第24話 戦力差30倍
第06節 囚われの姫と白馬の騎士(前篇)〔3/7〕
「だが、ルーナ王女を迎えに行くのは良いとして、勝ち目はあるのか?
我が軍は予備隊まで含めて2,000名、カナリア軍の常設戦力は六万を数えるというぞ」
ルビーの言葉に間違いはない。
「戦力差30倍。しかも、攻めの戦だ。ただでさえ攻めは守りより不利だからね。おまけに公都カノゥスに行って、ルーナ王女を攫って、帰ってくれば良いという話じゃない。それで良いのなら今日にでもシェイラに言えば済むことだ。
ドレイク王国は、カナリア公国の手からルーナ王女を救出し、且つカナリア公国軍の手からルーナ王女を守り抜ける。それを、証明しなければならない。
だからこそ。どこかで一戦交える必要がある。
それも、世界最強のカナリア公国軍の、更に主力部隊と。真正面から、だ」
カナリア公国軍の単位戦力は世界最強と謳われる。つまり、彼我同数なら必ずカナリア軍が勝つ、とまで言われているのだ。
旧フェルマールのロージス辺境伯が讃えられたのは、如何に領内の防衛戦であるとはいえ、このカナリア軍を前にして領地を守り抜いたことにあるというくらい。
そのカナリア軍に、しかし数で劣っているドレイク軍が、しかもカナリア領内で、おまけに正面戦闘で撃破しなければならない。
その所以は、ルーナ王女を守り抜けるという証明。
出戦でそれだけの精強さを見せつけることが出来るのなら、防衛戦ならより少数で守り抜けることの証となる。抑々カナリア公国は(侵略を国是とする軍事国家でありながら)出戦を苦手としている。公国主体の戦争はいつも、最後は補給が続かなくなり撤退しているのだ。
つまり、出戦でカナリア軍を撃破出来れば、その後数十年はドレイク王国に食指を伸ばすことが出来なくなるという訳だ。
だが、だからこそこの一戦、小細工を使うことが出来ない。
例えば、「補給が続かなかったから」カナリアは勝てなかった、というのなら、次は兵站を確保した上で戦端を開くだろう。
例えば、〔星落し〕を使われたから勝てなかった、というのなら、次は〔星落し〕を使えない環境条件を整えたうえで戦端を開くだろう(例えば別の国と連携して。俺がそちらの戦線に懸かり切りになっていればカナリア方面で〔星落し〕を使うことは出来なくなる)。
だからこそ、正面戦闘。カナリアに「××だから負けた」といった言い訳の余地を残してはならないのだ。
「『第二次アプアラ独立戦争』の情報は、もうカナリアにも伝わっていると思う。けど、自分で言うのもなんだけど、戦況の推移が早過ぎたから、現場の人間以外正確に理解することは出来なかったと思うよ。
例えば、有翼獅子が飛んでいるのを目撃した人がいたとしても、そこから有翼騎士が要人を狙撃した、とか、爆弾を投下した、とか、そんな具体的なことまで、理解出来ているとは思えない。
一方確実に伝わっているのは、俺たちの基本戦略。つまり、電撃戦。
けどそれが、リーフ王国のようにこちらを侮る理由になる。
賭けても良いよ。カナリア軍は全軍六万をドレイク軍にぶつけはしない。
各地・方面軍を残しておくとして、多くて四万。
それも、最大一万の複数部隊で向かってくるだろう」
こういう戦略を『逐次投入』といい、通常は下策とされる。何故なら、逐次投入は敵に各個撃破されるだけで、大軍の利を全く活かせていないからだ。
だが、全ての場合に於いて逐次投入が下策となる訳ではない。「兵は神速を尊ぶ」。状況によっては輜重隊のような機動力の無い部隊に行軍速度を合わせることで、全てが手遅れになる場合もある。その場合、機動力のある騎馬隊などが先行し、敵軍の足を止め、数を揃えて決戦するという戦略が成立するのである。
「だけど、休みなく間断なく数千から一万の部隊が次から次へと現れたら、それはそれで確かな脅威だ。そして足が止まったらカナリア軍の数はどんどん増えていくんだしね」
