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第十二話

第十二話


 北西遺跡の内部は、外よりもずっと冷えていた。


 空気が重い。


 石壁に囲まれているせいだけではないと、レンにも分かる。


 奥へ進むほど、肌へ薄く圧力が掛かるような感覚が強くなっていた。


 足音が石床へ反響する。


 調査隊は松明と魔導灯を使いながら慎重に通路を進んでいた。


 横に三人並べるほど広い通路は、古い遺跡とは思えないほど綺麗だった。


 崩れた場所はある。


 だが、壁そのものはほとんど風化していない。


 白い石材には薄く紋様が刻まれており、魔導灯の光を受ける度に淡く浮かび上がる。


「……やっぱり変だな」


 前を歩いていたガルドが低く呟く。


「古代遺跡って、普通はもっとボロいだろ」


「ここは保存状態が異常に良い」


 ミレイが静かに答えた。


 彼女は時折立ち止まり、壁や床へ触れながら進んでいる。


 調査というより観察に近かった。


「術式がまだ生きてる可能性あるから」


「そんな長期間残るもんなのか?」


「普通は残らない」


 ミレイは白い壁へ視線を向けたまま続ける。


「でも、深い場所ほど魔力が溜まりやすいから。術式が残ってる遺跡だと、環境そのものが変わることある」


「環境?」


「魔物が居着いたり、強くなったり」


 レンは周囲を見回した。


 確かに妙だった。


 ただの地下空間にしては、空気が重すぎる。


 息苦しいほどではない。


 だが、肌へ薄く何かが纏わりついてくるような感覚がある。


「地下三層から下は、空気が違うって言われてる」


 ミレイがぽつりと呟く。


「魔力濃度が高すぎて、長時間いると気分悪くなる人もいる」


「近づきたくないな」


「だから皆あんまり行きたがらない」


 ミレイはそう言いながらも、少しだけ楽しそうだった。


『周辺構造解析継続中』


 セレスの声が響く。


『壁面素材は現地既知鉱物と一部不一致』


「やっぱ普通じゃないか」


『可能性が高いと推定』


 レンは小さく息を吐いた。


 その時だった。


 前方を歩いていた弓使いの女が急に足を止める。


「待って」


 空気が変わった。


 全員の動きが止まる。


 レンも自然と視線を前へ向けた。


 暗い通路の奥。


 そこに、何かいた。


 四足。


 灰色の皮膚。


 細長い身体。


 そして異様に長い前脚。


 魔導灯の光が届いた瞬間、それは低く唸り声を上げた。


「グレイブハウンドか」


 槍使いが舌打ちする。


「二層前で出るのかよ」


「最近、深部側の魔物が上がってきてるって話は本当だったか……」


 ガルドが嫌そうに顔をしかめた。


 グレイブハウンドは本来、もっと深部寄りに出る魔物らしい。


 それだけでも、この遺跡の異常さが分かる。


 魔物は一体ではなかった。


 暗闇の奥で、赤い眼が次々浮かぶ。


 五。


 六。


 まだいる。


 レンは僅かに眉を寄せた。


『敵性生体反応を複数確認』


「見れば分かる」


 ガルドが大剣を抜く。


「来るぞ!」


 次の瞬間だった。


 グレイブハウンドが一斉に駆け出す。


 石床を削るような勢いで距離を詰めてくる。


 速い。


 だが。


 レンの視界では、十分見えていた。


『右前方個体、到達まで二秒』


 セレスの補助と同時に身体が動く。


 レンは半歩だけ前へ出た。


 腰のナイフを抜き、そのまま最前列の一体へ刃を走らせる。


 銀色の軌跡。


 一瞬遅れて、グレイブハウンドの首が落ちた。


「なっ――」


 後ろで誰かが息を呑む。


 だが、レンは止まらない。


 横から飛び掛かった個体を躱し、その勢いのまま壁へ叩き付ける。


 骨が砕ける音。


 残った魔物たちが一瞬怯む。


「……おいおい」


 槍使いが引いた声を漏らした。


