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ツヨイチカラ  作者: 桃馬 穂
第10章 楽園の残酷

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第10.3量子パルス:作戦決定、楽園への進撃

 ≡ Quantum Pulse 10.3 / The Plan is Set, Advance to Paradise


 カナデのホログラム像が消えた後、毒蝮研究所に重い沈黙が落ちた。オイルの染みたコンクリートの匂い、壁際のΦシフターが発する低い唸り、そして今は何も映していない大型モニターの冷たい光だけが、そこにあった。エデン・プロジェクトという、あまりにも非情で、あまりにも強大な敵の存在が、部屋の空気を鉛のように重くしていた。

 その沈黙を破ったのは、再び起動したホログラム投射機の微かな音だった。光の粒子が収束し、先ほどと同じカナデの姿が浮かび上がる。しかし、その表情は先ほどよりもわずかに柔らかく、声のトーンも個人的な響きを帯びていた。

「皆さん、重い話の後で申し訳ありません。ですが、どうしても今、紹介したい仲間がいます」。

 カナデは少しだけ横にずれる。すると、彼女の背後から、一人の女性が遠慮がちに姿を現した。少し疲れた表情をしているが、その瞳には芯の強さが宿っている。アルカディア・コネクトの「市井のオペレーター」、ミカだった。

「ミカです。私たちの“目”となり“耳”となり、危険な場所で情報を集めてくれています。彼女がいなければ、エデンの計画に気づくことすらできなかったでしょう」。

 翔太たちが息を詰めて見つめる中、ミカのホログラム像の足元から、小さな女の子がひょっこりと顔を出した。ミカの一人娘だった。母親の服の裾をぎゅっと握りしめ、好奇心に満ちた大きな目で、ホログラムの向こう側にいる翔太たちを見つめている。

「ママのおともだち?」

 舌足らずな声が、張り詰めた研究所の空気を不意に和らげた。ミカは娘の頭を優しく撫で、翔太たちに向かって少しだけ頭を下げた。

「お兄ちゃん、ママのおしごと、てつだってくれるの?」

 少女の視線は、まっすぐに翔太に向けられていた。翔太は戸惑いながらも、頷き返す。「……ああ。手伝うよ」。

「ほんと? じゃあ、がんばって!」。

 少女は屈託のない笑顔で、小さな手を振った。その無邪気な声援に、翔太の胸が不意に締め付けられる。守りたい、と思った。この笑顔を、この声を守るために、自分たちは戦うのだと。

「……ありがとな。お嬢ちゃんは、何か好きなものとかあるのか?」

 翔太が尋ねると、少女はぱっと顔を輝かせた。「ふうせん! あかいのがすき!」。

「そっか。風船か」翔太は、自分でも驚くほど優しい声が出たことに気づいた。「じゃあ、約束だ。今度、お兄ちゃんがお土産を持って行ってやる。赤だけじゃない。虹色みたいな、たくさんカラフルな風船をな」。

「ほんと!? やくそくだよ!」

 少女の笑顔が弾けた。その笑顔が、翔太の心に、守るべき未来の具体的な形として、深く、深く刻み込まれた。ミカは、ありがとう、とだけ言って、娘をそっと抱きしめた。通信が切れ、ホログラムの光が消える。後に残されたのは、先ほどとは質の違う、温かくも、しかしあまりにも重い沈黙だった。


「……ふざけてやがる」

 最初に沈黙を破ったのは、郷田だった。彼の声には、エデン・プロジェクトへの剥き出しの怒りと、そして今しがた見た少女の笑顔を守りきれるのかという、言葉にならない焦燥が混じっていた。

「許せない……」結衣の声が震える。彼女の脳裏にも、あの少女の笑顔が焼き付いている。守るべき命を選別し、見捨てるというエデンの計画は、彼女の倫理観の根底から許しがたいものだった。

 翔太は、何も言えなかった。「風船を持っていく」という軽い約束が、今や自分の背中に重くのしかかっていた。自分の選択が、あの親子の運命に直結している。その事実が、彼の胸に澱のように溜まっていく。

 その重苦しい空気を切り裂いたのは、ドク博士の甲高い声だった。

「問題は三つじゃァない! 四つじゃ!」。

 ドクは白衣の裾を翻し、ホワイトボードの前に立つと、乱暴な筆致でチョークを走らせた。「技術! 倫理! 時間! そして四つ目! チームの亀裂じゃ!」。

 その言葉に、全員がはっと顔を上げた。

「影山くんが去った! あの頭脳と冷静な判断力、チームのブレーキ役だった彼が、今は敵の側にいる! この打撃を無視して作戦など立てられるか! お前たち、動揺しとるじゃろ! 顔に書いてあるわ!」。

