第23話 離婚すれば解ける
王都へ戻った翌日、リーゼが公爵邸へ駆け込んできた。
「分かりました」
そう言った後で息を切らしている。
セシリアは椅子を勧めた。
「座ってから話してください」
「先に言います」
「水は?」
「後で」
リーゼは机へ分厚い本を置いた。
「失われた記憶を戻す方法は、見つかりませんでした」
セシリアとアレクシスは黙った。
「……分かったと言いましたよね」
「分かった結果です」
「悪い方から言いました?」
「今のが悪い方です」
「良い方は?」
「止める方法はあります」
セシリアは少し息を吐く。
今日は昨日を忘れている日だった。
王都へ戻る途中の出来事は共同記録でしか知らない。
そのせいか、話が妙に現実感なく聞こえる。
「方法は?」
アレクシスが聞いた。
「流入口をなくす」
「婚姻印?」
「正確には婚姻契約です」
リーゼは条約術式を広げる。
「外部の術者が、点検口を使って欠損術を仕込んだ。今は婚姻契約そのものの魔力で動いています。術者を止めても、外にある媒体を壊しても、契約の中に残った術は消えません」
「印だけを消すのは?」
「契約がある限り再形成されます。共同負担の部分だけを外すと、公爵閣下へ毎日の欠損が戻るおそれもあります」
「では契約そのものを」
「解除する」
セシリアは言った後で、意味を理解した。
「……離婚?」
「はい」
リーゼの返事は短かった。
アレクシスがすぐ口を開く。
「手続きを」
「待ってください」
セシリアが止めた。
「なぜ君が止める」
「和平条約」
今度はアレクシスが黙った。
リーゼが頷く。
「そこが問題です」
二人の婚姻はただの政略結婚ではない。
十五年前の大停戦から続いていた暫定協定を、二年前に恒久和平へ切り替えた。その新しい和平条約の魔術的な担保でもある。
国境結界。
相互不可侵の誓約。
違反時の警告術式。
それらの一部が、二人の婚姻契約に紐づいている。
「離婚した瞬間、どうなる?」
アレクシスが聞く。
「全部消えるわけではありません。ですが国境結界は停止します」
「どれくらい」
「再契約まで」
「再契約方法は?」
「現行条約のままなら、担保となる婚姻を結び直す必要があります」
セシリアは頭が痛くなった。
「離婚して、呪いを切って、再婚する?」
「理論上は」
「すぐ再婚したら同じ経路が戻るのでは?」
「同じ和平担保へつなぎ直せば、元の経路も戻ります。新しい契約として切り離せません」
「では意味がない」
「はい」
リーゼが申し訳なさそうに水を飲んだ。
だから最初に悪い話をしたのだろう。
「婚姻を担保にしない新しい条約術式が必要です。それを先に動かせば、古い契約を完全に解除できます。将来、普通の婚姻を結ぶことは妨げません」
リーゼが言う。
「作れる?」
「魔術的には。政治的には知りません」
「そちらは私たちですね」
「お願いします」
随分簡単に渡された。
アレクシスが窓際へ行く。
「セシリア」
「はい」
「新条約を作る」
「簡単に言いますね」
「君ならできる」
「あなたもやるのです」
「もちろんだ」
「それから」
「何だ」
「離婚すると決めたわけではありません」
夫の顔が変わる。
「なぜ」
「現在、国境は安定しています」
「だから?」
「呪いは不便ですが、一日おきなら公務は続けられます」
「セシリア」
「私が一生このままでも、国境が安全なら」
「駄目だ」
強い声だった。
セシリアは眉を寄せる。
「なぜあなたが決めるのです」
「一日おきに昨日を失う人生を続けると言われて、賛成できるか」
「私の人生でしょう」
「そうだ。だが私も、このまま忘れ続けたくはない」
アレクシスはそこで止まった。
以前なら、そのまま押し切ったかもしれない。
セシリアも口を開きかけて、黙った。
夫の人生でもある。そのことを、自分は脇へ置いていた。
少し時間を置いて、アレクシスが言った。
「今日は結論を出さずに、もう少し考えないか」
セシリアは返事をしなかった。
「君も、国のためだけに今決めるな」
「それも私が決めます」
「ああ。だが、一日考えてくれ」
「明日はあなたが今日を忘れるのに?」
「共同記録がある」
その言葉が、今日は少し寂しく聞こえた。
夜。
帳面にリーゼの診断を書く。
『呪い停止には婚姻契約解除が必要』
離婚、と書こうとして一度止まる。
結局書いた。
『すなわち離婚』
文字にしたら、本当にそうなるような気がした。




