第九話 転生者の決意と決別
「君との婚約を解消することになったんだ。許してくれ。すまない、セレーナ」
「え……?」
卒業を一週間後に控え、ようやく会えたジェラルド様から思いがけない言葉を口にされ、私は驚きのあまり呆然としてしまっていた。
「ごめんなさい、おねえさま……ジェラルド様は悪くないの。全部、シャルのせいなの。だから、怒るならシャルに怒って……!」
ジェラルド様から発せられた言葉の意味も理解が追いついていないというのに、この状況をさらに混乱させているのは、ジェラルド様の腕にしがみつき、瞳を潤ませている異母妹シャーロットの姿だった。
そして、私の婚約者はそんなシャーロットを愛おしそうに見つめ、甘く優しい声をかける。
「それは違うよ、シャーロット。僕も悪いんだ。先にセレーナを裏切ってしまったのは僕なんだから」
今まで私に向けられていた優しさは今、異母妹に向けられている。
話の内容が頭に入ってこない。
(二人は――何を言っているの?)
「僕の婚約者をシャーロットに変えてもらったんだ。だから、すまないが……卒業式典に君と行くことはできない」
(卒業まであと一週間だというのに。今さら?)
頭が真っ白になった。
今日、卒業式典後のパーティーで着るドレスを合わせるのだと思っていた。
ジェラルド様のお仕事が忙しいから、直前になってしまっているだけだ、と。
侯爵家の嫡男の婚約者なのだから、もうすでに用意されているものだとばかり思っていた。
ジェラルド様の視線が呆然と立ちすくむ私に向いていることを確認したシャーロットが潤んだ瞳を細め、唇に弧を描いた。
(そうか……だから、最近、全然攻撃されなかったんだ……)
今、思えば、一ヶ月前のあの日を最後に当たり散らされていない。
白猫ルークに出会った日だ。
またシャーロットが部屋に来たら、ルークのことがバレてしまうかもしれないとヒヤヒヤしながら今日まで過ごしていたが、一度も来ることはなかった。
きっと、あの後、婚約者の変更が行われ、シャーロットの思い通りになったことで機嫌が良かったのかもしれない。
(これから、私は――どうなるの?)
今までどんなに虐げられても、ジェラルド様と結婚して、この家を出ることだけを励みにずっと耐えてきたのに。
高等魔法は使えなくても、私には私なりの基礎魔法の使い方がある。この方法でなら――彼にも、そして、彼の家にも迷惑をかけず、認めてもらえるはずだ、と、そう思っていたのだけれど。
私の淡い恋心と夢は――一瞬で儚く消えた。
それだけではない。
婚約者のいなくなった私は――卒業後、どうすればいいのだろう。
侯爵夫人の道は絶たれた。就職しようにもすでに新規採用は終わっている。
(このまま、この家に――嫌だ!)
それだけは何としても避けたい。
「――そういうことだから。セレーナ、君のエスコートはジョシュアにでも頼んでくれないか」
(え……? お兄様に……?)
ただでさえ、魔法が使えず、呆れられているというのに。さらに、婚約者にまで捨てられた私に兄が同伴してくれるはずもない。
(お兄様……私、あなたと同じ血すら必要とされなかったみたい)
私に背を向け、仲睦まじく去っていく二人の後ろ姿を見つめながら、ふふっと小さな笑い声を漏らした。
何度、この幸せな光景を見ただろう。
何度、異母妹の背中を羨んだだろう。
父も、婚約者だった人も。皆、異母妹を選んだ。
たった一つの利用価値ですら否定された私に明るい未来などあるはずもない。
橙色の空は、いつの間にか濃紺に変わり、まるで光を失い、底なしの闇がぽっかりと口を開いた私の心を表しているかのようだった。
ふらふらと半地下の部屋に戻ると、真っ白な猫が音もなく私の足元に擦り寄った。
「ルーク……」
暗闇に沈んでしまった光がポツリと灯ったようで。
私はルークを抱き上げ、そのままぎゅっと胸に抱き締めた。
「私も……あなたのように、真っ黒から真っ白に変身できたら、幸せになれるのかな……」
一度溢れ出した涙は止めることができず、ただ腕の中の温かさに救いを求めた。
頬に伝わった雫をルークはぺろりと舐め、にゃぁと一鳴きして私を見つめた。その姿は妖艶で気品が漂っている。
「うーん。ルーク、やっぱりどこかの飼い猫なの? それなら、飼い主さんを探さないと――」
私の言葉が終わる前にルークは私の腕の中から飛び出し、月明かりの漏れる窓の下で止まった。
「にゃーぉん」
月明かりがまるで後光のようにルークの真っ白な体を照らしている。
「ねえ、もしかして。一緒に行こうって、言ってくれてるの?」
「にゃん」
私の言葉を肯定するかのようにまた一鳴きし、窓枠に飛び乗った。
「にゃぁ」
外に向かって鳴いたルークの背中に、先ほどまで抱いていた底知れぬ暗闇が晴れていくのを感じた。
「そうだね……! 一緒にあなたの飼い主さん、探しに行こう!」
「にゃん」
私はもう何にも縛られたくない。それに私一人いなくなくったところで、誰かが気に掛けることもないだろう。
ルークはこちらに視線を向け、まるで笑ったかように目を細めた。




