第15話 夫が隠していた調査
翌朝、セシリアは共同記録の最後のやり取りを見て、少し呆れた。
『私一人が対象だった』
『現在は二人の問題』
『納得していない』
『知っています』
「子供ですか、昨日の私たちは」
「私もそう思った」
アレクシスが答える。
「でもあなたは覚えているのですね」
「ああ。今日は君が忘れた日だから」
この会話にも慣れた。
慣れたくなかったが。
午前中、民間運送番号の件を追った。
大停戦の十一日後に廃業した運送業者。
積荷は染料。
しかし軍用符号が併記されている。
アレクシスが王都から取り寄せた古い軍務資料を出した。公爵邸に置いてきた分が、朝の荷便で届いたところだった。
セシリアはその箱を見て眉を上げる。
「まだあったのですか」
「ある」
「どれくらい?」
「三箱」
「……三箱?」
「正確には四箱」
「増えましたね」
夫は目を逸らした。
嫌な予感がした。
「半年前から集めたという資料、これで全部ですか」
「これで全部だ」
箱の中に、リデール王印の使用記録への照会控えがあった。
四か月前の日付だった。
「父を疑っていたのですか」
「国としての関与を調べていた」
「軍費を調べているとは聞きました。父の印章まで追っていたのは初耳です」
「まだ話す必要がないと思った」
その答えで、セシリアの中の何かが切れた。
「父のことは、話す必要がなかった?」
声は大きくなかった。
むしろ静かだった。
アレクシスがまずいと思った顔をする。
「言い方が悪かった」
「では言い直してください」
「まだ確証がなかった」
「はい」
「戦時中の軍費に不自然な支出があった。だが単なる記帳ミスの可能性もあった。君に話せば」
「話せば?」
「巻き込む」
最悪だった。
セシリアは椅子から立った。
「またそれですか」
「セシリア」
「あなたは本当に便利ですね。何でも『巻き込みたくなかった』で済むのですから」
「済ませるつもりではない」
「半年調べて、一言も言わなかった」
「君の祖国も関係している可能性があった」
「だから何です?」
「君を難しい立場にしたくなかった」
「もう十分難しい立場です」
敵国へ和平のため嫁いだ時点で、と続けそうになって止める。
それを言ったら、夫は自分との結婚そのものを責めるだろう。
今怒っているのはそこではない。
「私はあなたの妻です」
言った後、自分で少し驚いた。
これまでその言葉を肩書きとしてしか使ってこなかった。
「政略結婚でも、少なくとも仕事上は同じ条約を扱っています。私の祖国が関係するなら、なおさら私に話すべきだった」
「証拠がない段階で、君に父王を疑わせたくなかった」
「それを決めるのは私です」
「分かっている」
「分かっていません」
「今は分かっている」
「半年遅いです」
アレクシスも立った。
「ではどうすればよかった」
珍しく声が強い。
「疑いだけの段階で、君に『父親の国が戦争犯罪を隠しているかもしれない』と告げればよかったのか」
「そうです」
「簡単に言うな」
「簡単ではありません」
「君は記録さえあれば何でも判断できると思っている」
「何ですって?」
「人には知る準備が必要なこともある」
「だからあなたが私の準備を決める?」
言った瞬間、アレクシスが止まった。
自分で気づいたらしい。
しかしセシリアも止まれなかった。
「半年間、一人で抱えて。狙われた理由もまだ分からないのに、私には何を伏せたかさえ教えない。それで一緒に調べられますか」
「調べられない。隠したのは間違いだった」
「では何を怒っているのです」
「君が何でも一人で背負える顔をするからだ」
セシリアは言葉を失った。
それはこちらの話ではない。
「今、あなたが隠していたことの話をしています」
「そうだ。悪かった」
「本当にそう思っています?」
「思っている。だが君にも」
「今日は聞きません」
言い切った。
そして部屋を出た。
廊下に出てから、自分がかなり子供っぽいことをしたと分かった。
でも戻れない。
マルタが階段の下にいた。
「喧嘩ですか」
「聞こえた?」
「半分ほど」
「忘れて」
「明日なら奥様が忘れます」
「今日は私が忘れた日です」
「では公爵様が明日忘れますね」
それを言われて、セシリアは黙った。
明日、夫は今日の喧嘩を忘れる。
自分だけが覚えている。
それが急にずるいような気がした。
夜。
共同記録の前に座る。
アレクシスはまだ来ない。
セシリアは今日の出来事を書いた。
『半年前からの軍費調査で、公爵は父王の関与も疑っていた。四か月前の王印照会控えを確認』
次の行。
『私には伝えていなかった』
さらに。
『口論。目も合わせたくなかった』
そこから先が書けない。
誰が悪かったのか。
何を言ったのか。
どの言葉に傷ついたのか。
全部書けば明日の夫は知る。
でも、今日の夫が感じたことは明日にはない。
しばらくしてアレクシスが入ってきた。
二人とも何も言わない。
彼はセシリアの向かいではなく、隣へ座った。
帳面を見る。
「口論の内容は書かないのか」
「詳細まで書きます?」
「……いや」
「明日のあなたは分からないでしょう」
「私が書く」
ペンを取る。
アレクシスは少し考え、書いた。
『私が悪い。だが何と言えばよかったのか分からない』
セシリアは横から読む。
「逃げていますね」
「分かっている」
「明日のあなたに任せるのですか」
「少なくとも今日の私は、今話すとまた失敗する」
それは少し卑怯で、少し正直だった。
「そうですか」
それだけ言った。
仲直りはしなかった。




