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今日は夫が忘れる日  作者: 秋月 もみじ


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3/8

第3話 今度は私が忘れた

 目が覚めた時、セシリアは枕元に紙が七枚並んでいるのを見つけた。


 嫌な予感しかしない。


 一枚目には、自分の字でこう書いてあった。


『慌てないでください』


「この書き出しで慌てない人がいるのかしら」


 独り言を言ってから、二枚目を取る。


『これを書いている今は、まだ覚えています。明朝の第一鐘で、私も直前の一日を忘れるかもしれません』


 三枚目。


『アレクシス様が昨日を忘れた件は事実。演技ではありません』


 四枚目。


『私は昨日かなり怒りました。理由は紙六枚目』


 そこまで読んで、セシリアは紙を置いた。


「……私、面倒な書き方をするわね」


 六枚目を先に見たい。


 しかし自分の指示に従わないのも気持ちが悪い。


 五枚目を読む。


 昨日、王宮魔術師リーゼが来たこと。

 婚姻印に異常があること。

 夫の記憶が失われたのは第一鐘が鳴った時刻らしいこと。


 そして。


『明日の第一鐘で私に同じことが起きる可能性が高い、とリーゼ殿が推測』


 窓の外を見る。


 鐘はもう鳴った後だった。


 昨日がない。


 正確には、昨日の朝から今朝までが、ごっそり抜け落ちている。


 怖い。


 そう思った。


 けれど、怖いという感情をじっと見ているのも嫌で、六枚目を取った。


『点検の不審な点を自分だけで調べると言い出したので怒りました。「君を心配させたくなかった」と言われたので、さらに怒りました』


「それは怒るわ」


 昨日の自分と意見が一致した。


 七枚目。


『重要。昨日、彼は私を愛している等の発言はしていません。期待しないこと』


 セシリアは固まった。


「……なぜ書いたの、これ」


 書いた本人の記憶がない。


 自分で自分に余計なことを教えられた気分だった。


 扉が叩かれた。


「奥様」


 マルタだ。


「入って」


 侍女長が入室し、セシリアの顔を一目見た。


「忘れましたね」


「顔で分かるの?」


「紙を読むお顔が、昨夜これを書いていた時と違います。私が来るまで寝台から下りないよう、ご自分へ書いておくとも仰っていましたね」


 セシリアは足元を見る。


 すでに寝台から下りている。


「書いてありませんでした」


「書き忘れたのでしょう」


「私が?」


「奥様も人間ですので」


 少し笑われた。


 そこへもう一度ノック。


 今度はアレクシスだった。


 部屋へ入って、まずセシリアを見る。


「どうだ」


「どうもこうもありません。昨日がありません」


「そうか」


「その返事、昨日もされた気がします」


「昨日の君に私が言われた」


「でしょうね」


 夫婦揃って会話が下手である。


 アレクシスが紙束へ目を落とした。


「自分で書いたのか」


「らしいです」


「七枚も?」


「必要事項が多かったのでしょう」


「最後の一枚だけ、ずいぶん大事そうに持っているな」


 セシリアは七枚目を裏返した。


「見ました?」


「見えていない」


「なら結構です」


 危なかった。


 何が危ないのか、自分でもよく分からない。


「リーゼ殿は?」


「すでに来ている。今朝の発動を確認した」


「では、私たち二人とも同じ病気ということですか」


「病気かどうかも分からないそうだ」


「便利ですね。専門家が分からないと言うと、誰にも文句が言えません」


「本人はかなり文句を言っていた」


 珍しく夫の口元が少し緩んだ。


 昨日を知らないセシリアには、その笑い方が少し新しく見えた。


 朝食後、二人はリーゼの検査を受けた。


 婚姻印へ魔力を流し、昨日使った術具をもう一度使う。


「昨日と反応が逆です」


 リーゼが額を押さえた。


「逆?」


「昨日は公爵閣下側の印に欠損反応があり、殿下側は正常でした。今日は殿下側に出ています」


「つまり?」


「順番に来ている可能性があります」


「明日はまた夫?」


「今のところは」


「止める方法は?」


「分かりません」


「原因は?」


「まだ」


「戻す方法は?」


「それも」


 セシリアは黙った。


 リーゼが申し訳なさそうな顔をする。


「申し訳ありません」


「いえ。分からないものを分かったふりされるよりましです」


「慰めになっているような、なっていないような」


 そこから三人で、分かっていることだけを書き出した。


 一、毎朝、第一鐘が鳴る午前六時に発動する。

 二、前日の午前六時から直前まで、二十四時間の出来事を忘れる。

 三、今のところ夫婦交互。

 四、欠落した日より前の記憶と、読み書きなどの技能には異常なし。

 五、婚姻印に魔術的な反応あり。


「一昨日の記念日の夜は、戻ったのですか」


 セシリアが聞くと、アレクシスは首を振った。


「戻っていない。昨日、君から教えてもらったことは覚えている」


 紙の隅に、失った日は翌日になっても戻らない、と足す。


 医師の診察では頭の怪我や発熱は見つからなかった。リーゼは点検票を袋へ入れ、押印を調べると言った。昨日のうちに妻側の印にも反応が移っていたため、今朝の発動を警戒していたのだという。


 セシリアは紙を見た。


「少ないですね」


「二日目ですから」


 リーゼが言う。


「では増やしましょう」


「何をです?」


「記録です」


 夫がこちらを見た。


 セシリアは机にあった革張りの帳面を取った。


 新しいものだった。


「今後、毎日ここへ書きます」


「何を」


「全部です」


 アレクシスが少し嫌そうな顔をする。


「全部?」


「明日あなたが今日を忘れるのでしょう。重要事項だけでは、何が重要か明日のあなたには判断できません」


「確かに」


「仕事、会話、体調。必要なら食事も」


「食事まで?」


「マルタから聞きました。あなた昨日、私が朝食を半分しか食べなかったことまで気にしていたそうですね」


「あれは」


「重要情報なのでしょう?」


 アレクシスが黙った。


 少しだけ勝った気がした。


 セシリアは帳面の最初の頁を開いた。


『共同記録』


 題字を書いてから、首を振る。


「堅いですか?」


「君らしい」


「ではこれで」


 その日の夜。


 寝る前に、セシリアは共同記録へ一日の出来事を書いた。


 最後に少し迷って、一行追加する。


『明日は夫が忘れる日』


 書いた後で、ずいぶん妙な文章だと思った。


 けれど消さなかった。


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