「……どうする、つもりだ?」
「俺たちの強みは足の速さ。なら、止まらず走り続けるだけだよ」
普通の高速機動戦では、敵本陣を直撃するとか、敵陣を貫徹して後背に出て、更に逆包囲するというのが普通である。個人なら後ろからの敵に対しては振り向けば良いが、集団の場合一人ひとりが勝手に振り向いたら統率が崩壊する。だから後ろに付かれたら逃げるしかなくなるのだ。
「普通の戦場では、日没などで戦いが中断されたら本陣に帰還しなければならない。だから、戻る場所を確保しておく必要がある。
けど、俺たちの場合、敵陣を貫徹して、その向こう側で有翼騎士達から補給を受けることも出来る。
リーフ国境砦の時と同じだよ。
必ずしも、敵陣を粉砕しなければ前に進めない訳じゃないんだ」
それが、基本戦略。雲霞の如く涌いて出るカナリア軍を無視し続け、カナリア公都カノゥスに迫り、公都目前でカナリア軍を正面撃破。そしてルーナ王女を救出して凱旋する。
俺たちは誰にも負けない。
それを証明してみせる。
◇◆◇ ◆◇◆
新暦2年10月1日(カナン暦707年秋の二の月の25日目)。ドレイク王国軍が出陣する、その日の早朝。
まだ空が白む時間にも早い、そんな時刻だったが、俺は寝台から飛び起きた。
悪夢を見た。
ドレイク軍が、圧倒的な数のカナリア軍に蹂躙されるという。
如何なる戦術も、チートな武器も通用せず、果ては〔星落し〕まで撃ち込んでもその勢いを減じることなく、ドレイク軍を蹂躙したカナリア軍。
夢でしかない。しかし、その恐怖は水でもかけられたかのように、全身を冷や汗で濡らしていた。
「大丈夫。アディは勝つよ」
寝所を共にしていた(この夜、行為はしていない)、シンディが静かに言った。
「ごめん、起こしちゃったね」
「アディの、旦那様の弱くて情けない所を見て良いのは、あたしの特権だから」
「……敵わないな」
男に性欲があるように、女性にだって欲はある。にもかかわらず、俺の都合で長い間待たせていたことの埋め合わせとばかりにこの一年半、俺は頻繁にシンディと夜を共にしている。
「無事、帰ってきてね。
その頃には、多分もう一つの朗報があるだろうから」
「それは一体?」
「その時までの、お楽しみ」
「なら、その朗報を聞く為にも、頑張って帰ってこないとな」
「そうよ。帰ってこなかったら教えてあげないんだから」
実を言えば、心当たりもある。だから昨夜は何もせずに共寝した。
デリカシーが無いと言われても、女性陣と普通に生活を共にしていれば、各人の体調の良し悪しはもとより生理の周期なども自然にわかるモノだから。
とはいえ、初期は平成日本でも流れてしまう確率が高い。こちらではそれ以上だろう。先走ったことをすれば、逆に申し訳ないことになり兼ねない。
だから。帰ってきたら報告してくれるというのなら。
それを楽しみにしていよう。
(2,988文字:2016/09/16初稿 2017/09/30投稿予約 2017/11/03 03:00掲載予定)
【注:「兵は神速を尊ぶ」は、『三国志・魏書・郭嘉伝』を原典とします。なお、孫子は「兵は拙速を聞く。未だ功みの久しきを賭ず」〔孫子の兵法 第二章作戦篇四〕と言い、「作戦が多少拙くても、下手に戦を長引かせるよりは良い」と説いています。けれどこれは戦場に於ける戦術論、ではなく、戦争全体を俯瞰した戦略論。民衆の負担を念頭に置いた、短期決戦の利を説く言葉です。ちなみにこれが「兵は神速を尊ぶ」と混同されて、「兵は拙速を尊ぶ」という表現される場合がありますが、これは間違いです。
また、「巧遅は拙速に如かず」という言葉もありますが、この出典は『南宋謝枋得・文章軌範 補注巻第五』(「文章軌範」は科挙の問題集)。つまりこれは、「難しい問題で手を止めながら100点満点を狙うより、わかる問題から手を付けて行った方が、結局高得点を取れる」という、試験テクニックの話なのです】




