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ツヨイチカラ  作者: 桃馬 穂
第3章 語られざる異世界

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第3.9量子パルス:門を割って来た者、三つ巴の入口

 ≡ Quantum Pulse 3.9 / The Gate-Born Encounter


  場所は学園本館の裏手、非常口が並ぶサービスヤード。時間は放課後、部活動が動き出す前の薄い帯。空はまだ明るいのに、校舎の影は濃く、風が配電盤のカバーをかすかに震わせていた。


 最初の異変は空気だった。乾いた匂いが一瞬で金属の味に変わり、地面の砂粒が細かく跳ねる。空間の一点がぎゅっと凹み、続いて破れ、白青の閃光が走る。


 轟きが壁を叩き、非常口の押し板がぎちりと歪む。光の裂け目から、一体が足を踏み出した。整備員の上着に似た外装、肩は人より広く、首の動きは直線的。


 足が床を踏むたび、鉄骨の中で低い音が鳴る。戦闘用アンドロイドUnit07。名を知らなくても、“それ”であることは、見ればわかった。


 ちょうどその時、グラブ袋を肩にかけた郷田剛が、昇降口へ向かう通路を何気なく歩いていた。自販機に寄るついでに非常口のへしゃげた板を見る。足が止まる。


「……は?」


 視線が影に吸い寄せられる。影は返事をしない。返事をする造りではない。


 ひとつだけ、首の角度が郷田の線に揃う。次の瞬間、直線。空気が裂けるような速さで、Unit07が距離を詰めた。


「おいおい、何だよ——!」


 郷田は本能で左へ跳ぶ。肩が壁に当たって鈍い音。拳が自然に握られる。


 振り抜いた右は硬質外装に弾かれ、皮膚が裂ける。熱い痛みと、鼻先に油の匂い。


「てめぇ!」


 左のフックは空を切る。“顎”の位置が人間と違う。逆に、胸元へ平打ちの一撃。


 息が抜け、膝が落ちる。それでも睨みだけは切らさない。——同じ頃、理科棟の準備室では、四人が最後の確認を終え、散開していた。


 影山は屋上へ、結衣は体育館裏へ、ライラは研究所側の“耳”に残った。翔太は、理科棟と本館をつなぐ渡り廊下へ。狭い通路、鉄枠の扉、踊り場——頭の中で“逃げの三本”を並べ直しながら。


 非常口の方角から、金属が潰れる音と短い怒鳴り声。胸が冷たくなり、次の瞬間には熱くなる。足が勝手に走る。


 曲がり角を抜けた先、白い粉が飛沫のように舞っていた。歪んだ非常口の前で、Unit07と郷田が向き合っている。


「なんでよりによって、ここで——!」


 翔太の頭が真っ白になる。練習した手順の語が、一瞬どこかへ飛ぶ。ユニット、扉枠、狭路——全部知ってるのに、身体と接続しない。


 郷田の右拳から血。左肩でまだ前に出ようとしている。


「郷田、下がれ! 相手が悪い!」


「黙れ、天野! お前とやる方が先だ!」


 胸の奥がきゅっと縮む。「何なんだよ!」と言い返したくなる自分と、言えば余計に燃料を投げるだけだと分かっている自分が、同時にいる。


 頭では“狭路へ”と分かるのに、足は一歩、引いた。喉の奥で“勝手にしろ”が勝手に出かかる。ここで助けに入って、殴られるのは自分だ。


 向こうは鉄だ。こっちは肉だ。ドクの「武勇伝はあとで編集室でやれ!


