第11話 記憶より曖昧な証言
翌朝、セシリアは共同記録を読んで、馬車が壊れたことより自分がアレクシスへ八割腹を立てていたことの方に驚いた。
「二割は馬車、と」
夫が横から読む。
「見ないでください」
「共同記録だ」
「昨日の私は余計なことを書きすぎです」
「今日も書くだろう」
「書きません」
そう言って宿を出た。
最初に訪ねたのは第三税関だった。
古い石造りの建物で、戦争中に二度焼かれている。
現税関長は四年前に着任した人物で、三十日分の欠落について何も知らなかった。
「前任者なら?」
「もう亡くなっています」
「書記官は?」
「何人かは残っていますが、当時の主任は退職しました」
名前はバスティアン・ノール。
村外れに住んでいるという。
その前に、当時を知る者へ話を聞いた。
荷運び人。
税関の元下働き。
近所の食堂の女主人。
全員、話が違った。
「軍用馬車が毎晩通っていましたよ」
「毎晩?」
「ええ。真っ黒な馬車でね」
女主人は断言した。
次の老人は首を振る。
「黒じゃない。灰色だ」
「毎晩でした?」
「週に二、三度だな」
さらに元兵士は言う。
「馬車なんか見てないぞ。夜は門を閉めてた」
セシリアは頭が痛くなった。
「誰か嘘をついています?」
税関を出た後で聞く。
アレクシスが首を振った。
「全員本当だと思っている可能性もある」
「日付まで断言していたのに」
「十五年経っている。自信と正確さは別だ」
セシリアには、その言い方が理解できなかった。
「重要なことなら覚えているでしょう」
「君は戦争中、何杯茶を飲んだか覚えているか」
「なぜそんなものを」
「彼らにとって、馬車はその程度だったのかもしれない」
「軍用馬車が?」
「当時は毎日、何かが通っていた」
言われて黙る。
セシリアは記憶を信用していないつもりだった。
だから記録を重視する。
しかし人は、記録に残す前に見たものを覚えていなければならない。
そこからして曖昧なのだ。
聞き取りの最後に、セシリアは三人へ連絡先を渡した。思い出だけでなく、当時の手紙や領収書が残っていたら知らせてほしい、と。
午後、村の外れに住む老女を訪ねた。
税関近くで洗濯屋をしていたという。
「三十日? ああ、覚えてるよ」
老女は即答した。
セシリアは身を乗り出す。
「何がありました?」
「リデールの兵隊が夜中に来たんだ」
「リデール軍が?」
「そうさ。青い旗だった。あんたの国のだろう」
セシリアとアレクシスは顔を見合わせる。
「何台?」
「十台はいたね」
「何を運んでいました?」
「知らないよ。大きな箱だった」
「日付は?」
「冬至の二日前」
セシリアは手元の年表を見る。
その日は、リデール軍主力が国境から百キロ以上離れた南部にいた。別働隊はあり得るが、これだけでは部隊を特定できない。
「間違いありませんか」
「間違うもんかね。あの日は孫が生まれたんだから」
帰り道。
「おかしいですね」
「ああ」
「旗だけ偽装した可能性」
「ある」
「あるいは軍の公式記録が嘘」
「それもある」
「どちらだと思います?」
「まだ分からない」
夫の返事はつまらない。
だが正しい。
宿へ戻る途中、マルタがぽつりと言った。
「奥様、あのご婦人の日付、違うと思います」
「なぜ?」
「先ほど、家の壁に孫御さんの誕生祝いの写真がございました」
「それが?」
「今年二十二歳と書かれていました」
大規模な戦闘が止まったのは十五年前。
「別の孫かもしれません」
「ええ。確かめた方がよいかと」
翌日に確認するつもりで、宿から使いを出した。ところが老女は、日が暮れる前に自分でやって来た。
「悪かったね。娘が言うには、私が話したのはその七年前の冬らしい」
教会の出生証明の写しまで持っている。孫は一人だという。
セシリアは礼を言い、証言の日付を訂正した。
あれほど自信満々だったのに。
セシリアは少し笑ってしまった。
「何だ」
アレクシスが聞く。
「いえ。私が思っている以上に、人間の記憶は適当なのかもしれません」
「一日おきに昨日をなくしている人間が言うと重いな」
「あなたもでしょう」
「明日は私だ」
その言葉で少し笑いが止まった。
夜、共同記録へ証言を書く。
ただし老女の話には大きく『日付不確実』と付けた。
以前のセシリアなら、間違った証言として捨てていたかもしれない。
今は少し違った。
日付は違う。
でも青い旗を見たことまで間違いとは限らない。
不完全なものを、不完全なまま置いておく。
それが妙に難しかった。




