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ツヨイチカラ  作者: 桃馬 穂
第3章 語られざる異世界

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第3.11量子パルス:β世界の残響

 ≡ Quantum Pulse 3.11 / Echoes from β


 夕方の商店街は、ブレーキのこする音と買い物袋の擦れる音が重なり、静かなざわめきに包まれていた。なのに横断歩道の信号が一瞬だけ全色を同時に光らせ、電線が低くうなり、自販機は硬貨を飲み込んでは迷うように吐き返す。犬が同じ支柱を二度嗅いで首をかしげた。


 誰も足を止めないが、足裏だけが半歩ずれたような違和感を記憶する。小さな変化は目立たないぶん、地面の下で静かにつながっていく。ドクの研究室。


 非常口での遭遇からおよそ一時間半。翔太は上着の裾についた白い粉を払いつつ、肩の擦過の鈍い痛みを意識して呼吸を整えた。消毒液の匂いがまだ薄く残っている。


 郷田は妹の様子を見に行くと言い、傷の手当てだけしてから帰った。窓は閉まっているのに紙束の角がときどき小さく鳴り、受動観測に切り替えた計測器のグラフは浅い波を幾重にも重ねる。翔太、結衣、ライラ、影山が机を囲む。


 いつもと同じ立ち位置のはずなのに、互いの焦点が数センチずつ合わない感じがした。壁時計の秒針が一拍だけ長く止まり、また進む。ファンの風切り音が細く揺れる。


「町で“変な揺れ”が増えてる。信号、無線、地表観測で同じ帯に小さな歪みが出てるのを、さっきから連続で拾ってる。」


 結衣はメモを置き、時刻の列を赤鉛筆で揃えた。線は深夜帯と明け方に寄っている。


「ユニット07の余波ってことは?」


 翔太が画面から目を離さずに問う。言葉は落ち着いているが、手の甲の汗は引かない。


「単発の後震じゃないのう。寄り方に癖がある。」


 ドクは白衣の裾を払ってホワイトボードの前に立つ。チョークが軽く鳴った。


「アルカディアコネクトをつなぐ。」


 ライラが机の中央に小型端末を置く。スピーカーがぽんと鳴り、いつもの声が乗った。


「こちらアルカディアコネクト、通信主任のカナデ。——まず、確認。さっきの件、大丈夫だった? 負傷は。被害は出ていない?」


「みんな生きてる。校内の損傷は軽微。“退避優先”は守った。」


 翔太が短く答える。隣で結衣がうなずき、ライラが「ありがとう」とだけ添える。


「……よかった。声を聞いて、やっと心拍が戻った。——落ち着いたところで状況を共有する。まず、敵の整理から入る。」


「どうぞ。」


 ライラは平静に受け、端末の角をそっと指で押さえる。


「ひとつはA8(エースエイト)。資源とゲート技術を管理・独占しようとする技術主導の組織。戦闘用アンドロイドUnit07は彼らの“足”。もうひとつは“エデン・プロジェクト”。新興の宗教団体。表は災害救助と共同体づくり、内側は“選ばれた者を箱舟に乗せる”で信者を束ねる。教祖は御影蓮司。目的は、彼らが“もうひとつの世界”と呼ぶ場所への移住だ。私たちは、便宜上そこを“β世界”と呼んでいる。気候や地形がこちらと違い、古代文明“アルカトラス”の遺構が点在する層でもある。」


「待って、じゃあ——今日の揺れは、ユニット07じゃなくて……。」


 結衣の視線がメモから上がる。眉間の皺が一段深くなった。


「今この町で起きている小揺れは、エデン・プロジェクト側の“入口”確保に向けた観測と押し込みの波が有力。こちらに薄く響いている。今、町で起きている小さな歪みは、その波の端。だから観測網を増やす。学園・沿岸・研究所の三角で同時刻に揃える。」


「……また敵が増えるのかよ。」


 翔太が思わず本音をこぼし、唇を噛む。さっきまで肌にまとわりついた鉄の直線の気配が、背中にまだ残っている。


「観測網はどう増やす。具体的に。」


 影山は端末から目を離さずに言う。声は低く、温度を乗せない。


「学園は四隅、屋上の風向計の根元、理科準備室の換気ダクト。沿岸は防波堤の監視杭と港の非常警報柱。研究所は装置周囲に三点。すべて“置くだけ”の受動観測。今夜から明け方にかけて、二時十三分と五時十七分で三角を同時に揃える。ログは即時共有、揃い方を見て次の一手を決める。」


「A8とエデン・プロジェクトの関係は。」


 影山の問いは短い。視線だけが鋭さを増す。


「正式な同盟は確認されていない。目的は似ているが、思想と運用が違う。A8は管理と独占、エデンは選民と移住。利害が交差する地点では沈黙の取引、あるいは互いに“目をつぶる”関係が発生している可能性がある。だから、今後はA8に加え、エデンからの妨害や接触も想定してほしい。」


「“β世界”って、ライラの言う“向こう”と同じ場所のこと?」


 翔太は身を乗り出してしまい、自分の声の上ずりに気づいて喉を押さえた。


「記号で整理する。便宜上、“私たちの世界”(ライラが来た側)をα(アルファ)、エデン・プロジェクトが移住先として狙っている異世界をβ(ベータ)、あなたたちの今いる世界をγ(ガンマ)と呼ぶ。今の“揺れ”は、βからγへ触る手の痕跡、と覚えて。」