「白銀ってこんなだったか?」


「いや、あいつが妙なんだろ」


 弓使いの女が呆れたように返す。


 その間にも、レンは残りの動きを観察していた。


 動きは速い。


 だが統率は弱い。


 獣寄りだ。


『脅威度低』


「だろうな」


 レンが小さく呟いた、その時だった。


 奥の暗闇。


 そこから、低い唸り声が響く。


 今までとは違う。


 重い。


 空気が震える。


 グレイブハウンドたちが一斉に後退した。


「……おい」


 ガルドの声が低くなる。


 暗闇の奥で。


 巨大な影が、ゆっくり立ち上がった。


暗闇の奥で。


 巨大な影が、ゆっくり立ち上がった。


 低い唸り声が通路全体へ響く。


 魔導灯の光が届く。


 そこで初めて、その姿が見えた。


「……デカすぎだろ」


 レンが思わず呟く。


 通常のグレイブハウンドより二回りは大きい。


 灰色の皮膚はひび割れた岩みたいに硬質化しており、前脚の爪は石床へ深く食い込んでいた。


 赤い眼だけが異様に明るい。


 ガルドが低く舌打ちする。


「変異種か」


「二層前で出る相手じゃない」


 弓使いの女の声にも緊張が混ざる。


 ミレイは巨大な魔物を見上げながら、小さく眉を寄せた。


「……魔力濃度が高すぎる」


『対象個体内部に高密度エネルギー反応を確認』


 セレスの分析が続く。


『通常個体より著しく強化されています』


「分かりやすく言うと?」


『危険です』


「知ってる」


 その瞬間。


 変異種が床を砕きながら突進した。


 速い。


 普通の個体とは比べ物にならない。


 ガルドが即座に前へ出る。


「散れ!」


 大剣が振り下ろされる。


 だが。


 変異種は真正面からそれを弾き飛ばした。


 重い衝突音。


 ガルドの身体が大きく後退する。


「っ、硬ぇ!」


 次の瞬間には横から槍使いが突き込む。


 鋭い一撃。


 だが、穂先は皮膚を浅く削っただけだった。


「おい冗談だろ……!」


 変異種が唸る。


 その赤い眼が、ゆっくりレンを捉えた。


『脅威対象から視線固定を確認』


「モテたくなかったな」


 レンは小さく息を吐く。


 変異種が床を蹴る。


 一瞬で距離が潰れる。


 だが。


 レンの視界では、その動きはまだ追えていた。


『左回避推奨』


 半歩。


 身体を捻る。


 巨大な爪が頬の横を通り抜け、後方の石壁を砕いた。


 破砕音。


 舞い上がる石粉。


 レンはその勢いのまま懐へ潜り込む。


 硬い。


 普通の刃なら通らない。


 だが。


『頸部関節部へ集中』


 セレスの補助が走る。


 レンはナイフを逆手に持ち替え、そのまま関節部へ刃を滑り込ませた。


 一瞬。


 変異種の動きが止まる。


 次の瞬間、大量の血が噴き出した。


 巨体が大きく揺れる。


「は――?」


 後ろで槍使いが呆然と声を漏らす。


 変異種はなおも暴れようとする。


 だが、レンは既に距離を取っていた。


 数秒遅れて。


 巨体が崩れ落ちる。


 轟音。


 石床が揺れた。


 静寂が落ちる。


 誰もすぐには喋らなかった。


 やがて。


「……今の、見えたか?」


 弓使いの女が乾いた声を出す。


「いや、途中から分からん」


 ガルドが剣を下ろしながら息を吐く。


 ミレイだけは、倒れた変異種ではなくレンの方を見ていた。


 琥珀色の瞳が僅かに細まる。


「……今、どこ斬ったの?」


「関節っぽい場所」


「っぽいで当てる?」


「なんとなく?」


 ミレイは少し黙り込む。


 その表情は驚き半分、呆れ半分だった。


『推定:誤魔化し失敗率上昇』


「余計な分析するな」


 レンは小さく息を吐きながら、倒れた変異種へ視線を向ける。


 だが。


 その時だった。


 遺跡のさらに奥。