 ドクの指摘は、誰もが目を背けていた傷口を、容赦なく抉り出した。結衣は唇を噛み、俯いた。影山に特別な想いを寄せていた彼女にとって、彼の離反は誰よりも大きな傷だった。郷田もまた、気に食わない相手ではあったが、その実力を認めていただけに、苦々しい表情で黙り込んでいる。翔太は、親友を失った喪失感と、止められなかった後悔で、拳を握りしめることしかできなかった。


「メソメソするなァ!」「原子核を見ろ! プラスの電荷を持つ陽子が、なぜ狭い原子核の中で反発し合わずにいられるか! そこには反発力以上の、全体を成り立たせるための『構造の力』が働いておるからじゃ! 我々も同じじゃ!」

 彼の言葉は、いつものように常軌を逸していたが、不思議な熱量があった。

「影山くんという優秀な“クォーク”が一つ抜けた! ならば残ったクォークで、もっと強く、もっと美しい構造を組むまでじゃ! 崩壊してエントロピーを増大させるなど、宇宙の法則に反する愚の骨頂! 我々の知恵と絆で、新たな原子核を創り出すんじゃ! それが進化じゃろうが!」。

 ドクの科学と熱意がごちゃ混ぜになった励ましに、沈んでいた仲間たちの目に、少しずつ光が戻り始める。その言葉に背中を押されるように、翔太が静かに立ち上がった。

「みんなに、頼みがある」

 彼の声は、まだ少し震えていたが、迷いはなかった。

「影山のことを、裏切り者と憎まないでほしい」。

 その言葉に、郷田が「何を甘いことを」と顔をしかめる。だが、翔太は続けた。

「あいつは、俺たちとは違う答えを選んだだけだ。俺は、その答えが間違ってるって証明したい。でも、あいつ自身を憎みたくないんだ。あいつは……まだ、俺の友達だから」。

 その言葉は、翔太の優しさであり、リーダーとしての成長の証でもあった。結衣は顔を上げ、翔太の横顔をじっと見つめた。ライラも、郷田も、その言葉の重みを黙って受け止めていた。チームの亀裂は、憎しみではなく、友を取り戻すという新たな目的意識によって、ゆっくりと塞がり始めていた。


「……やろう」

 翔太が、決意を込めて言った。その声には、もう無力感の澱はなかった。彼の脳裏には、風船をねだった少女の笑顔と、違う道を選んだ親友の顔が浮かんでいた。

「どうすりゃいいかなんて、考えてるだけじゃ分からない。誰も見捨てないって決めたんだ。だったら、やるしかない。成功確率が低いとか、無謀だとか、そんなのは、やってみてから言えばいい」。

 彼の決意に、仲間たちの心が呼応する。

「ああ、そうだな。ごちゃごちゃ言ってても始まんねえ」と郷田が不敵に笑う。 「私も、行く。翔太くんの隣で、私にできることをやる」と結衣が力強く頷く。 「当たり前だよ。私の故郷の話でもあるんだから」とライラが、いつもの笑顔を取り戻す。

「うむ! やるしかないのう! 武勇伝はあとで編集室でやれ! 今は現場で作るんじゃ!」ドクが叫び、黒板に新たな作戦図を描き始めた。

 作戦の骨子が、矢継ぎ早に決められていく。A8との連携はない。アルカディア・コネクトの戦力のみで、この無謀な戦いに挑む。

「第一陣として、私とガーディアン隊が先行します」。カナデが、ホログラムの向こうで告げた。「リクの量子通信網を使い、時空バリア中枢の周辺に潜入。内部からのハッキングルートを確保します」。

「こっちでは、ドクと俺がΦシフターの出力を最大安定させ、いつでもそちらへ増援を送れるよう待機する」。翔太が指揮の一端を担うことを、誰もが自然に受け入れていた。

「進撃、開始します」

 カナデの静かな号令と共に、毒蝮研究所の奥で、Φシフターが再び低い唸りを上げた。青白い光が走り、空間が陽炎のように歪む。光の向こうに、カナデに率いられたステルススーツ姿のガーディアン隊が、超古代の世界――“あのパラレルワールド”へと転送されていく。

 光が収まり、研究所に再び静寂が戻る。それは、遠い未来にいる仲間を救うための、無謀とも思える一歩が踏み出された瞬間の、希望と緊張に満ちた静けさだった。 翔太は、Φシフターの余熱が残る空間を、固く拳を握りしめて見つめていた。戦いは、今、始まった。


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