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ツヨイチカラ  作者: 桃馬 穂
第11章 禁じ手の握手

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第11.9量子パルス:無秩序の代償と、失われた光

 ≡ Quantum Pulse 11.9 / Price of Chaos, The Lost Light


 時空バリア中枢。翔太のボードに仕込まれた高周波振動ナイフが、ゼファルが座す玉座のクリスタル床を切り裂き、最終制御室の扉に亀裂を走らせた。

「愚かな……!」

 ゼファルは静かに、しかし激しい焦燥を滲ませていた。彼は玉座から立ち上がらず、手をわずかに振り上げ、防御システムのリブートコマンドを発した。青白い光が制御盤を覆う。リブートには、短いながらも、数拍の時間が必要だった。

 その一瞬の静寂が、彼の意識を数万年前の、最も冷たく、最も純粋だった記憶へと引きずり込んだ。

 レンシ。

 彼の脳裏にフラッシュバックしたのは、パンデミックが始まったばかりのα世界。彼は当時、誰もが英雄を望むその場所で、ただ純粋に科学と、「すべての人を救う」という甘い理想を信じる、若き科学者だった。彼の研究室は常に清潔で、実験器具の金属と消毒液の匂いが混じり合っていた。

 レンシが動く唯一の理由。それは、彼の幼い妹、レナだった。彼女は特殊な遺伝子配列を持っていたが、感染力の強い変異株に冒され、研究所の特別病棟で戦っていた。

「大丈夫だよ、レナ。兄ちゃんが、最高の薬を作ってあげる」

 彼の言葉は、常に妹の細く白い手を握りしめるたびに、自分自身へ言い聞かせる誓いだった。彼は当初、命の優先度に基づいて、レナこそが最初にワクチンを受け取るべきだと判断していた。


 しかし、パンデミックが深刻化するにつれ、事態は科学の論理の外側で動き始めた。

 レンシが構築したはずの「科学的で公平な分配システム」は、政治的な圧力と市民の「感情」によって、泥のように変質していく。壁に貼られた感染拡大マップの赤いプロットが幾何学的に広がる横で、市民代表の怒号がレンシのヘッドセット越しに響いた。

『特定患者へのリソース集中は許されない!平等に、均等に分配しろ!』 『希少な触媒は、救える数を最大化するために使われるべきだ!特定の個体の延命に使えば、社会全体でパニックが起きる!』

 彼がワクチン開発に不可欠なレアアース由来の触媒(現在の翔太たちが求めているもの)を、レナの治療に優先的に回そうとした瞬間、彼のシステムは停止した。

「優先はできない。無秩序な暴動は、更なる感染拡大を招く」。

 システムは、感情的な混乱を避け、「皆が納得する(効率の悪い)均等分配」という、最も愚かな解を選び続けた。

 レンシは、その夜、病棟のガラス壁を前に、自分のシステムが機能しなくなったことを知った。レナのモニターに表示される数値が、わずかに、しかし確実に、下降線を辿り始めていた。彼は、科学者として最善の答えを知っていたにもかかわらず、社会の無秩序な感情と、非効率な平等主義によって、その手を縛られた。

 レナへの治療薬の投与は、救命の臨界点を数日超えて遅れた。


 レナの呼吸が完全に止まった夜。生命維持装置の無機質な停止音だけが、彼女の静寂を刻んでいた。

 レンシは、遮断ガラスを開け、ベッドの縁に座り込んだ。レナの頬は冷たく、彼の知る温かさはもうなかった。彼女の枕元には、レンシが以前、彼女の病気を治したら二人で見に行こうと約束した、古い天文写真集が開かれていた。表紙には、彼らが住む街の、今はもう灰色の空とは違う、満天の青い星空が写っていた。

 レンシは、妹の冷たい手を握りしめた。

「レナ……すまない。兄ちゃんは、科学を信じていた。全員を救えると……信じていたのに」

 彼の心は、怒りや悲しみを通り越して、絶望的な虚無に支配されていた。彼は気づいた。妹を殺したのは、ウイルスそのものではない。彼が理想とした「すべての人を救う」という甘い理想、そしてそれを妨げた「無秩序な優しさ」だったのだ。

 レンシは顔を上げ、天井を見つめた。その眼窩から、一つの熱い滴が溢れ出し、冷たい頬を滑り落ちた。それは涙だったが、床に落ちる前に、彼の心の奥底で急速に凍りつき、硬い結晶へと変わった。

 その凍てつく涙は、彼の感情の終焉を告げた。彼は、自己犠牲や博愛といった感情を、種の存続にとって有害な「ノイズ」として定義し、完全に切り離した。

「二度と、無秩序な希望に、未来を委ねはしない」

 レナの死を通じて、レンシは、「救える最小限の命を、絶対的な効率と統制で確実に救う」「グランド・コンダクター」ゼファルとして再構築したのだ。


 レンシは、過去の記憶から急速に現実へと引き戻された。防御システムのリブート完了を示す、青い光が点滅している。

 彼の目の前には、扉の亀裂から突入の機会をうかがう翔太とライラの姿があった。翔太の目には、あの日のレンシが持っていた「誰も見捨てないという無秩序な希望」が宿っている。

 ゼファルは、玉座からゆっくりと立ち上がった。彼の表情には、もはや悲しみも、後悔もない。あるのは、過去の過ちを二度と繰り返さないという、絶対的な意思だけだ。

「無駄だ。ノイズどもよ。君たちの無秩序は、必ず種を裏切る」

 彼は、玉座の脇に手を伸ばし、最後の防衛コマンドを起動させた。最終決戦の火蓋が、今、切って落とされようとしていた。


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