 暗闇の深部から、低い振動音が響いた。


 まるで巨大な何かが、ゆっくり動き始めたような音だった。


 空気が変わる。


 さっきまでとは明らかに違う。


 壁の奥から、微かに脈動みたいな振動が伝わってくる。


 レンは眉を寄せた。


「……なんか嫌な感じだな」


『周辺エネルギー濃度上昇を確認』


 セレスの声が静かに響く。


『上昇速度が異常です』


 ガルドも同じ感覚だったらしい。


 大剣を下ろしながら周囲を見回す。


「おい、これ普通じゃねぇぞ」


「変異種が二層前で出る時点で普通じゃない」


 弓使いの女が顔をしかめる。


 ミレイは倒れた変異種の額へ視線を向けていた。


 青白い結晶。


 そこから、薄く霧みたいな光が漏れている。


「……深部側の魔力流れてる」


「分かるのか?」


「この結晶、まだ魔力吸ってる」


 ミレイは少しだけ表情を険しくした。


「多分、遺跡そのものが活性化してる」


 その言葉で空気が重くなる。


 レンも周囲へ視線を向けた。


 さっきまで気付かなかったが、壁面の紋様が微かに発光していた。


 青白い線が、血管みたいに壁の奥を走っている。


『術式反応増加』


 セレスが続ける。


『広域構造活動を確認』


「……つまり?」


『遺跡全体が稼働状態へ移行している可能性があります』


「聞きたくなかったな」


 レンが小さく呟く。


 ガルドは即座に判断した。


「一旦戻るぞ」


 誰も反対しなかった。


 この状況は明らかに異常だ。


 変異種。


 活性化する術式。


 深部から響く振動音。


 白銀級調査隊で対処する範囲を超えている。


「撤退だ。入口まで戻る」


 ガルドの声と同時に、調査隊は来た道を引き返し始めた。


 レンも後ろへ続く。


 だが。


 数分ほど走ったところで、先頭を走っていた槍使いが急停止した。


「……は?」


 低い声。


 レンも足を止める。


 通路が、消えていた。


 正確には。


 さっきまで繋がっていたはずの道が、巨大な白い壁で塞がれていた。


「崩落か!?」


「違う」


 ミレイが即座に否定する。


 壁へ触れ、そのまま僅かに目を見開いた。


「これ……元からある壁」


「は?」


「構造が変わってる」


 一瞬、全員が黙る。


 レンはゆっくり周囲を見回した。


 壁の紋様配置が違う。


 通路幅も微妙に変化している。


 さっき通った場所とは明らかに別構造だった。


『警告』


 セレスの声が響く。


『周辺空間構造に変動を確認』


「空間変化ってことか?」


『可能性が高いと推定』


「最悪だな……」


 その時だった。


 遺跡全体が低く震える。


 轟音。


 遠くで何か巨大なものが動く音が響いた。


 直後。


 背後の暗闇から、低い唸り声。


 まだ終わっていない。


 グレイブハウンドの群れが、再びこちらへ近づいてきていた。


「っ、囲まれてる!」


 弓使いの女が叫ぶ。


 ガルドが舌打ちする。


「クソッ……!」


 逃げ道は消えた。


 しかも遺跡そのものが動いている。


 完全に想定外だ。


 ミレイは壁へ触れたまま、小さく息を呑む。


「……深部側の術式が起動してる」


「止められないのか?」


「分からない」


 ミレイは珍しく即答しなかった。


「こんなの、記録でしか見たことない」


 壁面の紋様が脈打つみたいに発光する。


 青白い光が通路全体へ広がっていく。


 その奥で、巨大な装置が起動するような低音が響いていた。


『艦長』


 セレスの声が静かに響く。


『現在状況を“高危険度未知文明遺構接触事案”へ分類します』


「……簡単には帰れなさそうだな」


 レンはナイフを握り直しながら、暗闇の奥を見据えた。

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