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ツヨイチカラ  作者: 桃馬 穂
第11章 禁じ手の握手

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第11.10量子パルス:選民という名の秩序の誕生

 ≡ Quantum Pulse 11.10 / Birth of Electism, The Necessary Order


 レナの死後、レンシは数日間、特別病棟の隅にある解析ラボに閉じこもっていた。窓の外では、α世界の都市機能が、悲鳴を上げながら徐々に崩壊へと向かっている。彼のデスクには、レナの病状の推移データ、投与が間に合わなかった希少触媒の在庫リスト、そして「平等な分配」を要求する市民の声のログが、整然と並べられていた。

 彼はただ、事実を記録し続けた。感染率は何パーセント上昇し、それによって何人の命が失われたか。そして、救命の最適解が、感情的な圧力によって何秒遅延したか。

「感情は……ノイズだ」

 彼は結論づけた。レナを殺したのはウイルスではない。すべてを救おうとするという、無秩序で非効率な優しさが、決定的に治療のタイミングを歪ませたのだ。

 レンシは、自分の心が氷の塊になっていくのを感じていた。その冷たさこそが、二度と過ちを犯さないための、唯一の統制だと信じた。誰も見捨てないという理想は、現実の前に無残に砕かれた。残された道は一つ。「救える最小限の命を、絶対的な統制によって確実に救う」という、非情な効率の追求だけだった。

 彼の孤独な分析は、ある日、一通の暗号通信によって破られた。それは、同じ研究所の生存者であり、彼の研究仲間であったマーラ・ヴェローからのものだった。


 瓦礫が散乱する旧中央図書館の地下。マーラは、白いスーツに砂一つつけず、静かにレンシを待っていた。彼女の目には、レンシと同じ種類の、しかしもっと前からそこに宿っていたような、冷たい確信が浮かんでいた。

「レンシ、あなたが結論に達したことは分かっていたわ」

 マーラは言った。彼女自身も、パンデミック初期から資源の再分配をめぐる混乱を間近で見てきた人間だった。

「救済とは、感情の満足ではない。種の存続という結果よ。私たちが敗北したのは、『弱者を切り捨てる勇気』を持たなかったからです。彼らは、リソースを最も効率的に活用できる私たちを選ばなかった」

 マーラの言葉は、レンシの凍りついた心に、理論的な正当性という熱を与えた。

「あなたの言う通りだ、マーラ。我々のシステムは、無秩序な博愛によって内部から崩壊した。この種の存続には、感情を排除した究極の階層化が必要だ」

 マーラは、レンシの視線の奥にある冷徹な輝きを見て、満足そうに微笑んだ。彼女とレンシ、そしてまだ理想を信じていたクロノス、そして純粋な理想主義者だったソフィアの四人は、かつて、未来の科学のあり方を議論し合った仲間だった。しかし、マーラは既に、秩序を保つためなら選別は不可避という確信を抱いていた。

 レンシは、マーラと共に、種の存続を目的とする新組織「エデン・プロジェクト」の骨子を練り始める。感情、個人、平等。それらはすべて、効率という絶対的な基準の前で切り捨てられた。


 秩序の理論を確立する過程で、レンシは、古代文明アルカトラスの遺跡発掘調査チームのリーダーであったカサンドラという女性と出会う。カサンドラは、パンデミックにより研究チームを全て失い、一人でアルカトラスが残した膨大なデータ解析を続けていた。

 彼女がレンシにもたらした事実は、彼の非情な決断を科学的必然性として確定させた。

 カサンドラは、手のひらに収まるほど小さな、しかし数万年の時を経てなお輝きを失わないクリスタルの破片をレンシに見せた。

「レンシさん。アルカトラス文明は、私たちが直面している銀河衝突レベルの危機を、過去に何度も乗り越えてきた。なぜだと思いますか?」

 カサンドラの声は静かだったが、その瞳の奥には、恐怖と畏敬の念が混じっていた。

「彼らが生き残ったのは、彼らが私たちよりも優れていたからではない。彼らは、リソースが尽き、無秩序が種を滅亡させようとした時、感情を完全に排除した厳格な選別システムを起動させたからです」

 レンシは息を呑んだ。アルカトラスのテクノロジーは、人類の存続のために、『誰を救い、誰を切り捨てるか』究極の統制を敷いていたのだ。その選民システムこそが、超古代において種を危機から救った唯一の「秩序」だった。

 カサンドラは、その真実を伝えることに苦痛を感じていた。彼女は理想主義者だったが、この古代のデータが示す非情な事実に、科学者として屈さざるを得なかったのだ。

「彼らは、無秩序の代償を知っていた。レンシさん、私たちは、歴史の必然に従うしかないのです」

 カサンドラは、そのクリスタルの破片をレンシの手に委ねた。その冷たい感触は、レナの冷たい手の記憶と重なり合った。レンシの心の中で、感情という最後の鎖が断ち切られた。


「レンシは、死んだ」

 彼は、マーラとカサンドラに告げた。愛する妹レナを救えなかった弱く無秩序な自分は、ここで終わりにしなければならない。

 彼は、エデン・プロジェクトの最高責任者グランド・コンダクターとして、自らをゼファルと名乗ることを決意した。ゼファル——古代のアルカトラスの言語で「導く者、あるいは選別する者」を意味する言葉だった。

 彼は、未来への厳格な秩序の構築、そして選ばれた血筋(翔太の特殊な遺伝子配列と、それを増幅させる結衣のHLAハプロタイプ)の確保を、唯一絶対の使命とした。翔太たちが持つ特殊な配列も、ゼファルにとっては、秩序ある未来を築くための単なる「リソース」に過ぎなくなった。

 玉座への階段は、孤独で冷たい。だが、ゼファルは振り返らなかった。選民思想は、彼が過去の悲劇から導き出した、種への究極的な愛の形だった。

「私の秩序が、二度と、レナのような犠牲を生み出すことはない」

 彼の目には、もう悲しみも、迷いもなかった。あるのは、絶対的な必然性を信奉する、冷徹で傲慢な選民の確信だけだった。

 この瞬間、ゼファルという名の、冷酷な秩序が、時空を超えた最終決戦の舞台に、その存在を確立したのだった。


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