第27話 なくした三十日は黒幕の仕業ではなかった
バスティアンの娘が公爵邸へ来た。
名をエマという。
三十代半ばの、よく日に焼けた女性だった。
部屋へ入るなり、持っていた布包みを机へ置いた。
「父から聞きました」
挨拶より先だった。
「三十日分の帳簿を探してるって」
セシリアは包みを見る。
「もしかして」
「全部じゃありません」
エマが解く。
古い紙束。
「父は帳簿を切った後、何枚か私に持たせました。私一人で書き換えたことにされないよう、自分の字も残しておくって」
「お父様から連絡が?」
「はい。父の分だけでは車を特定できなかったと。家を空ける段取りがついて、やっと来られました」
その返事は妙に普通だった。
セシリアは今日、昨日を忘れている。
市場へ行って何か考えたらしいことは共同記録で知っている。
『国境の普通の日を守りたい』
昨日の自分が随分素直なことを書いていた。
今読むと少し恥ずかしい。
「見せていただけますか」
「そのために来ました」
紙は十四枚。
三十日全部ではない。
子供を乗せた荷車には、エマ自身が印を付けていた。
小さな丸。
「この七台です」
「七台」
「二十三人いました」
「全員リデール人?」
「たぶん。子供に国籍なんて聞かなかったので」
セシリアは少し黙った。
「あなたが逃がしたのですね」
「はい」
「違法だと分かっていた?」
「分かってました」
「今も?」
「捕まえます?」
エマがまっすぐ聞く。
セシリアは答えに詰まった。
公文書破棄。
虚偽記載。
戦時規則違反。
罪はある。
でも結果だけ見れば、子供を助けた。
「私一人で決めることではありません」
「そうですか」
エマは少し残念そうでも、安心したようでもなかった。
ただ事実として受け取った。
「父は?」
「同じです。処分が必要なら、事情を含めて審査を求めます」
「ここで無罪にはしてくれないんですね」
「私が約束することはできません。ただ、書類を出したからといって、この場で拘束することもしません。事情を話せるよう、法務官を紹介します」
「王女様なのに」
「王女だからです」
そこは譲れなかった。
帳簿を壊した責任と、子供を助けた事情。その両方を記録に残したかった。
エマは少しして笑った。
「父が嫌いそうな答え」
「でしょうね」
帳簿を確認する。
七台の荷車以外にも記録がある。
羊毛。
薬草。
染料。
そして一件。
セシリアの指が止まる。
「これ」
民間運送番号。
以前見つけたものと一致。
積荷欄は軍用符号。
日付も、臨時部隊が存在した期間に入っている。
「エマさん。この荷車を覚えています?」
エマが紙を見る。
「いいえ」
「何かありませんでした?」
「十五年前ですよ」
「そうでした」
最近、これを忘れがちだ。
人は十五年前の荷車一台を普通は覚えていない。
「ただ」
エマが紙を近づける。
「この印、父じゃない」
「印?」
欄外に小さな三角印。
「子供を乗せた車の丸は、後で私が付けたものです。この三角は最初から押してありました。父の確認印とは違います」
アレクシスが身を乗り出す。
「確かに。旧第五補給隊の印に似ている」
「旧第五補給隊?」
「戦争終盤に解散した部隊だ」
アレクシスが軍制表を出す。
印影を照合。
一致した。
民間会社の荷車。
軍の確認印。
リデール側の臨時部隊と同じ期間。
「つながりました?」
エマが聞く。
「少しだけ」
セシリアは答える。
「全部ではありません」
「そうですか」
エマはそれ以上興味がなさそうだった。
彼女にとって重要なのは昔助けた子供と父の処分だ。
国家陰謀ではない。
帰る前、エマが言った。
「帳簿を切ったの、国の偉い人に命じられたとかじゃないですから」
「分かりました」
「父は私が泣いてうるさかったからやっただけです」
「本人も同じことを言っていました」
「でしょうね」
少し笑って帰った。
セシリアは残った帳簿を見る。
三十日分の欠落。
初めて見つけた時には、調査を妨げたい誰かが切ったのだと思った。
バスティアンの話を聞いてからも、娘の原本を見るまでは断定できずにいた。
実際には違った。
別の人間が、別の事情で隠した。
そのせいで、本当に隠されていた一台まで一緒に消えた。
「偶然ですね」
「ああ」
「こういうこともあるのですね」
「多分、実際の調査はこういうことばかりだ」
「嫌ですね」
「同感だ」
帰り際、エマは預かり証の隅へ父の住所を書き足した。
「悪い知らせでも、先に私へください。父、平気な顔をするから」
セシリアは向かいにいるアレクシスを見た。
夫もなぜか、こちらを見ていた。
どちらも何も言わずに、先に視線を戻した。




