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ツヨイチカラ  作者: 桃馬 穂
第8章 拍動を合わせて

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第8.9 量子パルス:撤収線、折り返し

 ≡ Quantum Pulse 8.9 / Fold Back on the Return Line


 最上段での静けさを確認し、〈ミズハ〉は舷を堤防の黒に寄せたまま姿勢を保った。甲板の水は薄い筋になって後ろへ流れ、手すりの塩が白く指に移る。胸の中の鼓動はまだ高いが、手の動きはもう次の段取りに合う。

 影山「撤収に移る。計画どおり“折り返し”。外へは見せず、線だけ残せ」

  カナデ「了解。後進零点一のまま、張力二・五で保持。外部の目は距離を保つ、接近の意志は弱い」

  ライラ「拍、落とす……三、二、一。全員、息を整えて」

 倒れた躯体は胸から沈み、関節の光はすべて消えた。さっき名乗った人物は手すりの外で角度を変え、こちらを観察するだけで動かない。翔太はボードを抱え、デッキのケースに戻しながら肩の呼吸を均した。

 郷田「スリング、固定継続。ラインの撚りはゼロ、張力は二・五。ウインチ柱、異音なし」

  影山「よし。〈サギリ〉は水路方向へ戻して合流。その後、別れ。ミズハは影沿い西へ、サギリは浅瀬に沿って東へ。二本の線で視線を割る」

  カナデ「最適分岐、出した。距離が開きすぎたら私が切り直す」

 結衣「学園は安定、通信良好。……全員、帰ってきて」

  リク「研究は連続保存。対外へは“設備点検”で統一、外部問い合わせは保留のまま」

  ライラ「小瓶の確認を先に。——翔太、持てる?」

 翔太はうなずいて、艫のケースから臨界小瓶を取り出した。透明の壁の内側で、微細な沈殿が光を鈍く返す。両手で受け、膝に重さを逃がすようにして、耐衝撃のフォームへ収める。

