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今日は夫が忘れる日  作者: 秋月 もみじ


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第13話 役に立たない証拠

 翌朝、セシリアは机の上に並べられた写しを見て、まずため息をついた。


「昨日の私は、これに期待していたのですね」


「かなり」


「書かなくていいことまで記録されています」


「君が自分で書いた」


「だから困っているのです」


 今日はセシリアが昨日を忘れている。


 バスティアンが帳簿を切ったことも、娘のためだったことも、民間運送番号を一件見つけたことも、全部文字で知った。


 感情だけがついてこない。


 紙の上では大事件なのに、自分の中では他人の報告書を読んでいるようだった。


「これが例の番号?」


「ああ」


 アレクシスが一枚を指した。


 民間運送業者の登録番号。

 その横に、軍だけが使う積荷符号。


「混在していますね」


「だから昨日の私たちは喜んだ」


「私は喜びました?」


「顔は変わらなかった」


「では喜んでいません」


「目が変わった」


 セシリアは夫を見る。


「よく見ていますね」


「……仕事だ」


「何の?」


 アレクシスは書類へ視線を戻した。


「調査の」


 便利な逃げ方を覚えたらしい。


 午前中、荷車番号を追った。


 結果。


 何も出なかった。


 運送業者は大停戦の直後に廃業。

 代表者は死亡。

 倉庫は火災で焼失。


「きれいですね」


 セシリアが言う。


「何が」


「何も残っていない」


「だから怪しい?」


「そう思いたくなります」


「思うだけにしておけ」


 夫に釘を刺された。


 腹が立つが正しい。


 午後は運送業者の税申告を探した。


 窓口にある索引は、ここ五年分の現役業者のものだった。

 十五年前に廃業した会社の記録は、別倉庫だという。


 倉庫へ行けば、担当官が鍵をなくしていた。


「なくした?」


「申し訳ございません」


 青ざめた若い官吏が頭を下げる。


「最後に使ったのは?」


「先月です」


「一か月間、気づかなかったのですか」


「普段ほとんど開けませんので」


 セシリアは額に手を当てた。


 アレクシスが少し顔を背ける。


「笑いました?」


「いや」


「今、笑いましたよね」


「人間の記録管理は完璧ではないと学んでいるところだ」


「私に言っています?」


「少し」


 結局、鍵屋を呼ぶだけで半日が潰れた。


 ようやく倉庫へ入った頃には夕方。


 埃っぽい。

 箱が多い。

 整理番号も古い方式で、セシリアの機嫌はどんどん悪くなった。


「この国は十五年前、番号の付け方をどうして三回も変えたのです?」


「戦争中だったからだ」


「戦争中でも数字は数字でしょう」


「担当部署が三回変わった」


「それも嫌です」


「私に言われても」


 二時間探した。


 見つかったのは、荷車の税納付記録一枚だけ。


 積荷は「染料」。


 軍用符号とのつながりは分からない。


「役に立ちませんね」


 セシリアが言う。


 アレクシスが紙を取る。


「ゼロではない」


「ほぼゼロです」


「会社が実在したことは分かった」


「それは最初から分かっています」


「では、廃業日が分かった」


「大停戦から十一日後」


 二人で止まる。


 少し早い。


 大停戦の直後。


 ただし、軍需で食べていた会社が大停戦直後に畳むのは、それだけなら不自然ではない。

 その一行だけで、逃亡したとは決められない。


「……保留ですね」


「ああ」


 セシリアは自分の控えの端へ大きく『保留』と書いた。


 その時、別の箱から古い運送一覧が崩れた。


 床へ紙が散る。


「最悪」


 思わず口から出た。


 アレクシスが笑った。


「今度は笑いましたね」


「ああ」


「認めるのですね」


「君もそういう顔をするのだと思って」


「どういう顔です」


「普通に困っている顔」


「私は普通に困ります」


「王女も?」


「王女は紙を拾わないと?」


「いや」


 二人で床の紙を拾った。


 一枚ずつ番号を確認して箱へ戻す。


 その中に、目的の記録はなかった。


 宿へ戻る頃には、成果らしい成果は何もない。


 共同記録へ書く。


『民間運送業者は大停戦の十一日後に廃業。税記録一枚のみ。決定的資料なし』


 セシリアは最後に付け加えた。


『今日はほぼ空振り』


 アレクシスが横から覗く。


「それも記録するのか」


「します」


「なぜ」


「同じ倉庫をもう一度探さなくて済むように。私、あの箱は当分見たくありません」


 夫は少し考えた。


「それは大事かもしれないな」


 夕食の前、髪に紙埃が残っているとマルタに言われた。

 アレクシスの袖にも白い筋がある。


「こちらへ」


 払ってやると、夫がじっとこちらを見る。


「何です」


「君の方にも付いている」


 髪から小さな紙片を取られた。

 調査には何の役にも立たない。それは分かっていたが、セシリアは捨てる前に一度、掌の紙片を見た。


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