 カナデは順番を崩さずに置き、言葉を短く切る。その切り方に、さっきまでの心配の余韻がかすかに残った。


「御影蓮司って、どういう人?」


 結衣はペンを止め、真正面から問う。怯えの色はないが、呼吸は浅くなる。


「エデン・プロジェクトの最高責任者はゼファル(Zephal)。肩書は“グランド・コンダクター”。財務と外交、移住技術の最終決定権を握る。御影蓮司は地上側の教祖で“父”。選民思想の背景は、災害や疫病を前提に“選ばれし者だけが生き残るべき”という再生教義。古代文明アルカトラスの末裔を自称し、排他性を正当化している。技術面の実務はカサンドラが統括、広報・外交はヴェロー派。外には一枚岩に見せているが、内側は綱引き中だ。」


 端末の向こうで紙が重なる小さな音。研究室の蛍光灯がじりと鳴り、秒針が一拍だけ長く止まってまた進む。グラフの一本がわずかに太った。


「先生と自治体への説明は私が行く。“停電対策の点検”名目でログ提供のお願い。心配させない言い方で通す。」


 結衣は短く息を整え、文案の骨を頭の中で並べ直す。


「研究所は“聞くだけ”を維持。ログは二重化して影山にも同時に流す。数字は嘘をつかない。」


 翔太はキーボードに指を置いたまま言い切った。指先に汗がにじむが、キーは静かに鳴る。


「港は私が当たる。協力者に“置くだけ”を依頼済み。角度は修正済みで、明け方の合わせに間に合う。」


 ライラは地図の赤丸をわずかに動かし、短くうなずく。指先の小さな動きが、遠い責任の重さをそのまま伝えた。


「よし、今夜は観測、明け方に照合、昼間は“耳”の増設計画を詰める。以上! 若人、武勇伝はあとで編集室でやれ!」


 ドクは自分で言って満足げにうなずき、引き出しから円盤型センサーを取り出して布で拭いた。白墨の粉が袖に落ち、机の足元でころりと転がる。


「最後に一点。学校近辺に“目”が増える可能性がある。人の目と装置の目が混在、巡回は規則的。見つけても、刺激はしないで。」


 カナデが締め、端末のランプが短く明滅して通信は切れた。研究室に、機械のファンの唸りと外の風の気配が戻る。秒針はもう止まらない。


 代わりに心拍が少し上がる。


「先生への文案、ここで起こす。要点は“安全点検”“記録のみ”“負荷なし”。」


 結衣はパソコンを引き寄せ、打鍵の軽い音を走らせた。


「研究所は夜通し“聞くだけ”継続。二十三時から五時の帯は微分をきつくする。影山の回線に自動ミラーも入れた。」


 翔太は設定を確かめ、保存音の短い鳴りを聞いた。御影とゼファルの名は喉の奥で金属の味を残す。だが数字を並べるほど、その味は細かく砕けていく。


「港の“耳”、設置完了。写真の角度、良し。」


 ライラが短く報告し、窓の外へ視線を流した。遠い海の線を思うと、胸の内側に冷たい層がひとつ増えた気がする。


「やる。——箱舟ごと止める。移住も選別もさせない。天の川銀河とアンドロメダ銀河の衝突も、ここから届く手で必ず止める方法を探す。全員で生き延びる。」


 翔太は言い切り、唇の内側を軽く噛んで冷静を引き戻した。結衣は頷き、ライラは目を細める。


「その心意気に予算が追いつかんのが世の常じゃが、やるしかないのう。」


 軽口に、室内の張り詰めが少し緩む。だが揺れは待ってくれない。蛍光灯がじりと鳴り、グラフの線が小さく脈を打つ。


 そのとき、影山はもう立っていなかった。黒いフードは机から消え、ドアは音もなく閉じている。誰も止めていないが、誰も気づかなかったわけでもない。


 彼は、思ったことを口にせず、先に見に行く男だ。校庭の外れ。街路樹の陰は濃く、人の往来はまばらだ。


 風のない夜に砂利がざらりと動き、遠くのフェンスで金属の細い鳴りが一回だけ走る。信号の足元で砂粒が舞い、街灯がわずかに明滅してすぐ戻った。影山は胸ポケットから薄いカメラを抜き、シャッターを一度切る。


 画面には何も映らないが、皮膚が“そこにある”形だけを正確に覚える。


「報告は——最低限でいい。」


 影山は独り言のように小さく言った。誰も聞かない声で、言葉の重さだけ確かめる。影山は思った。


 信じるのはデータだ。人は状況に合わせて言い方を変える。自分も例外じゃない。


 だが、さっきの天野の“全員で生き延びる”は計算の外から来て、妙に脳に残る。甘さか、判断材料か。切り捨てるだけの世界は、結局ほころぶ。


 だから——先に見る。まず“向き”を掴む。答えは、足で取りに行く。


 角を曲がる前、背後で短い機械音がカチリと鳴った。振り返る。だが空気の流れが、さっきと違う。


 影山は報告を打たず、歩幅を半歩だけ短くした。校舎と港を結ぶ細い路地へ身を滑らせる。靴底がアスファルトを撫で、街灯の下で影がいったん切れてまたつながる。


 胸の中の時計は無音のまま刻み続け、遠くで金属がもう一度だけ鳴った。


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