 翔太「入った。封止、良好。……割らない」

  ライラ「受け取る。計測ラベル貼る。——結衣、研究に番号を送って」

  結衣「受けた。ラベル記録、保存。番号は一致」

 外の黒い雨具は何も言わず、小型艇をわずかに引いた。影山は一度だけ視線を投げ、声は出さない。甲板には潮とゴムの匂いが残り、耳に返る反響はさっきより軽い。

 影山「翔太、操舵に戻れ。サギリの姿勢はカナデが持つ。——郷田、甲板掃除の範囲は最小で、痕跡を増やすな」

  郷田「了解。水は流さない。拭き取りで済ます」

  カナデ「サギリ、離脱角出す。浅瀬の段差に沿って東へ。速度は零点三、増減は私で持つ」

 翔太はハンドルへ手を添え、段差の角に親指を軽く当てた。背中の汗はもう冷えたが、脈はまだ速い。〈サギリ〉の短い舵は素直に応え、艫の小さな震えが指先に戻る。

 ライラ「三拍刻んで、曲がり角ひとつ。——今」

  翔太「了解。半目だけ送る」

  カナデ「外の小型艇、向きは維持。こちらの速度に合わせて様子見の挙動」

 堤防の切れ目を越えると、反響の高さが一段変わった。コンクリートの壁が音を抱える量が増え、船体の周りだけ音の薄い空間ができる。視界の縁は狭く、線の端はまだ濃い。

 影山「よし。ここで分岐だ。——ミズハ、影沿い西へ。サギリ、東へ流せ。互いに相手の位置を言わない。数字だけ見ろ」

  ライラ「分岐、三、二、一。実行」

  カナデ「ミズハ、方位西へ九十。速度零点二。サギリ、方位東へ八十。速度零点三。距離、開く」

 結衣「学園、外の目は動かず。道路は巡回一台、通過。港側の監視は増えていない」

  リク「研究、受信の強度は安定。——小瓶の温度範囲、規定内。衝撃は閾値未満で推移」

  ライラ「ありがとう。……このまま、折り返す」

 翔太は一度だけ深く吸って、吐いた。舌の奥に残っていた金属の味は薄れ、代わりに潮の匂いが強くなる。前に向けていた肩の力が抜け、指の感覚がもう一段戻ってきた。

 郷田「右舷後ろの格子、ピンを戻した。甲板の痕跡は目視で見えない」

  影山「了解。サギリの再合流点は港手前の杭影。合図はミズハから出す。——カナデ、全体の距離報告は五刻み」

  カナデ「把握。距離、八十……七十五……七十。外の小型艇は距離を維持、方向は読めず」

 黒い雨具は風下へ滑るように離れた。名だけ置いて去る。呼び名が胸に残るが、ここでは手を伸ばさない。影山は舷の角を指で叩き、そのまま手を膝へ下ろした。

 ライラ「拍、保つ。サギリ、あと二角で浅瀬を抜ける」

  翔太「了解。段差を一度越す」

  カナデ「越した。舵の反力、戻りは素直。浅さは減る」

 結衣「学園、屋上から視認できる灯りは変化なし。風は弱い。……お疲れ、でもまだ気を抜かないで」

  リク「研究、ログの時刻は連続。三点同期の誤差は許容内のまま」

  ライラ「助かる。あと少し」

 〈サギリ〉は浅い帯を抜け、港へ通じる筋に乗った。舷の影が薄くなり、足場の感覚が乾いた。さっきの一合がまだ手のひらに残り、関節には細い余韻が生きている。

 影山「ここで——」と言いかけて、黙って手首をひねった。回線の底に薄い歪みが走り、すぐ抜ける。さっきの広帯域の雑音とは違う、遠い場所の乱れだ。

 カナデ「ノイズ一瞬、収束。通信は安定に戻った」

  影山「よし。続行。——ミズハ、堤防影の角は維持。サギリ、杭影で一度止め」

  ライラ「三、二、一。止めて」

  翔太「止めた。戻りで段差に乗せている」

 郷田「ウインチ、停止でホールド。張力二・五から二・二に落とした。柱、異音なし」

  カナデ「距離、五十。分岐の効果維持。外の小型艇は、いまだ躊躇の挙動」

  影山「合図はここで出す。——ミズハ、右へ二、サギリは左へ二。交差せずに入れ違う」

 結衣「道路の巡回、港の前で一度停車。すぐ再出発。こちらへの視線はなし」

  リク「研究、外部の監視波形は安定。——“誰かの記録”は継続」

  ライラ「こちらの記録は十分。……あとは帰るだけ」

 交差の角度は小さく、速度は低い。互いに舳先を見ず、影しか見ない。舷の下で水が入れ替わり、甲板の反響が一度だけ跳ねて、すぐ落ち着く。

 影山「よし、折り返しは乗った。——あとは港へ。桟橋に入る角度は、出る時と同じ線に見せろ」

  カナデ「港の灯り、変化なし。——入る線、出た線と重ねる」

  ライラ「三、二、一。入る」

 翔太はハンドルを軽く切り、桟橋の影をなぞった。動きの幅は小さいが、足裏に重さが戻ってくる。さっき甲板で走った輪郭が、そのまま内側の線に変わった気がした。

 郷田「ロープ、取る。——止めろ、そこ」

  翔太「止めた」

  ライラ「拍、落として。終了に移る」

 係留の金具が手に冷たく、ロープの繊維が濡れて重い。結び目が座る音が舷に短く返り、船体の微かな揺れが消えた。〈サギリ〉は息を止めるように静かになる。

 影山「ミズハも入れ。外へは“何もなかった”顔で終われ」

  カナデ「了解。入る動きは既存の線に重ねた。第三者の目に新規は見えない」

  ライラ「小瓶、最終確認。封止、温度、ログ、全部よし」

 結衣「学園、終了宣言を受けた。——みんな、本当にお疲れ」

  リク「研究、受領準備。冷却と遮光のケース、用意できた」

  影山「では、これで折り返しは終わりだ。……誰も落ちていないな」

 翔太「大丈夫。……生きて帰った」

  ライラ「戻らなかったら怒るって言ったから。怒らないで済んだ」

  郷田「怒られるのは、帰ってからでもいい」

 甲板の匂いは潮に戻り、コンクリートの反響は夜の一定に紛れた。黒い雨具の名は胸の奥に残るが、今は触れない。触れれば、別の線が始まるからだ。

 影山「受け渡しは研究所で。港からの導線は行きの逆。道路の死角はそのまま使う」

  カナデ「了解。地図を再送。停車点、遮蔽、すべて重ねた」

  ライラ「みんな、水を飲んで。——手を見せて、震えてたら言う」

 翔太は掌を開き、指を握った。痺れは薄く、輪郭ははっきりしている。スパナの重さはもうない。代わりに残っているのは、見たものの重さだけだ。

 影山「行くぞ。——折り返し完了」

  結衣「了解。最後まで、見る」

  リク「了解。最後まで、記録する」

 〈ミズハ〉は夜の影に戻り、〈サギリ〉は桟橋に身を沈めた。風は一定で、海は声を荒げない。引いた線を踏み直さずに、彼らは“帰る”という一つの線へ体を乗せた。


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