不安な初日
朝六時、私はアパートを出た。
いつもの商業施設とは反対方向の電車に乗り、郊外の駅で降りた。
そこから高校までは、歩いて二十分ほどだった。
通学路を歩いていると、制服姿の生徒たちが次々と私を追い越していった。
シャツをズボンから出した男子。
短く切ったスカートの女子。
自転車を二人乗りしながら、大声で笑っている生徒もいた。
彼らの笑い声を聞くたび、昔の教室を思い出した。
自分が笑われているわけではない。
何度そう言い聞かせても、背中が落ち着かなかった。
校門の前には、数人の男子生徒が座り込んでいた。
教師らしい男性が注意していたが、誰も立ち上がろうとしない。
「朝からうるせえな」
一人がそう言うと、周囲の生徒たちが笑った。
教師はそれ以上何も言わず、校舎へ戻っていった。
私は彼らと目を合わせないよう、校門の端を通った。
校舎は想像していたより古かった。
外壁には落書きがあり、何枚かの窓ガラスにはひびが入っていた。
植え込みの中には、空き缶や菓子の袋が捨てられている。
職員玄関で名前を告げると、教頭が出てきた。
五十代くらいの、疲れた顔をした男性だった。
「清掃会社の方ですね」
「はい。本日からお世話になります」
私は深く頭を下げた。
教頭は簡単に校内を案内してくれた。
私が担当するのは、廊下、階段、トイレ、玄関、それから校舎周辺の清掃だった。
「生徒が多少ふざけることもあると思いますが、相手にしないでください」
多少という言葉が、妙に気になった。
「何かあれば、近くの先生に声をかけてください」
「分かりました」
私は清掃員用の制服に着替え、玄関から掃除を始めた。
始業の鐘が鳴っても、何人もの生徒が校内を歩き回っていた。
廊下の床には、丸めたプリントや菓子の袋が落ちている。
階段の踊り場には、飲みかけのジュースが置かれていた。
トイレの壁には落書きがあり、個室の扉の一つが壊れていた。
私は何も見なかったことにして、黙々と掃除した。
廊下ですれ違う生徒の中には、私を見て笑う者もいた。
「新しい掃除のおっさんじゃね?」
そんな声も聞こえた。
だが、私に話しかけてくる生徒はいなかった。
私は顔を上げず、床だけを見てモップを動かした。
昼休みは、清掃用具置き場の隅でおにぎりを食べた。
職員用の休憩室を使ってよいと言われていたが、教師たちの中へ入る勇気はなかった。
午後も、廊下とトイレを掃除した。
何度か大きな笑い声に驚いたが、私に向けられたものではなかった。
そして午後四時、初日の仕事が終わった。
恐れていたようなことは、何も起こらなかった。
誰にも怒鳴られず、失敗もせず、最後まで仕事を終えることができた。
私は校門を出たところで、ようやく息を吐いた。
この学校でも、目立たずに働けばいい。
誰とも関わらず、決められた場所だけを掃除する。
それなら、私にもできるかもしれない。
初日の私は、そう思っていた。




