だから君は『俺の嫁』
ボーリング大会後、解散してから……私は薫にくっついて、彼の部屋にお邪魔していた。
時刻は午後8時過ぎ。ボーリング場でお菓子をつまみまくっていたので(だって、後半はほとんど見てるだけだったし)今のところ空腹感はない。ただ、薫は違うらしく……まぁ、当然だけど、部屋に帰ってくるなりキッチンでレトルトのカレーを温め始めた。
床に座ってベッドにもたれかかり、そんな彼の後姿を眺めながら……今回の騒動が無事に終わったことに、安堵してしまうのだった。
だって、ねぇ……デッサンモデルまでは許容範囲だけど、今日のあの、ポッキーゲームは……。
思い出すだけで目の保養――もとい、複雑な心境。
こんなことで疑いたくもないのだが、薫って、本当に私のこと……。
「都?」
「へっ!?」
気づいたとき、彼が隣に座って私を覗きこんでいた。
私の間が抜けた声に首をかしげつつ、持っていたマグカップを差し出す。
「はい」
「え? これ……?」
「都も落ち着きたいかなって思ってさ。俺と同じで」
いつの間にか用意されていたマグカップの中身は、ブラックコーヒーが苦手な私をよく知っている薫が作ってくれた、ミルクたっぷりの甘いカフェオレ。彼はブラックが好きだから、自分のついでではなく、私専用に作ってくれたことになる。
「いつの間に……」
「インスタントだよ。お湯さえあればすぐ出来るって」
やっぱり将来いいお嫁さんになるよ、この人。
甘い香りに力がぬける。眼鏡が曇るから外して脇に置いてから、一口。
「あつっ……」
「そりゃそうだよ。さっきまで沸騰してたんだから」
私と同じく眼鏡を外した薫が、からかうような笑みを向ける。
「そういえば薫、カレーは?」
「後ででいいよ。今はとりあえず……落ち着きたいんだ」
カップを両手で握り、一度大きく息をついてから、
「……緊張した」
「緊張? 何が?」
「いや、昨日からずっと……煉雀さんと会えるってだけで訳がわからなくなりそうだったのに……」
ほっほーぅ……。
「へー……その割にはノリノリだったじゃない」
そう、私が嫉妬するくらいに。
少しトゲのある口調を察してくれたのか、彼が私に軽くもたれかかってきて、
「開き直ってテンション上げて乗り切るしかなかったんだよ。都だって……自分が好きなゲームの原画家さんが目の前で自分を描いてたら興奮するだろ、色んな意味で」
「そりゃあ…………うん、そうだね」
言われて3秒考えた結果、納得せざるをえない。
そうやって素直に喜ぶ薫を見ているのも、また、楽しかったけどね。
「まぁ、私は見ていて面白かったかな。普段と違う薫だったから。あ……そうだ、ボーリングがあんなに上手いなんて知らなかったよ。もしかして神の一手を究めようとしたとか?」
「違うよ、勝手にそんな設定を付け加えないでくれ」
もたれかかった頭を、私にぐりぐりと押しつけつつ、
「バイト先で定期的に行ってるから、そこで切磋琢磨してるんだよ。言っとくけど、藤原さんは俺よりもっと上手いからな。あの人と一緒にやることがあれば、罰ゲームはやめた方がいいぞ」
「うわぁ、その情報ありがとう。っていうか……今度私にも教えて、コツとか」
知らなかった彼の一面を知るたびにワクワクしてしまう。そして、もっと色々知りたいと思ってしまうから。
私の言葉に彼はしばし考え込み、
「都は変な癖があるからなぁ……そこを直せば問題ないと思うんだけど……」
知らない間に何だか色々見られていたらしい。癖と言われても……自分では無自覚なので恥ずかしくなってしまうけど、
「そういえば……薫、聞いていい?」
「ん?」
「ほら、薫と中村さんがポッキゲームやった後に、こんなこと言ってたじゃない?」
「これで分かったでしょう、中村さん。小林さんは小林さんです。心配するようなことは何もないですよ」
あの時の言葉の真意、私はつかみ損ねていたから。
どうなんですか、と、問いかけたくて、私も彼に少し体重をかける。私の肩にもたれている彼の頭の上に、こつっと、軽く私の頭をのっけて、
「もしかして……薫は本当に男性が――」
「それ以上言ったら泣くよ、俺」
「いや、冗談だけどさ、だって……」
まさか彼があのゲームに参戦するとは思っていなかったのだ。そりゃー誤解もしたくなるでしょー。
あまり強く言えないまま口ごもる私に、彼が苦笑いを浮かべつつ、
「何となく確信してたから。小林さんは絶対どちらかを止めるってさ」
「え?」
「いくら何でも、自分が好きな人が別の人とキスするところは見たくないだろ? だからきっと、あのモードの彼女でも……いや、小林さんなら絶対止めると思ってさ」
「いや、でも……」
リスクが高すぎないかな、その賭け。結果として勝ったからいいものを。
私の沈黙に「まぁ、不安がなかったわけじゃないけど、成功したからいいじゃないか」と、薫は半ば強引に話をまとめ、
「おかげで中村さんも安心できただろ? 小林さんはいくらBLが好きでも、それはあくまでも二次元に対しての話。自分の好きな人を男とキスさせるような人じゃない、ちゃんと止めてくれたってさ。あの言葉はそういうこと」
「まぁ……結果的に上手くいったから良かったけど……」
「それにまぁ、中村さん……いい男だったな」
「ちょっ!?」
反射的に頭を戻して彼の方を向いた。ワンテンポ遅れてこちらを見返す彼が、少し意地悪に舌を出す。
「驚いた?」
本気で驚いたことは一目瞭然だろう。いや、驚くよね、さすがに驚いちゃうよね!?
