みは残っているが、動けないほどではない。
「……そうか」
「……セレス、どれくらい時間が経った」
「意識喪失から約三十時間三十二分が経過しています」
「……三十時間か、現在の状況を報告してくれ」
間を置かず、セレスが応じる。
「了解。ワープ航行中における座標崩壊を確認。空間断層への接触により、航路逸脱。現在位置は特異宙域です」
「……おい、嘘だろ」
思わず漏れる。
「特異宙域……そんなところに飛ばされたのかよ」
「航路の再現性は保証できません。帰還成功例は、極めて少数です」
短い沈黙。
「……最悪だな」
喉の奥がひりつく。
教本で見たことはある。だが、実際に入る前提の話じゃない。
特異宙域――空間そのものが不安定で、観測すら安定しない領域。航路は固定できず、同じ座標に戻ることすら保証されない。
一度迷い込めば、帰還できるかどうかは運に近い。だからこそ、通常の航路図からは切り離され、未踏領域として扱われている。
「で、損傷は?」
「主機関出力は38%まで低下。長距離ワープ機能は停止。外部センサーは一部機能制限下で稼働中。武装系統は限定的に使用可能です」
「……帰るのは、無理そうか」
乾いた笑いが漏れる。
視界の端に、艦体ステータスが表示される。
識別コードと艦名。
――エグゼクター級単独戦略戦艦。
その文字を見た瞬間、意識が少しだけ現実に引き戻される。
全長約4.2キロメートル、全幅1.2キロ、全高900メートル。質量およそ2.5億トン。統合星間連邦所属の宇宙戦艦だ。
単艦で戦略行動を完結させるために設計された、異常な艦だ。
操縦系統は、特定個人の遺伝子情報、脳波パターン、意識状態と深くリンクしている。
一度同期された時点で、その人間以外には操作できない。
さらに、艦のほとんどの機能はセレスによって自律制御されている。
人間はただ一人、最終的な意思決定を下す存在として残されているだけだ。
単独運用を前提として設計された艦だった。
短く息を吐く。
状況は最悪に近い。
だが、まだ終わってはいない。
「……この辺で、補給できそうな場所あるか?」
「周辺宙域のスキャンを実施済みです」
「早いな」
「艦長の意識喪失中に実施しました」
「……で、結果は?」
「近傍に恒星系を一つ捕捉しています。生存環境が成立する可能性のある惑星を一つ確認」
「どれくらいで着く」
「現在速度を維持した場合、到達まで約〇日です」
「持つか、それ」
「水および食料は約一年分を確保しています。ただし、艦の損傷状況および今後の不確定要素を考慮した場合、早期の補給が推奨されます」
「……余裕はあるが、安心はできない、か」
「他は?」
「現時点では存在しません」
「……選択肢なし、か」
わずかに苦笑する。
なら、やることは一つだ。
「映せ」
スクリーンが起動する。
そこに映ったのは、青い惑星だった。
雲の流れ。海の色。明確な大気層。
「大気組成、解析中……酸素濃度、許容範囲内。生命活動の可能性あり」
「……当たりかもしれないな」
わずかに肩の力が抜ける。
完全な詰みではない。
「文明は?」
「観測データ不足。ただし、地表に人工構造物および集落の存在を確認。技術水準は低く、宇宙進出には至っていない未開文明である可能性が高いと推定されます」
「……未開文明、か」
ふと思い出す。
「……未開文明って、接触ダメじゃなかったか」
「確認。《未開文明接触制限規定》に該当します」
「だよな」
「原則として、直接接触および技術干渉は禁止されています」
「……今それ言ってる場合かよ」
「ただし」
セレスが続ける。
「例外規定が適用されます」
「例外?」
「本件は『航路逸脱および帰還不能状態における緊急生存行動』に該当」
「要するに?」
「艦長の判断により、接触・介入が許可されます」
「……最初からそう言え」
小さく息を吐く。
これで動ける。
「ドローン、動くか?」
「調査用ドローン群、稼働可能です」
「よし」
直接降りる必要はない。
まずは情報だ。
「調査プロトコル起動。ドローンを先行させる」
「了解」
軌道と降下ルートが表示される。
スクリーンに、惑星表面のエネルギー分布マップが展開される。
熱量でも、放射でもない。見慣れない波形が、地表全体に散らばっていた。
「……待て」
「異常を検知しましたか」
「エネルギー分布がおかしい」
「不規則すぎる」
「既存データベースと一致しません」
「……未知、か」
短く息を吐く。
「そのエネルギーも追え。分布と変動、全部ログに残せ」
「了解。未知エネルギーの詳細解析を開始します」
だが――止まる理由にはならない。
ただ一つ。
気になることがあった。
「……人はいるのか」
「知的生命体の存在確率は高いと推定されます」
「……会話、できるといいんだがな」
「不明です」
「……だよな」
わずかに視線を落とす。
未知の環境よりも――
“通じない相手”のほうが厄介だ。
「降下は維持」
「了解」
「最も安全な地点を選べ」
「選定完了。生命活動の兆候が強いエリアです」
「そこを優先して調査してくれ」
生きるためには、情報がいる。
環境、資源、危険――
そして。
「……頼むから、人型であってくれよ」
小さく呟く。
それだけでいい。
それだけで、生き延びられる確率は大きく変わる。
艦がわずかに震える。
巨大な船体が、青い惑星へ向けて降下を開始した。
帰れる保証はない。
それでも。
ここから先は――自分の判断で、生きるしかない。




