第14話 呪いを半分にしたのは結婚だった
リーゼが国境へ到着したのは、昼前だった。
馬車を降りるなり言った。
「二人をまとめて狙った術だと考えていましたが、違いました」
セシリアとアレクシスは同時に黙った。
「その顔、嫌ですね」
「良い知らせですか」
「半分」
「悪い方からお願いします」
セシリアが言う。
「公爵閣下一人を狙った術です」
今度はアレクシスが止まった。
「妻は?」
「本来は対象ではありません」
「では、なぜ」
「婚姻契約です」
リーゼは大きな鞄から条約術式の写しを出した。
机いっぱいに広げる。
細い魔術線が何十本も重なっている。
セシリアは見ただけで嫌になった。
「これを全部読んだのですか」
「三晩、まともに寝ていません」
「寝てください」
「これを説明したら」
リーゼが一点を指した。
「ここ。共同負担条項」
セシリアには見覚えがある。
二年前、自分が追加を要求した条文だ。
『婚姻当事者の一方にのみ、条約上の魔術的負担を課してはならない』
「それが?」
「呪いを条約上の負担と誤認したようです」
「誤認」
「術式は人間ほど賢くありません」
リーゼが欠伸を噛み殺した。
「婚姻印の点検口から、公爵閣下を狙う記憶欠損術が埋め込まれています。ところが婚姻契約が『片方だけに負担が集中している』と判断して、翌日から殿下へ半分を振った」
「術者までは分からないのですか」
「点検票は民間魔術師ルントの名義でした。国務院の認証も本物です。ただ、本人は所在不明で、代役が来たのかも確認できません。残滓には欠日石らしい反応があります」
「欠日石?」
「記憶術の媒体です。王都では売買記録が残ります。ただ、古い術具から削ったものまで含めると候補が多すぎる。今の段階で台帳を見ても、たぶん紙の山が増えるだけ」
「では候補を絞りながら、台帳の保全も頼みます。後で失くされては困るので」
「もう魔術院へ申請しました。国務院が、機密資材まで見るには別の許可が要ると渋っています」
リーゼは真顔だった。
「それに反応が薄い。断定はできません。今は『使われたかもしれない』までです」
「半分というより交互です」
「負担計算の単位が一日だからです」
「なぜ一日?」
「条約違反時の罰則計算が一日単位だから」
セシリアは条文を見た。
自分が作らせた条項。
公平にするためだった。
「つまり」
アレクシスの声が低い。
「私一人なら、毎日昨日を忘れていた」
「はい」
「それを彼女が半分引き受けている」
「契約が勝手に、ですけれど」
夫の顔が変わった。
セシリアは嫌な予感がした。
「その顔はやめてください」
「何が」
「今から自分の責任だと言いそうな顔」
「私を狙った術だ」
「ほら」
「君には関係なかった」
「結婚しているので関係あります」
「そういう話では」
「ではどういう話です?」
アレクシスが黙る。
リーゼが両手を上げた。
「私は寝てきても?」
「どうぞ」
セシリアが即答する。
魔術師は逃げた。
二人きりになる。
「アレクシス様」
「何だ」
「二年前、この条項を入れたのは私です」
「知っている」
「あなた一人に条約反動を集中させる案が不公平だったから」
「ああ」
「今も同じです」
「呪いと条約違反の罰則は違う」
「婚姻契約には区別できなかった」
「人間にはできる」
「だから私に返せと言うのですか」
「返せるなら」
「嫌です」
即答した。
自分でも驚いた。
アレクシスも驚いた顔をした。
「……なぜ」
「毎日あなた一人が昨日を失う方が嫌だからです」
「君も失っている」
「交互なら、一緒に過ごした日は二人のどちらかが覚えています」
「それでも」
「それでもです」
少し声が大きくなった。
セシリアは一度息を整える。
「私は、自分でこの条項を入れました。結果まで全部予想できたわけではありません。でも、今それを知ったからといって、過去の自分を間違いだったことにはしません」
「君は強情だ」
「あなたよりましです」
「私も相当だと思うが」
「自覚があるなら改善してください」
アレクシスが額を押さえた。
怒っているのか困っているのか分からない。
少しして、彼は椅子へ座った。
「怖くないのか」
急に聞かれた。
「何が?」
「昨日がなくなることが」
セシリアは答えようとして、止まった。
「怖いです」
口にすると、思ったより簡単だった。
「毎朝、共同記録を開く時は嫌です。自分の字なのに、自分ではない人が書いたように見える日があります」
「……私もだ」
「なら一人に戻したいなんて言わないでください」
「分かった」
「本当に?」
「今は」
「今は、を付けましたね」
「未来の自分まで約束できない」
少し腹が立った。
でも、前より正直だった。
その日の共同記録に、リーゼの結論を詳しく書いた。
アレクシスは最後に一文足した。
『私一人が対象だった』
セシリアはその下へ書いた。
『現在は二人の問題』
さらに夫が書く。
『納得していない』
セシリアも書く。
『知っています』
帳面で喧嘩する夫婦になっていた。




