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今日は夫が忘れる日  作者: 秋月 もみじ


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第16話 昨日の私が怒っている

 朝、アレクシスは共同記録を読み終えるのにいつもの倍かかった。


 最後の一行で長く止まる。


『私が悪い。だが何と言えばよかったのか分からない』


「昨日の私は、随分まともだな」


 セシリアは思わず顔を上げた。


「自分で言います?」


「今日の私は昨日の私と別人みたいなものだ」


「便利な時だけ分けないでください」


「では昨日の責任も取る」


「取ってください」


 まだ怒っている。


 昨日ほどではない。


 アレクシスは昨日を忘れている。


 こちらだけが喧嘩の声や顔を覚えていると、同じ熱量で怒り続けるのが難しい。


 それも少し腹が立つ。


「昨日、私は何を言った」


「かなり色々」


「記録には要点しかない」


「私も全部は書きませんでした」


「なぜ」


「書くとまた喧嘩になりそうだったので」


「なるほど」


「納得するのですね」


「昨日の私が怒っているなら、今日の私が同じ道を踏む必要はない」


「本人でしょう」


「そうとも言う」


 セシリアは呆れた。


 少しだけ笑いそうになった。


 笑わない。


「半年黙っていたことは、今も悪かったと思います?」


「ああ」


「なぜ?」


「結果が悪かったからではなく、君に関係する可能性がある問題を、君の代わりに知らせないと決めたから」


 昨日よりまともだ。


 本当に腹立たしい。


「共同記録を読んだから言えるのですか」


「半分は」


「残りは?」


「君の顔」


「私の?」


「まだ怒っている」


「当然です」


「帳面には、昨日は目も合わせたくなかったと書いてある。今はこっちを見てくれる」


「……よく分かりますね」


「仕事だ」


「またそれ」


 今度はセシリアが笑ってしまった。


 ほんの少し。


 アレクシスも笑う。


 喧嘩は、それで完全に終わったわけではない。


 でも続ける理由も少し減った。


 午前中、夫は秘密調査の資料を全部見せた。


 四箱。


 本当に四箱あった。


「多いですね」


「だから一人でやったのを少し後悔している」


「そこです?」


「違う。今のは冗談だ」


「分かりにくいです」


 資料には、戦争末期の軍費の異常がいくつかあった。


 存在しない部隊への食糧費。

 同じ日に二重計上された馬糧。

 民間業者への不自然な一括払い。


 どれも一件だけなら事務ミスで済む。


 集めると少し変だ。


「これを誰かに相談しました?」


「元副官に一度」


「他には?」


「国務院の監査官」


「名前は?」


 アレクシスが答える。


 セシリアは書く。


「何だ」


「あなたが明日また何か隠していたと判明しないように一覧にしています」


「信用がないな」


「昨日までの実績です」


 午後、二人は資料を年代順に並べた。


 途中、セシリアが一枚の古い報告書を落とした。


 拾おうとしてアレクシスと手がぶつかる。


 どちらも止まった。


 昨日までなら何でもなかったはずだ。


 今は少し違う。


 セシリアが先に手を引いた。


「どうぞ」


「いや、君が」


「紙一枚で譲り合わないでください」


「そうだな」


 アレクシスが拾う。


 気まずい。


 なぜ気まずいのかも分かる。


 それがさらに気まずい。


 夕方。


 共同記録を書き終えた後、アレクシスが言った。


「昨日の私の文章を読んで思ったんだが」


「はい」


「私は、君に嫌われるのが怖かったのかもしれない」


 セシリアの手が止まった。


「調査を隠した理由が?」


「祖国が関係していたら、君は私の側にいたくなくなるかもしれない」


「……それなら、なおさら知るべきだったでしょう」


「そうだな」


 すぐ認めた。


 セシリアは少し困る。


「ずるいですね」


「何が」


「昨日のあなたと喧嘩したのに、今日のあなたが素直になる」


「明日は君が今日を忘れる」


「そうでした」


「だから、記録にも残す。君が今日を忘れても、私がまた話す」


「……では、明日も聞きます」


 でも、怒りはもうほとんど残っていなかった。


 共同記録の『その他』へ、セシリアは一行書く。


『昨日よりは話になった』


 アレクシスが横から見た。


「褒めているのか」


「かなり」


「厳しいな」


「昨日の私に比べれば優しいです」


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