東大を出たのに惨めな人生
扉の鍵が閉められた。
私は、部屋の中央に立たされた。
五人の不良たちが、逃げ道を塞ぐように私を囲んだ。奥のソファに座っていた生徒たちも、面白そうにこちらを見ている。
リーダー格の男が、私の前へ立った。
「おっさんさ、俺の女に説教したんだって?」
「申し訳ありませんでした。その件については、昨日謝罪を……」
「謝ったら終わりなの?」
「いえ、そういうわけでは……」
言葉を選んでいると、頬を平手で叩かれた。
乾いた音が、狭い部屋に響いた。
「聞かれたことだけ答えろよ」
「すみません」
反射的に頭を下げた。
それを見て、周囲の生徒たちが笑った。
「こいつ、すぐ謝るじゃん」
「動画と同じだ」
リーダー格の男は、私の肩を軽く叩いた。
「まあ、いいや。今日からお前、俺らのパシリな」
「え……」
「聞こえなかった?」
「いえ、聞こえました」
「昼になったら、パンとジュース買ってこい。金はお前が出せよ」
「それは困ります」
自分でも驚くほど小さな声だった。
男の表情が変わった。
「今、断った?」
「給料が少ないので、毎日は……」
腹を蹴られた。
息が詰まり、私は床へ膝をついた。
「お前の事情なんか知らねえよ」
「申し訳……ありません」
「財布出せ」
私は腹を押さえながら、顔を上げた。
「財布ですか?」
「持ってんだろ。早く出せよ」
「勘弁してください」
今月は、まだ半分以上残っている。
財布の中には、食費と交通費を合わせて一万三千円が入っていた。それを失えば、給料日まで生活できない。
「そのお金がないと、困るんです」
「俺らも困ってるから」
「お願いします。交通費だけでも……」
肩幅の広い生徒が私の身体を押さえ、別の生徒が作業着のポケットへ手を入れた。
抵抗することはできなかった。
財布を取り出され、リーダー格の男へ渡された。
彼は中身を確認すると、紙幣をすべて抜き取った。
「一万三千円か。おっさんのくせに全然持ってねえな」
「返してください」
「何?」
「そのお金だけは、返してください」
必死に手を伸ばした。
その手を払われ、顔を殴られた。
眼鏡が飛び、床を滑っていった。
「パシリが勝手に触んなよ」
視界がぼやけた。
私は床を這い、男の足にしがみついた。
「お願いします。それがないと、仕事にも来られないんです」
「歩いて来ればいいじゃん」
笑い声が起きた。
「家、どこ?」
「歩けば二時間くらいかかります」
「じゃあ早起きしろよ」
リーダー格の男は、抜き取った紙幣を自分のポケットへ入れた。
私は何度も頭を下げた。
「お願いします。せめて交通費だけでも返してください」
「しつこいな」
髪をつかまれ、顔を上げさせられた。
「服脱げよ」
何を言われたのか理解できなかった。
「え?」
周囲の生徒たちが笑った。
「動画撮ろうぜ」
「やめてください」
私は立ち上がろうとした。
すぐに背中を蹴られ、再び床へ倒れた。
数人に囲まれ、作業着を無理やり脱がされた。抵抗するたびに、拳や蹴りが飛んできた。
上着を奪われ、シャツを引き抜かれ、ズボンまで脱がされた。
最後には、パンツ一枚で床に座らされていた。
両腕で身体を隠した。
五十六歳のたるんだ腹も、細くなった脚も、すべて見られていた。
携帯電話のカメラが、何台も私へ向けられていた。
「やめてくれ……」
声が震えた。
「お願いだから、撮らないでくれ」
「顔隠すなよ」
腕を蹴られた。
私は身体を丸めた。
惨めだった。
悔しかった。
悲しかった。
不良の前で、下着一枚にされ、金を奪われ、命乞いをするように頭を下げている。
これが自分の人生なのかと思った。
何かが、胸の奥で切れた。
「なんで……」
涙があふれた。
「なんで俺が、こんな目に遭わないといけないんだよ!」
部屋の笑い声が止まった。
私は床を叩きながら、泣き喚いた。
「俺が何をしたんだよ! ずっと我慢してきたんだ! いじめられても、馬鹿にされても、遊びたいのを我慢して勉強したんだよ!」
「何の話だよ」
「俺は東大を出たんだぞ!」
鼻水も涙も止まらなかった。
もう、みっともないとも思わなかった。
「俺は東大を出たのに! 東大に入れば幸せになれるって言われたのに! いい大学に入れば、立派な大人になれるって、人生はうまくいくって言われたんだ!」
自分でも何を言っているのか分からなかった。
五十六年間、誰にも言えなかった言葉が、次々と口からあふれた。
「なのに、なんで俺はこんな惨めな人生を送っているんだよ! 会社も続かなくて、夢もかなわなくて、結婚もできなくて、友達もいなくて!」
私は、自分の裸同然の身体を両腕で抱いた。
「毎日、人のゴミを拾って、誰にも必要とされなくて、今はガキに金を取られて、服まで脱がされて! 俺の人生は何だったんだよ! 何のために勉強したんだよ!」
「うるせえよ」
不良の一人が私の肩を蹴った。
それでも私は止まらなかった。
「お前たちに何が分かるんだよ! 俺だって昔は期待されてたんだ! 東大に受かったときは、みんなが褒めてくれたんだ!」
「東大、東大うるせえんだよ!」
リーダー格の男の拳が、私の顔面に当たった。
後頭部が床へぶつかった。
頭の内側で、鈍い音が響いた。
視界が白くなった。
声が出なくなった。
誰かが腹を蹴った。
身体を丸めようとしても、手足に力が入らなかった。
笑い声も怒鳴り声も、遠くから聞こえる。
リーダー格の男が、私の襟元をつかんだ。
「まだ自分の方が偉いと思ってんの?」
私は答えられなかった。
男の顔が二つに見えた。
唇が動いているのは分かったが、声はほとんど聞こえなかった。
もう一度、拳が振り上げられた。
避けることも、頭を守ることもできない。
私は身体を丸める力さえ残っておらず、ただ目を閉じた。
…だが、いつまで待っても拳は飛んでこなかった。
代わりに聞こえてきたのは、不良たちの戸惑った声だった。
「……誰だよ、お前」
薄く目を開けた。
振り上げられた男の拳が、私の顔のすぐ手前で止まっていた。
いや、止まったのではない。
背後から伸びてきた細い手が、男の手首をつかんでいた。
男は腕を引こうとしていた。
それでも拳は、少しも動かなかった。
ぼやける視界の中で、私はその手を目で追った。
制服の袖。
細い腕。
そして、リーダー格の男の背後に立つ、小柄な人影。
黒いバイク用のヘルメットだった。
頭部全体を覆うフルフェイス型で、黒いシールドの奥は暗く、顔も表情もまったく見えない。
その異様な頭部の下には、この学校の女子生徒の制服があった。
白いシャツ。
短いスカート。
細い脚。
間違いない、図書室で1人黙々と勉強していたあの生徒だった。




