第3.8量子パルス:A8アンドロイドUnit07の学園侵入
≡ Quantum Pulse 3.8 / Alert Through the Gate
放課後、毒蝮研究所の観測室。壁の時計は十七時四十五分。ブラインド越しの光が机の縁を淡く照らし、装置は低く唸りを保つ。
いるのはドク、翔太、結衣、ライラ、影山。エアダクトの吹き出し口がジジと震え、金具がときどきかちりと鳴る。全員の視線は通信端末のインジケーターに集まっていた。
「学校側の“耳”、生きてる。職員室への口実は“点検”。在校生は関わらせない。」
「研究所は受信専念。送信はロックのまま。合図は一語『退避』で統一。」
「深呼吸、三回。——吸って、吐く。もう一度。はい、もう一度。」
「昨夜と同じ帯域。強度は一段上がってる。——来るぞ。」
ウィンと低周波が床を震わせ、待機ランプが青に変わる。蛍光灯が一度だけバチンと明滅し、端末の画面に細い帯が走った。ノイズが細り、音声が混ざる。
「接続、継続。アルカディア・コネクト、連絡班。」
画面に現れたのは、昨夜に続く顔——カナデ。表情は落ち着いているが、視線の動きは速い。肩越しにリクが半歩前へ出て、室内の手元を順になぞるように見た。
「予定より早いけど、警告を先に置く。エースエイトの動きが速い。戦闘用アンドロイドUnit07が、あなたたちの世界に投入された痕跡。」
「……は?」
翔太が小さく声を漏らす。
「アンドロイドって、ほんとに“機械の人間”? うちの学校に来るってこと? 冗談じゃないよ……。」
結衣がタブレットを抱え直す。
「待て。具体的には? どの辺りに、いつ。範囲は。」
影山は一度だけ大きく息を吐き、声の調子を整えた。
「北寄りから東へ。時間は不規則。昼過ぎに一度、複数の機器が同時に落ちてすぐ復帰。記録は機器故障扱いだが、順番がきれいすぎる。通過の痕跡としては典型。」
リクが簡易マップを送る。赤い点が等間隔に灯り、薄い線が結ばれる。
「目的は。生徒が巻き込まれる可能性は。」
「最初は観測と通路の確認。対象の特定が入ると、動きは直線的になる。会話はしない。止められても止まらない。排除より確保を優先する仕様だから、無力化を先に選びやすい。」
カナデの声は均一だが、言葉に弛みはない。
「……僕が狙われる可能性は、どれくらい。」
翔太は喉の乾きを自覚しつつ、目をそらさない。
「言える範囲で。資源が近い。あなたの血の中にある特別な情報が、この世界にしかない。そして——あなたたちが“見ている”。この三つが重なると、優先度は高い。」
リクは視線をぶらさずに答えた。
「段取りは三つ。“見る”“記録する”“動く”。逆順はなし。武器は持たない。灯りは上げすぎない。音は出さない。人目のある場所を使う。」
ドクは黒板に手早く書く。
「見張り位置は屋上、体育館裏、理科棟の渡り廊下に散らす。通話は常時。『退避』で全員移動。」
影山は腕時計のベゼルをコリと回す。
「先生方への説明は私。“点検と節電の確認”。余計な単語は出さない。」
結衣はタブレットに線を引いた。
「研究所側は“聞くだけ”を維持。ログは二重化して影山にも回す。数字は嘘をつかないから。」
翔太はキーボードに手を置いたまま言い切る。指先が汗ばみ、金属の冷たさで少し落ち着く。
「探知の補助コードを送る。研究所の端末に入れれば、Unit07の近接サインを拾いやすくなる。ただし、反応が出たら追わずに引いて。見つけた瞬間、向こうも見つけている可能性が高い。」
カナデが小さく頷く。
「それと、“名付けすぎない”の説明をさせて。レッテルを先に貼ると、判断が固定される。『敵=アンドロイド=こう動く』と決め打つと、例外や新しい危険を見落とす。だから、呼び名は最小限。観測した事実で話す。仮説は机の上で扱う。現場では事実だけを積む。」
リクが補足する。
「つまり、レッテルを急いで貼るな、って意味だな。」
ドクが黒板の端に丸で囲んで書き足す。
「レッテル最小/事実先行/同じ窓で見る。」
「“あなたたちのやり方”ってのは、昨日決めた手順のこと。見る→記録→動く、ゲートは短く、人前の言い方に注意。こちらも、その運用に合わせる。」
