第10話 また勝手に守ろうとする
国境へ向かう馬車が二台増えていた。
セシリアは玄関前で数えた。
一、二、三、四。
本来二台の予定だった。
「アレクシス様」
「何だ」
「馬車が増殖しています」
「していない」
「では、あの二台は?」
「追加の護衛と、その装備を運ぶ」
「護衛騎士は馬で行く予定でした」
「変更した」
「誰が?」
「私が」
予想通りすぎて、セシリアはしばらく何も言えなかった。
今日は夫が昨日を忘れている。
だから今朝、共同記録を読み、三十日分の欠落を知った。
そして国境調査に行くと知り、その場で護衛を倍にしたらしい。
「私に相談しました?」
「今している」
「手配した後は報告です」
「危険がある」
「まだ危険と決まったわけではありません」
「帳簿を三十日分切る人間がいる」
「だから馬車を二台増やした?」
「護衛を増やした」
「私の分だけ」
アレクシスが少し黙る。
当たりだった。
「あなたの護衛は?」
「足りている」
「私も足りています」
「君は」
「王女だから?」
「そういう意味では」
「外国人だから?」
「違う」
「では何です?」
夫が詰まった。
セシリアは腕を組む。
「また勝手に守ろうとしましたね」
「……護衛を増やすくらいで大げさだ」
「そのくらい、と思うなら先に聞けたでしょう」
「却下するだろう」
「それは相談とは言いません」
横でマルタが無言で荷物を積ませている。
こちらを見ない。
見ないのが一番見ている感じがして嫌だった。
「馬車は一台減らせませんか。四台で進めば目立ちます」
「護衛の数は減らしたくない」
「では追加の騎士は馬で。残す一台には装備をまとめて、予備車にも使いましょう」
アレクシスは護衛隊長を呼んだ。馬の手配は済んでいて、荷も一台に積めるという。
「それで行こう」
「次は手配の前に聞いてください」
「ああ」
マルタがようやくこちらを見た。言いたいことがありそうだったが、今は聞かないことにした。
その三時間後。
車輪が壊れた。
セシリアは道端に止まった馬車を見た。
アレクシスも見た。
「……」
「……」
「言っていいですか」
「……予備車のことなら分かっている」
「残してよかったですね」
「分かっていると言った」
夫が先に折れたので、セシリアはそれ以上言うのをやめた。あと二回くらいは言いたかった。
原因は陰謀ではなかった。
ただの泥濘だった。
前日の雨で道の一部が崩れ、車輪が石へ乗り上げた。
御者が申し訳なさそうにしている。
「出発前には亀裂はなかったのですが、石に当たったところが割れています」
「残りの車輪も確認してから進みましょう」
セシリアが言うと、アレクシスが見る。
「隊長に頼んである」
「では、あちらの荷物を移すのを手伝います」
「重い箱は騎士に任せろ。……君はどれなら持てる?」
「その書類箱なら」
荷物の積み替えと車輪の確認で、旅程は二時間遅れた。
国境の宿駅へ着いた頃には夕暮れだった。
予定していた税関長への聞き取りは明日へ延期。
セシリアは宿の簡素な机へ共同記録を広げた。
「本日の成果」
「車輪が壊れた」
「成果ではありません」
「予備車が役に立った」
「それも書きません」
アレクシスが椅子へ座る。
長旅で少し疲れた顔をしていた。
「明日は君が今日を忘れるな」
「そうですね」
「では車輪の件は私が説明する」
「説明不要です」
「私としては重要だ」
「なぜ?」
「君の案で助かったことを、君が忘れるからだ」
セシリアはペンを持ち直した。
そういう説明なら、最初からしてほしい。
セシリアはペン先を紙へ強く当てた。
『本日、道中で馬車一台故障。予備車使用』
その下に付け足す。
『予備車を残したのは私の案。夫も認めた』
「見えているぞ」
「明日の私は覚えていませんから、今日の感情も記録が必要です」
「そうか」
アレクシスは少し笑った。
セシリアはその顔を見て、また腹が立った。
「何がおかしいのです」
「いや」
「最近、そればかりですね」
「君が以前よりよく怒るようになった」
「誰のせいですか」
「半分くらいは私かもしれない」
「八割です」
「残り二割は?」
「馬車です」
言ったついでに、余白へ『八割は夫、二割は馬車』と書いた。
くだらない話をして終わった。
何も進まなかった日だった。
寝る前、予備車を残したのは私の案、という行が目に入った。
その下に夫の字で『助かった』とだけある。
車輪の件では十分に勝った。なのに、余計な一言を書き足されたせいで、勝ち誇った顔のまま眠れなくなった。