 」という声まで、今は逃げ口上に聞こえる。


「——勝手にしろ!」


 言ってしまった。ほんの一歩、背を向けた。影が視界の端で直線に伸びる。


 郷田は後ずさりしながらも、正面から目を切らない。倒れず、逃げず、歯を食いしばって拳を握る。右が駄目なら左で、左が駄目なら肩で。


 理屈はない。ただ、立っている。何でここで意地を張る。


 何でこんな時にまで俺に噛みつく。何で——でも、何で、こんなふうに立ってられるんだ。怖いくせに。


 痛いはずなのに。胸の“勝手にしろ”が、喉の途中で引っかかって止まる。代わりに、別の言葉が出た。


「……クソ!」


 翔太は踵を返し、リュックのストラップを肩から外した。フラックスボードが床に置かれる。右足で押し、低く沈む。


 金具がきしむ。手の汗がストラップに吸われる。怖いけど、怖いまま動く。


 動け。動け、俺。


「こっちを見ろ!」


 鉄扉の枠を平手で叩く。乾いた金属音が走る。Unit07のセンサーがわずかに翻り、膝の補機がキィと鳴る。


 “向き”が翔太に寄る。直線がこちらへ描き直される。


「来い——!」


 突進。まっすぐな圧が空気を押す。翔太はボードを傾け、扉枠の外へ横滑りで抜ける。


 すれ違いの角度。肩と肩がかすめ、硬質樹脂の匂いが一瞬鼻に刺さる。その瞬間、手首の継ぎ目が視界に入る。


 外装の浅い隙。届く距離。


「……っ!」


 ストラップを投げ、取っ手に回してテコにする。全体重で引く。一拍、動きが止まる。


 人間の逡巡ではない。負荷分散のための、極小の停止。その隙に、翔太は郷田の襟を左手で掴み、ボードを蹴って狭い通路へ滑り込んだ。


「離せ! 俺は——」


「後で聞く! 今は生きろ!」


 Unit07の腕が鉄枠に当たり、金属音が腹に響く。テコの角度が変わり、ストラップが外れかける。翔太は肘で郷田を押し込み、幅ひとり分の“横”を確保。


 直線加速の利かない幅に、相手の肩がわずかに引っかかる。


「天野! 貴様、何も分かってないんだな!」


「じゃあ、教えろよ! ここを抜けてから!」


「どの面下げて妹に会ってんだ! あんなにも、あいつを——」


 妹。心臓のうしろを何かに掴まれたような感覚。怒鳴り返したい言葉が喉で絡まる。


 俺は何をした。知らないのか、覚えていないのか、誤解なのか——思考が走る前に、膝奥の高音。再加速の合図。


「郷田、壁に背中! 左肘を前!」


 言いながら、さっきの一歩を悔やむ自分がいる。あの一瞬、背を向けたこと。見捨てそうになったこと。


 情けなさで胃が熱くなる。だから、せめて今は、身体で借りを返す。言葉はあとだ。


 Unit07が狭路に無理に身体を入れ、肩が半透明のカーテンレールに引っかかった。レールが悲鳴のような音を出す。翔太はボードのブレーキを踏み、扉の鉄枠を盾にして角度を作る。


 前腕が入らない角度。息が荒い。手が震える。


 震えたままでいい。震えたまま、テコを握る。無線が耳の奥で小さく鳴った。


 影山の声。


「翔太、位置は——」


「本館裏の非常口前! 郷田と接触、Unit07も! 狭路に誘導、扉枠で遮断!」


「了解。人は呼ぶな。混乱する。——退避優先。」


 ライラの短い声が続く。


「息を短く、長く。視線は肩の線。正面に立たない。」


「分かってる!」


 Unit07は扉をこじ開けるのをやめ、向きを変えた。回り込みを選ぶ動き。ここで押し切られなかったのは、郷田の一歩と、自分が戻った一歩の、合わせ技だ。


 そう思い込まないと、さっきの“勝手にしろ”が自分の中で膨らむ。


「回る気だ……!」


 翔太は息を吐き、郷田の腕を引く。


「行くぞ。踊り場まで抜ける。」


「勝手に決めんな!」


「じゃあ、俺を殴るのは後でやれ!」


 怒りの色のまま、郷田の目がほんの一瞬だけ揺れる。拳が握り直され、痛みで顔が歪む。その隙に、翔太はボードを蹴って狭路を滑る。


 鉄枠から手が離れた瞬間、背中に冷たい空気。追ってくる。別の線で。


 曲がり角。横滑りで抜ける。非常ベルの箱を肘でかすめ、鳴りそうになって鳴らない。


 呼吸が荒い。喉が焼ける。怖いけど、さっき背を向けた自分よりは、少しだけマシだ。


 踊り場の窓から夕方の光。ガラス一枚の向こう側に、ボールの音、笑い声。日常がすぐそこに続いている。


 今この瞬間、ここだけが異質。


「郷田。」


 振り向かないまま言う。自分の声が少し震えているのが、分かる。


「なぜ俺を目の敵にするんだ。今、ここで全部は無理でも、ひとことだけでいい。」


「貴様、何も分かってないんだな!」


 隣で息を荒げながら、郷田が叩きつける。


「あんなにも——オレの妹を、傷つけておきながら!」


 心臓がまた掴まれる。否定したい。反論したい。


 思い当たる節が、ない。ないけど、彼の声の熱は嘘じゃない。喉の奥で言葉が絡み、代わりに出たのは、短い決め台詞みたいなものだった。


「——逃げ切ってから、話せ。ここじゃ、言葉が死ぬ。」


 背後で、別ルートのどこかの金属扉がかすかに軋んだ。Unit07は計算を終え、回り込みに入った。三つ巴の形が、やっと三角形になりかける。


「退避、継続。」


 自分自身へ言い聞かせるように呟く。フラックスボードが低く唸り、踊り場の角で横に外れる。粉の匂いが薄れ、夕陽が廊下の線を伸ばす。


 足の震えはまだある。震えたままでも、次の角までは行ける。さっき背を向けた一歩を、今の一歩で埋め合わせる。


 そう決めて、翔太は前を見た。


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