カナデが続ける。
「出入りは合図をして短く。むやみに開けない。人前の言い方も抑える。」
ライラはゲート側のダイヤルを軽く叩き、短く確認する。
「ここからは、襲われた場合の具体的な対処に入る。」
影山が一歩前へ出る。
「逃げ道、戦い方、弱点。命の話だ。曖昧はナシ。」
「逃走と離脱の“原則”は、こちらで確認済み。」
リクが即答する。
「一、直線加速は強いが、横方向の加速は鈍い。急な曲がり角で進路変更が遅れる。二、視覚と聴覚の感知が強い。消火器の粉で可視センサーを白で飽和、高周波の笛でマイク入力を埋めると反応が落ちる。三、長時間の連続追走で自己保護に入る個体がある。初手で倒そうとせず、時間を食わせて逃げ切る。」
「弱点は“横”と“過負荷”。倒すんじゃなく、抜けるために使う。」
カナデが要点を束ねる。
「よし、それなら——出番だ、若人!」
ドクが突然、机の下をガタガタ探り、長い箱を引っ張り出した。金具がコトンと鳴り、天板に置かれる。
「研究用移動台車・改。通称、ボード。重い機材を静かに動かすために作った。低騒音の軟輪、幅広トラックで安定、靴に掛けるストラップあり、足元のレバーで摩擦ブレーキ、前方に薄い救助用リールワイヤー。ぶら下がった人間を引き抜くくらいはできる。」
「スケートボード……?」
翔太が目を瞬かせる。
「名称はどうでもいい! 要は“横”に強い。不意のカーブで進路をずらし、狭い通路で相手の直進性を逆手に取る。消火器で視界を白くして、ボードで横抜け、ワイヤーで足元を払うか引く。倒すな。抜けるんだ。命は反復不可だぞ!」
「待って。訓練ゼロで乗るのは危ない。」
結衣が手を上げる。
「廊下で十メートル、今から練習する。レバーは軽い。ブレーキの音も小さい。」
ライラがボードを持ち上げ、重心を確かめる。
「翔太、足をこの位置。右足でレバー、左はストラップ。カーブは肩から。」
「……やる。」
翔太は唾を飲み、うなずく。怖い。けれど、逃げ方の“手”が形になれば、怖さは動きに変えられる。
「時刻の“谷”は?」
影山が視線だけで問う。
「『谷』って何?」
翔太が続けて聞く。
「観測値の波形で、一番落ち込む時刻のこと。干渉が弱くなる瞬間。そこで動けば、こちらの目と耳が通りやすい。明朝、六時十七分。昨日も今日も同じ落ち込みが出ている。」
リクが分かりやすく言い換える。
「無茶はしない。正面からぶつからない。側面から観察して、見たことだけを伝える。」
結衣は小声で復唱し、タブレットに刻む。
「ここは私とドク。ゲートの厚みを見る人がひとり必要。いざとなったら、誰をどこに引くか、迷わないために。」
ライラの声は静かで、芯があった。
「看板も出す。『点検中・静かに・近づかない』。文字は大きく、短く。」
ドクは赤い大ボタンの位置を確認し、工具箱を閉じる。
「校内のことが外へ流れている可能性がある。証拠は出せない。けれど動きが速すぎる。——見られている、と仮定して動いて。」
カナデは端末をこちらへ傾け、最後の一言を置いた。
「了解。」
影山は短く返し、ドアの鍵の具合を指先で確かめる。通信がスッと落ち、画面が黒に戻る。蛍光灯のジジという音が戻ってきた。
工具の金属がカタリと触れ合い、空気の緊張が少しだけ深く沈む。
「二十分後、各持ち場。屋上、体育館裏、渡り廊下。合図は一語。」
影山が告げる。
「先生方には今すぐ回る。掲示も出しておく。」
結衣が続く。
「研究所は私とドク。出力は最小、耳は最大。」
ライラはΦシフターの出力を最小に落とす。装置の唸りがかすかに低くなった。
「俺はログの二重化を仕上げてから、校舎へ合流する。」
翔太はボードのストラップを握り、深呼吸を一つ。胸の鼓動は速い。けれど、足はもう前に出せる。
「武勇伝はあとで編集室でやれ! 今は生き残る——それが正解だ!」
ドクが白衣の裾を払って笑う。扉の金具が小さく鳴り、影山が出る。結衣が続き、翔太も一歩踏み出した。
外のフェンスを撫でるような細い擦過音が走り、遠い地面で重い何かが一度だけ踏む。夜が動き始める。明朝、六時十七分に“落ち込み”が揃うかどうか——その答えは、そこで出る。




