第24話 愛しているだけでは決められない
アレクシスは朝、共同記録の『すなわち離婚』という文字を長く見ていた。
昨日の自分は、その話を聞いたらしい。
今日の自分は知らない。
セシリアは覚えている。
「どう思います?」
「嫌だ」
即答だった。
「何が?」
「君が一生このままでいいと言ったこと」
「離婚の方ではなく?」
アレクシスがこちらを見る。
「そちらも嫌だ」
妙な言い方だった。
セシリアは目を逸らす。
「でも必要なら」
「待て」
「はい」
「私は今日を知らない」
「昨日です」
「そうだった」
本人が少し混乱している。
「昨日の私が何を考えたか、記録には全部ない」
「そうですね」
「だから今すぐ何か決めるのはやめる」
セシリアは少し驚いた。
「成長しましたね」
「褒めているのか」
「かなり」
「君のかなりは信用できない」
朝食の後、二人は新条約の条件を書き出した。
婚姻に依存しないこと。
両国が同等の担保を持つこと。
片方の王族個人へ負担を集中させないこと。
「最後、また君らしいな」
「何が?」
「二年前と同じことを書いている」
セシリアは紙を見る。
確かにそうだった。
「間違っていません」
「結果、呪いが半分来た」
「それでもです」
「ああ。私もそう思う」
夫が普通に同意したので、少し拍子抜けする。
午後、国王へ新条約の必要性を説明した。
ヴァルターの名は疑いとして伝え、断定は避けた。
アレクシスは国務院を通さない調査官の任命と、魔術資材の記録保全を求めた。国王は宮廷監査院に命じると答えた。
ただ、現在の婚姻担保方式には魔術上の脆弱性があること。
王族二人の健康へ国境安定を依存させる危険があること。
国王は難しい顔をした。
「議会が通ると思うか」
「通します」
セシリアが答える。
「頼もしいな」
「成功するとは言っていません」
国王が少し笑った。
アレクシスは笑わない。
帰り道。
「兄上の前で無茶を言うな」
「通すつもりです」
「分かっている」
「では?」
「失敗した時、自分だけの責任にするな」
セシリアは足を止めた。
「今日のあなた、本当にどうしたのです?」
「何が」
「まともです」
「失礼だな」
「昨日を忘れると性格が改善するのかしら」
「明日の君にも同じことを言う」
「私は普通です」
「それはどうかな」
廊下で小声の言い合いになった。
夜、二人だけで夕食を取った。
珍しく仕事の話をしなかった。
しばらく無言で食べる。
アレクシスが先に口を開いた。
「離婚について」
セシリアの手が止まる。
「はい」
「私は、したくない」
「……はい」
「だが、したくないから君に呪われ続けろとも言えない」
「はい」
「君が国のために残ると言えば、私は反対したい」
「はい」
「でも君の人生を私が決めるなと、何度も言われた」
「よく覚えていますね」
「忘れた日も、君は何度も言ってくれたからな」
少し笑いそうになった。
笑う場面ではないのに。
「だから」
アレクシスは言葉を探している。
「新条約を作って、今の契約は終わらせたい。私はそう考えている」
「……はい」
「ただ、君と別れて暮らしたいわけではない」
セシリアは匙を握ったまま、夫を見た。
「それを先に言ってくださればよかったのに」
「今まで私の案ばかり押しつけたから、どこまで言っていいか分からなかった」
「意見は言ってください。決めるのは一緒に」
「ああ。君はどうしたい?」
セシリアはすぐには答えられなかった。
新条約ができる保証はない。途中で両国が揉めれば、国境の警備にも影響する。
それでも、この先も夫と暮らすことを考えてしまう。
「もう少し考えさせてください」
「分かった」
アレクシスが息を吐いた。
「愛しているだけで全部決められるなら、楽なんだがな」
セシリアの匙が皿へ当たった。
小さな音。
「……今、何と?」
アレクシスが止まった。
数秒。
「いや」
「言いましたよね」
「言った」
「誰を?」
夫は耳まで赤くなった。
それでも、今度は目を逸らさなかった。
「君を」
セシリアは匙を置いた。そのまま持っていると、落としそうだった。
「……そうですか」
「今、返事をしなくていい」
「それもあなたが決めます?」
「では、待っている」
言い直されると困った。
セシリアは何度か口を開き、結局、茶を一口飲んだ。もう冷めていた。
その夜、共同記録の最後に何を書くかで、しばらく悩んだ。
『アレクシス様から、私を愛していると言われた』
書いたら顔が熱くなり、薄い紙を上に重ねた。
明日の自分にも、ここは読んでもらわなければ困る。
重ねた紙には、乱暴な字で書いた。
『読み飛ばさないこと』




