30・怪しい人物?
「……え……?」
馬車が孤児院に到着し外に出た瞬間、その光景に、私の口から小さく間の抜けた声が漏れた。
大きなその建物の前に立っていたのは────聖女ローラだった。
「お待ちしておりました、リーゼロッテ様!! 今日は私が案内させていただきますね!!」
あぁ……。弾けるような笑顔がまぶしいわ……。
まるで遠足の日の朝を迎えた子どものように、彼女は嬉しそうに両手を胸の前で合わせて笑った。
……どうして、この人はいつもこんなに無邪気なのかしら。
貴族じゃないから?
だからこう、無邪気でいられるの?
というか、何で彼女が案内役?
見れば隅の方で神官長が小さくなっている。
……聖女にはかなわない、といった様子ね。
「……えぇ。よろしく」
私はぎこちない笑みでそう返してから、「こちらへどうぞ!!」と孤児院に入っていくローラの後に続いた。
──孤児院の中はこの間と変わりのない様子で、廊下を駆けていく子どもたちの笑い声が響き、厨房からは美味しそうな昼食を作る香りが漂ってくる。
だけどそう。やっぱりだ。
この国の孤児と、サーシェ内乱で流れてきた孤児たち。
視線を彷徨わせると、確かに子どもたちはそのグループで固まっているように見えて、同じ場所に保護されながらも互いに距離を置いているのがはっきりとわかる。
あの報告書を見たから、よけいにこの間の違和感が嘘じゃなかったって思えるわ。
石造りの床に、規則正しく足音が響き、私は前を行くローラの背中を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「ここではこの国の孤児とサーシェの内乱孤児で分断されていると情報があるのだけれど……あなたは——」
そこまで言いかけた、その時だった。
ローラが、ぴたりと足を止めて、それから勢いよく、くるりと振り返ったのだ。
「報告書、読んでくださったんですね!!」
「へ?」
え、何でこの子、こんなに嬉しそうなの?
隠そうともしていない、まっすぐな喜び。
まるで褒められるのを待っていたかのような、待ち望んだご褒美がもらえて幸せな飼い犬、みたいな顔をして……。
「え、えぇ……」
なぜ、この人が報告書の事を知っているの?
私が聞こうとしたのは、その情報への“彼女の見解”のはずだった。
それなのに、返ってきたのは——“報告書を読んだ”という事実への喜びの声。
話が微妙に噛み合っていない。まさか──っ!!
「……まさか、セドリックがあなたに報告書を見せたの?」
探るように問いかけると、ローラは慌てたように首を振った。
「あ、いいえ!! そうでなくて……。あれ、私が報告書を書いたので」
「……はい?」
……一瞬、思考が止まった。
え、今なんて言った?
私が? 私が書いた? あの報告書を?
「……あなたが、アレを書いたの?」
思わず、そのまま聞き返してしまった。
報告書の内容が脳裏をよぎる。
孤児たちの生活状況、派閥の空気、支援物資の流れ。
驚くほど客観的で、冷静に分析された内容だった。
……それを書いたのが────この、ローラ?
目の前では、本人が「えへへ」と言いながらにやけた顔で照れくさそうに笑っている。
嘘をついているようには見えない。
けれど、どうしても結びつかなかった。
この、感情が顔に出やすくてころころ表情を変える少女と、あの、淡々として的確な報告書の筆者が。
というかそれが本当ならこの子、二重人格か何かなんじゃ……。
「はい!! 私が書いたんです!! 孤児院のことを探るには、こちらでお世話になっている私が適任ですからね!!」
どこか誇らしげに胸を張るローラに、頭が痛くなってくる。
「また何でも言ってください!!」
なんて嬉しそうに……。
その笑顔に、私は言葉を失った。
適任、ですって?
神殿に属する立場の人間が、神官たちのいるこの場所を“探る側”として動いている?
それとも────そこまで考えて、私はふと気づく。
この報告書は、確かに“正確”だった。
けれど同時に、“核心には触れていなかった”。
意図的に孤児たちが互いを避けていることは書かれている。
けれど、“誰がそうさせているのか”は明記されていない。
もし、それらしく見せていただけだとしたら?
いや、でも、今見ているこの孤児院の状況を見れば、それが正しかったことはわかる。
ならいったい……?
「……そう」
セドリックは、彼女を信頼している。
それは知っていたし、理解しているつもりでもいた。
けれど──なぜかしら。
その“信頼”を、こうして具体的な形で突きつけられると、胸の内に説明しづらい靄が広がっていく。
あの聡明なセドリックが、かすかな疑いすらもはねのけて信じるくらいの人物……。
───勝てない。
そう感じた私は、無意識に視線を逸らした。
ローラはそんな私の様子に気づいていないのか、嬉しそうに続ける。
「現場を見ないと分からないことって多いので、定期的に子どもたちとお話してるんです!! あ、それでですね、この前は──」
楽しそうに語る声が耳に入るけれど、私はその言葉を半分も聞けていなかったと思う。
こんなにも、こんなにも怪しいのに──何で?
そんな思いが、私の中をぐるぐると渦巻いて支配していた。




