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今日は夫が忘れる日  作者: 秋月 もみじ


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第25話 祖国からの手紙

 セシリアは朝、共同記録を読んだ。


 昨日の記録には、薄い紙が一枚重ねてあった。


『読み飛ばさないこと』


 自分の字だ。めくると、さらに自分の字がある。


『アレクシス様から、私を愛していると言われた』


 セシリアは紙を戻した。

 もう一度めくった。


「……本当に?」


 向かいのアレクシスが、カップを置いた。


「本当だ」


「昨日の私に?」


「今の君にも」


 今日は昨日を忘れている。告白を聞いた記憶はない。

 けれど、今言われたことには何も言い訳ができなかった。


「朝から言わないでください」


「君が聞いた」


 その通りだった。

 セシリアは紙を重ね直すのをやめた。


 午前中、リデールから私信が届いた。


 兄、王太子エドワルドからだった。


 公文書ではない。

 封蝋も王太子印ではなく、子供の頃から使っている鷹の印。


 セシリアは一人で読もうとして、少し考えた。


「アレクシス様」


「何だ」


「一緒に読みます?」


「私信だろう」


「でも今調べていることに関係すると思います」


「君がいいなら」


「はい」


 封を切る。


 兄の字は相変わらず細い。機密解除を進める間に書いたらしく、日付は二日前だった。


『セシリアへ。

 お前が機密文書を調べていることは知っている。

 父上の署名も見ただろう。

 先に言う。私は、お前が調査すること自体を止めるつもりはない』


 そこまでで少し安心した。


 続きを読む。


『ただ、公表は待ってほしい。

 父上が何を知っていたか、私も全ては知らない。だが大停戦の後、交渉が一度壊れかけたことは事実だ。

 今、国境事件の真相が「グランハルトの謀略」あるいは「リデールの裏切り」という形で広まれば、使う者が必ず出る。

 死ぬのは、たぶん私たちではない。

 国境に住む誰かだ』


 セシリアの手が止まった。


 ヴァルターと似ている。


 だから嫌だった。


『お前を国へ戻したいとも思っている。

 兄としては当然だと思ってくれ。

 だが、戻れと命じる権利は今の私にはない。

 父上なら命じるかもしれないが。


 どうか、正しいことを急がないでほしい。

 兄より』


 読み終える。


 部屋が静かだった。


「どう思います?」


 セシリアが聞く。


「私が?」


「はい」


「兄上らしいと思う」


「会ったことは二度しかないでしょう」


「二度とも同じ顔で胃薬を飲んでいた」


「兄は胃が弱いのです」


 どうでもいい情報だった。


 少し笑う。


「内容については?」


「正しい」


 アレクシスが言う。


 セシリアは少し顔をしかめた。


「全部?」


「全部ではない。公表を永遠に待てとは書いていない」


「ええ」


「急ぐな、と」


「それも今の私たちと同じ方針です」


「そうだな」


 安心するはずなのに、しない。


「何か嫌です」


「何が」


「兄もヴァルターも、一部は正しいから」


「正しくない敵がよかったか」


「かなり」


「正直だな」


「今日はそういう気分です」


 午後、リデール側へ新条約案の概要を送った。


 兄にも返事を書く。


 セシリアは最初、外交文書のような文章を書いた。


『ご懸念については理解しています。現在、情報公開の時期および方法を慎重に検討中です』


 書いてから破った。


「どうした」


「兄への手紙に『ご懸念』は変でした」


「そうか」


 書き直す。


『兄上へ。

 心配していることは分かりました。

 私も少し怖いです。

 でも、止めません。

 急がないことは約束します。

 それから胃薬を飲みすぎないでください。

 セシリア』


 短い。


 でもこちらの方がいい。


 夜、アレクシスが共同記録を書いていた。


「今朝のことも、書きますか」


 セシリアが聞くと、夫は頷いた。


「君に余計な期待をさせたくないと思って、黙っていた時期がある」


「今は?」


「期待してほしい。……私もしてしまうが、急かすつもりはない」


 セシリアは机の端へ手を置いた。

 夫がペンを持っていない方の手で、触れてくる。


「返事を忘れないうちに、決めます」


「その言い方は心臓に悪い」


「では、考えます」


 手を引くつもりはなかった。


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