東大を目指す理由
「頼むから、今すぐ解散してくれ」
私が言っても、女子生徒は五つ目の空き缶を片づけなかった。
黒田派。
青木派。
神崎派。
真壁派。
そして、田代派。
四つの空き缶から少し離れた場所に置かれた五つ目の空き缶は、今の私そのものだった。
どの勢力にも属さず、味方は一人だけ。
その一人も、つい先ほど会ったばかりの女子生徒である。
「俺は清掃員だぞ」
「知ってる」
「生徒ですらない」
「それも知ってる」
「だったら、俺の名前を使って派閥を作るな」
「もう黒田派には目をつけられた。派閥を作っても作らなくても、状況は変わらない」
「変わるよ。少なくとも、俺の気持ちが全然違う」
女子生徒は答えなかった。
黒いシールドを向けたまま、床に並べた空き缶を見つめている。
私は頭を抱えたくなった。
だが、顔も頭も殴られたせいで、触れるだけでも痛い。
黒田派は百人。
青木派は格闘技経験者の集団。
神崎派は、校内の情報を支配している。
真壁派は、学校の外にまで仲間がいる。
そんな連中が争う学校で、私は五つ目の派閥の頭にされようとしている。
しかも、構成員は二人。
一人は、五十六歳の清掃員。
もう一人は、校内でバイク用のヘルメットをかぶっている、正体の分からない女子生徒だ。
勝てる要素が一つもない。
「俺は、この学校の天下なんていらない」
「私もいらない」
「だったら、どうして黒田派の人間をあそこまで痛めつけたんだ」
「あなたを助けるため」
少女は迷わず答えた。
「どうして俺を助けた?」
「東大に行ってたって聞こえたから」
その答えで、私は思い出した。
彼女が私を助けたあと、最初に尋ねたこと。
『東大に行ってたっていうのは、本当?』
礼を求めるよりも先に、私のけがを心配するよりも先に、彼女は東大について確認した。
そして、私へ勉強を教えるように頼んだ。
正確には、頼んだというより、ほとんど命令に近かった。
私は改めて、目の前の女子生徒を見た。
制服の上からでも、小柄なのが分かる。
黒いバイク用のヘルメットをかぶり、不良を相手に殴り、蹴り、投げ飛ばす。
全国から不良が集まる鈴宮高校で、一人で黒田派の男たちを倒した少女。
そんな彼女が、東大を目指している。
あまりにも不釣り合いだった。
「一つ、聞いてもいいか」
「何?」
「君は、どうしてこの学校に入ったんだ?」
女子生徒は答えなかった。
「喧嘩に自信があったからか。それとも、前の学校を追い出されたのか?」
「東大の話と関係ない」
「関係あるだろ」
私は床に置かれた五つの空き缶を見た。
「ここは全国の不良が集まる学校なんだろ。授業だって、まともに成り立ってるようには見えない。東大を目指す人間が、わざわざ入る学校じゃない」
黒いシールドの奥から、視線を感じた。
また余計なことを言ってしまったかもしれない。
だが、今度は黙らなかった。
「君は喧嘩が強い。この学校で一番になることだって、本当にできるのかもしれない」
私は一度、息を整えた。
「それなのに、どうして東大へ行きたいんだ?」