「そ、りゃぁっ……! どこまで本気か分からないしっ!!」
悔しい。完全に遊ばれてる気がするっ!!
彼は持っていたカップをテーブルに置くと、憤慨している私の頭をぽむぽむとなでつつ、優しい声でフォローしてくれる。
「心配しなくても、どのみち寸止めでやめるつもりだったから。俺だって好きじゃない人とキスは嫌だよ」
「本当かなー……」
ジト目を向ける私。すると、
「じゃあ、試してみる?」
そう言って薫は、私のカバンを指差した。
「ポッキー、あったよね」
「え? そりゃあ、ある、けど……」
促されるままに、私は自分のカバンを手繰り寄せ、中からポッキーを取り出す。ファミレスを出た時に優香さんからもらったものだ。
そこから一本取り出し、自分の口に。
先端のチョコをなめつつ彼の方を向くと、もう先っぽを薫が軽くかじった。
彼の口の動きがはっきり確認できる。分かっていても緊張。
眼鏡を外しているけど、この至近距離だもん……普段はまじまじと見ないところだからこそ、余計に気になってしまうというか、何というか……。
……自分でやってみて実感しているのだが、これ、めちゃくちゃ恥ずかしいぞ……。
思わず視線が泳いだ。
「都、ほら、こっち向いて」
「うぅ……」
半ば強制的に彼の方を見れば、薫は一口づつポッキーを短くしながら、私との距離をはかっていた。
私は硬直して動けないまま、彼の動向をうかがうだけ。
一度でどれだけ近づけるか、それは彼の気分次第。
綺麗な瞳が、私を真っ直ぐに見詰めていた。静かな部屋で、彼がポッキーを咀嚼する音だけが響く。
距離は……あと5センチくらいだろうか。非常に近い。そりゃーもう近い。
だけど、途端に動きが鈍くなった。中々そこから近づいてこない。
じらされてる……分かっているけど、焦燥感ばかりが膨らんでしまう。
口の熱で、チョコがじわじわ溶けてきたし……。
……あぁもうダメ! やっぱり私には耐えられないっ!!
私が自主的に距離を詰めようとした瞬間、薫が残り5センチをリズミカルに食べきった。
「んっ……ふ、ぁっ……!」
感覚的に久しぶりのキスは、非常に濃厚な……チョコレートの味。
唇を離した薫は、私の口の端についていたチョコをなめとって、
「……俺は、好きじゃない人とキスは嫌だよ」
額をくっつけ、はにかむ。
私も……自然と、口元が緩んだ。
「そだね……私も嫌かな」
今度は私から。微かに残るチョコの味も楽しみながら目を閉じて……彼に、体重をあずけた。
薫が私を抱きしめてくれる。何だか久しぶりの感覚がくすぐったくて、嬉しくて、
「今日も……このまま泊まっていいかな」
「ダメ」
「へっ!?」
「……って、俺が言うと思う?」
こ、この男は……!
何だか随分余裕のある薫が、私には無性に憎たらしいんですけど……。
「薫は受けでいいよ! っていうか俺の嫁でっ!!」
何だか悔しくて豪語する私に、彼は相変わらず余裕の表情で……人差し指を立てる。
「都ちゃん、それは俺の台詞ですよ」
呼び方と口調まで変えてきたぞ、新谷氏。
しかも「ちゃん」って……不覚にもときめいた。悔しいから絶対口には出さないけど。
「え? な、何?」
口ごもりつつ意味が分からずに目を丸くする私へ、薫は綺麗な笑顔でとどめの一言を告げた。
「だから、都は俺の嫁ってこと」
……誰か、彼を止めてくれないだろうか……。
全身に帯びた熱は、もうしばらく……引きそうになかった。




